勿忘草の心2

□1.旅立
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「七花は金のことなんて気にしなくていーんだよ。誘ったのはこっちだしな」
「でも……」
私が言い淀むと、ディーノさんはふっと笑って、私の髪をくしゃくしゃに乱した。
「たまには男に、格好つけさせてくれよ」
そこまで言われてしまっては、断れない。私はうなずいた。
「よかったー。うちのシェフ、かなり腕が立つんだぜ? 日本人の味の好みも研究させたから、期待しててくれよ」
「なんていうか……わざわざすみません」
私はディーノさんにエスコートされて階段を下り、ダイニングへと足を踏み入れた。
そして思った。
テーブルが長い。
何人座らせるつもりなんだろう。部下の人たちも一緒に食事をするから、こんなに広いダイニングを用意したんだろうか。
やっぱり会社の社長ともなると、何事もスケールが大きいらしい。
促されるままに端の席につくと、ディーノさんは向かいの席についた。
世にいわく誕生日席につけたのは光栄だが、ディーノさんまでの距離がものすごく遠い。しかも、間の席に部下の人たちがつくのかと思えば、ロマーリオさんたちはダイニングの入口に控えている。
私は席を立つと、ディーノさんの斜め前の椅子を引いた。
「七花……?」
「私、食事は隣に人がいないと寂しいんです。……ダメですか?」
私の顔を見て、ディーノさんはぱちぱちと瞬きしてから、破顔した。
「はははっ! 七花、意外と寂しがり屋なんだな」
ディーノさんが立ち上がって、私のかわりに椅子を引いてくれる。
「どうぞ、お姫様」
「もう……っ」
はにかんでから、私はふと思い出した。
彼は、武くんに似ている。きっとさっきの台詞も、武くんならこう言うだろう。
『七花先輩って、意外と寂しがり屋なのな!』
想像できる。イタリアに行くと決めた時も、少し寂しそうに笑っていたっけ。

『ディーノさんに、っスか……。……なーんか妬けるのな』
『!』
『一週間っつっても、先輩と離れるのは……つれーよ』
『、武くん……』
『……でも、楽しんできて下さい。土産話、楽しみにしてます!』

それから、隼人くんにも連絡した。ディーノさんに連れて行ってもらうって伝えたら、不必要なまでに心配されたのは記憶に新しい。

『跳ね馬に!? 一人でか!?』
『う、うん』
『おい七花、一週間絶対気を抜くなよ! 跳ね馬がいくらへなちょこだって、一皮むきゃあただの男なんだからな!!』
『ディーノさんに限って、そんな心配……。隼人くん、心配しすぎだよ』
『……七花、オレのことだってそう思ってたろ? オレに限って、って』
『…………あぅ』
『……っとにかく気をつけて行ってこいよな!』

恭弥くんには夏休みに入ってから会ってないし、ツナくんにも一応メールでその旨を伝えておいた。
そんなことを思い出して、私は苦笑する。あの後輩たちは、私が思っていたより、ずっと私の中で大きな存在になっていたらしい。
私が一人で苦笑していたからか、運ばれてきた料理を片手に、ディーノさんが首をかしげた。
「七花? どうした?」
「いえ、何でもありません」
「そっか。ならいいんだけどな。…………あのさ、ちょっと七花に提案があるんだ」
ディーノさんの声音が、真剣なものに変わった。私は姿勢をただして、彼に向き合う。
料理の美味しさに舌鼓を打っている場合ではなさそうだ。ディーノさんはかすかに頬を赤らめ、視線を泳がせながらも、私に告げた。
「明後日、知り合いにパーティーに招待されたんだ。パーティーって言っても、仮面舞踏会なんだけどな。パートナーを連れて、仮面をつけて参加する決まりなんだ」
なんと。
確かイタリアには、世界三大カーニバルと呼ばれる、ヴェネツィアンカーニバルがある。しかしそれが開かれるのは、2月だったと思う。
今は夏休み。個人的な仮面舞踏会が催されるのだろう。会社の社長さんともなると、そういった社交パーティーもこなさなければならないのか。
私は内心ディーノさんを尊敬した。
「そこで……な。ドレスとか仮面とかはこっちで用意するから、七花に……オレのパートナーになってほしいんだ」
「…………え?」
思わず彼の顔を凝視する。冗談かと思ったが、ディーノさんの真摯な瞳に、嘘は欠片も見えない。
「昔は招待客同士の正体を当てるゲームになってたくらいだ。今ではパーティーの雰囲気を楽しむもんで、社交ダンスなんてできなくても問題ない。……オレは参加するなら、七花とじゃなきゃ嫌だ。……七花、オレと一緒に参加してくれないか……?」
せっかくイタリアに来たのだ。胸踊る行事を断る理由はない。






私は“舞踏会”という言葉にほんのり頬を染めつつ、笑顔でうなずいた。
「知らないことばかりですが、それでもよければ、是非お願いします!」


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