金木犀の唄

□濃紺色
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ぼんやりと気だるい感覚の中、オレはふと目を覚ました。目に映る天井は見たことのない模様で、顔を動かすと見える部屋の様子も、知らない場所のものだった。
ここがどこだか確認したい。身を起こそうとしてみたが、四肢にはまったく力が入らなかった。
唯一動かせる視線で状況を把握するに、オレは誰かの部屋にいるらしい。氷枕や額のタオルから、看病されていたようだ。
そして今気付いたが、オレの左手は誰かに握られていた。
この手のおかげだろうか。いつもは風邪をひくと悪夢にうなされるのに、今日は悪夢を見なかった。
……誰が、オレを……?
疑問に思って首を左に向け、オレは驚きのあまり声を上げそうになった。
亜希子が、オレの目の前で眠っている。安心させるようにオレの左手を握ったまま。床に座りこんで、ソファベッドに背を預けていた。
――――亜希子が、オレを助けてくれたんだ。
そうわかった途端、胸の奥が熱くなった。
経緯なんてどうでもいい。確かに、亜希子に心配はかけたくなかったし、こんなに弱った格好悪いところも見せたくなかった。
でも、オレを見つけてくれたのが亜希子だと思うだけで。亜希子がオレに付きっきりで看病してくれたと思うだけで。
鼓動が脈打つ。
意識を失う直前、もうどこで目覚めてもいいと思った。まさか、一番会いたいひとの前で目覚められるなんて思ってもみなかった。
「亜希子……」
よっぽど疲れていたのだろう。亜希子は服も着替えていない。
このままでは亜希子の方が風邪をひいてしまいそうで、オレは心配になった。
自分にかけられた毛布を彼女にかけてやりたいのは山々なのだが、いかんせん体が動かせない。
どうしたものかと思案していた時だった。
カタ、と物音がして、リビングのドアが開いた。
そこに立っていたのは、数日前に会った亜希子の親友……確か水無月令、だった。手には毛布を持っている。
亜希子がオレを家に連れてきたということは、必然的に同居人である水無月令にも許可はとってあるはずだ。
それにしてもあの女、よくオレを泊めることを許可したな。
まぁ、水無月令のことはどうでもいい。どうせその手にある毛布は、亜希子にかけてやるつもりなんだろう。亜希子の体調管理はこいつに任せようと思い、オレは安心して目を閉じた。
……しかし、水無月令はすぐには動こうとしなかった。
寝た振り状態のオレ、眠っている亜希子、立ち尽くす水無月令。妙な沈黙が部屋を支配する。
この無愛想女は、ただ亜希子に毛布をかけに来たわけではないらしい。オレは薄く目を開けて、様子をうかがった。
水無月令の表情までは、暗くてよく見えない。わかるのは、彼女がゆっくりこちらに近付いていることだ。
オレは気付かれないよう寝た振りを続けながら、神経を研ぎ澄ました。
まさかとは思うが、万が一水無月令がどこかのファミリーの者だった場合、オレの命が狙われることはじゅうぶん考えられる。こちとら10代目の右腕として、そして初恋に足掻く男として、簡単に殺されてやるわけにはいかない。
が、オレの予想に反し、水無月令は亜希子のすぐ手前で足を止めた。
オレまでの距離は約2m。殺気も感じないし、何かの武器を隠し持っている気配もない。
思い過ごしか、と気をゆるめた瞬間だった。

「……亜希子…………」

信じられないくらい、優しく慈しむような声が部屋に響いた。水無月令は、労るようにして亜希子に毛布をかけ、そのまま自身も屈む。
「……亜希子。あたしの…………亜希子」
その声はいつになく甘く、色っぽい。聞き間違いでなければ、水無月令という女は、亜希子に言った。
『あたしの亜希子』と。
オレの心臓の音が大きくなる。耳にまで鼓動が伝わって息苦しい。
だって、いや、まさか、様々な接続詞が去来した。だが、否定しようとするオレを裏切るかのように、水無月令は亜希子の頬に触れる。
そして、ゆっくり体を倒し――――――。

「ん……」

……ど、くん。

亜希子の唇に――――口づけたのだった。
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