勿忘草の心2

□1.旅立
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私は今、イタリアの地に立っている。
胸のロケットペンダントに触れて、亮斗くんにも心の中で話しかけてみる。
――亮斗くん、ここがイタリアなんだって。
そんな私の横で、ディーノさんが微笑む。
「イタリアに来るのは初めてか?」
私は見たことのない異国の景色に、心を奪われながらもうなずいた。
「……はい。イタリアだけじゃなくて、海外に行くこと自体初めてです」
「そっか。じゃあ気合い入れてエスコートしなきゃな!」

どうして私が此処にいるのかというと、事は一週間ほど前にさかのぼる。

*****

その日帰宅したら、何故か私の家にディーノさんがいた。しかも当たり前のように、
『おかえり!』
という言葉をくれた。
母さんもにこにこしていて、テーブルの上には空になったコーヒーのカップがある。
察するに、ディーノさんは少し前から家にいたらしい。しかし、何故。
『……ただいま、です。ディーノさん、こんにちは』
『おー!』
『……あの、どうして家に?』
首をかしげる私に、ディーノさんはにっ、と笑いかけた。
『七花を待ってたんだ』
その後のことは、母さんが説明してくれた。
『ほら、前にディーノくんを泊めたことがあったじゃない? その時のお礼にって、わたしたち家族をイタリアに招待してくれるそうなの。わたしは大げさだって言ったんだけど、もう泊まる場所も用意して下さったんですって』
ようやく彼がここにいる理由がわかった。そしてそのお誘いもとても有難い。
けれど、父さんは仕事が忙しくて旅行に割く時間はないだろう。弟も合宿があるだろうし、母さんは祖母の件もある。
案の定、母さんは眉を寄せてため息をついた。
『有難いお話なんだけどね……。父さんはここのところ仕事が一番大事な時らしくて、旅行に行ってる余裕がないの。父さんが行けないなら私も行けないし、おばあちゃんのことも心配だし。七花、せっかくだし、あなた一人だけでもお世話になる?』
私はしばし迷った。でも、ディーノさんのキラキラした笑顔を見ていたら、どんどん断りづらくなってくる。
そういえば、今度イタリアに行く時は案内してくれると言っていた。
告白事件から気分転換もできていないし、まだ海外に行ったことのない私にとって、その提案は魅力的だった。
『期間はどのくらいですか?』
『七花に合わせるから、どんだけいてもいいぜ!』
それなら、と私はうなずいた。
『じゃあ、私だけでもお世話になります。ディーノさん、よろしくお願いします』
『楽しみにしててくれよ! ……オレも、楽しみにしてる』

*****

……と、そんなわけで私は今、イタリアにいる。
ディーノさんはお金持ちだそうで、私はいわゆる自家用ジェットというものでやってきていた。
七花のために用意したんだぜ、とかいう台詞は冗談だと信じている。というよりは、冗談であることを願う。本当だったら、申し訳なさすぎて土下座したくなる。
「イタリアって、……なんだかすごいですね! 歴史を感じさせるっていうか、映画の中にいるみたいっていうか、…………うわぁ、ほんとに素敵……!」
古く、歴史のありそうな建物が並ぶ街並み。ヨーロッパならではの装飾、街を歩く人の服装、翻る旗の文字。当たり前なのだが、どれをとっても日本とはまるで違う。
私はジェットが降りた広場から、その景色を見渡した。
「ディーノさんディーノさん! あれは何て書いてあるんですか?」
「あぁ、あれは“ようこそ”って意味だ」
私は興奮気味に尋ねる。そんな私を、ディーノさんはうれしそうに見守ってくれた。
「ディーノさんっ、あれはパン屋さんですか?」
「あぁ。焼きたては最高だぜ。食いに行くか?」
「はいっ!」
まさか無料で海外旅行できる日が来るなんて、思いもしなかった。私ははぐれないよう、ディーノさんのジャケットの裾を握りながら、彼について行く。
「うわぁ……」
日本語が、ない。
これまた当たり前なのだが、私は日本語のない街に心底驚いていた。これが外国。これがイタリア。
「……イタリアは、古い建物が多いんですね」
「外は古いまま……それこそ何世紀も前のままで、中を新しくするってのがイタリアの基本だな。ホテル一つ取っても日本とはまるで違う。階段の電気はその都度自分でつけなきゃいけねーし、ランクがかなり上のホテルじゃねー限り、部屋に冷蔵庫もない」
「そうなんですか……」
「ま、七花が来るのはオレの別荘だから、ほとんど日本と変わらない生活はできると思うぜ」
私はしばらく呆けたように、彼のガイドに聞き入るのだった。
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