金木犀の唄

□萌黄色
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昼休み終了寸前に教室に戻ると、ツナがこっちを向いて少し不思議そうな顔をした。
「よっ、ツナ。どした?」
「なんか山本、唇赤いけど……どうしたの?」
獄寺が、ちらっとこっちを見た。
「赤い?」
オレは親指で唇を拭った。
指先に、赤い線がつく。……口紅の名残。
――亜希子先生の、だ。
オレは、そっと指先に唇を押し当てた。さっきまでは“本物”としていたこと故に、よけいに切ない。思わずため息がこぼれる。
するとツナが、わずかに顔を赤らめた。
「? ツナ?」
「あ、ごめん! その、なんていうか……山本が、い、色っぽいことするなぁーと……」
オレは、今の一連の行動のどこに色気があったものかと首をかしげたが、突如ひらめいた。
「あぁ、そっか! ツナ、獄寺、オレ、好きなひとができたんだ」
恋をすると何かが変わる、そんな言葉を聞いたことがある。きっとそれが原因だ。
何だかうれしい。亜希子先生にも、男として意識してもらえるかもしれない。
少なくとも、“ただの生徒”からは脱したはずだ。
「えぇっ!? え、あの山本に、好きな人っ!?」
「けっ。野球バカが一丁前に色気づきやがって」
獄寺は予想通りまったく興味がない様子だったが、ツナは明らかに知りたがっていた。
オレは牽制の意味も込めて、笑って宣言する。

「亜希子先生」

………………。
間。

「ええぇええっ!? 亜希子先生って……教育実習の!? 橘亜希子先生!?」
「おう!」
「え……えぇええー……山本の好きな人が、亜希子先生……」
ツナはわたわたしているが、この様子だと“敵”ではないのだろう。
それより問題は、目を見開いてオレを凝視している獄寺だ。
「獄寺、どした?」
訊くと、気まずそうに視線をそらして沈黙を返す。
もし獄寺にオレと同じ感情がなければ、『野球バカじゃ相手にもされねーよ』くらいの皮肉は返ってくるはずだ。そう言えないのは、自分も同じ感情を抱いているから。
オレは獄寺が恋敵の一人だと知った。
そして獄寺も、オレが恋敵の一人だと知った。
まだまだ教育実習は始まったばかり。この3週間が終わった時、亜希子先生の隣にいるのは……オレか、獄寺か、それ以外のヤツか。
オレは気を引き締めて、睡眠学習に入ることにした。
「えぇっ!? 山本、衝撃発言の後はいきなり寝る体勢ー!?」
ツナの突っ込みが聞こえたのは、夢の向こうからだった。

*****

放課後、オレは緊張のあまりガチガチになりながらも、旧音楽室のドアを開いた。
そしてそのまま、言葉を失った。
ピアノの椅子に座って、閉められた窓を見ながら、切なげな表情をしている亜希子。その瞳はどこか遠くを映していて、憂いを帯びたため息が唇からこぼれる。
その様子に、見とれた。
と同時に、携帯の着信音が鳴り響き、オレは反射的にドアの後ろに隠れた。
オレは常にマナーモードにしているから、音が出ることはない。この着信は亜希子のだ。
「……令? ……うん。さっきはごめんね、いきなり電話しちゃって。ちょっと……声が聞きたくなっちゃって」
亜希子の声しか聞こえない。とりあえずオレは、息を潜めて会話が終わるのを待った。
「うん…………うん、ありがと。……ん。帰ったら話すよ。令も仕事、頑張ってね」
電話が終わったらしい。亜希子のため息が聞こえた。
若干の入りづらさを感じつつも、オレは今度こそ中に足を踏み入れた。
「……亜希子」
「獄寺くん」
心なしか、いつもより少しだけ元気のない笑顔で亜希子はオレに微笑んだ。
「何か……あったのか?」
亜希子は首を横に振る。それは『聞くな』という合図のようで、オレは口をつぐんだ。
本当はオレだって、少し焦ってる。昼休みに野球バカが宣言したのは、オレと同じ気持ちだったから。
「なぁ……亜希子は今、彼氏とか好きなヤツとかいんのか?」
平静を装って、オレは尋ねた。もちろんただの興味なんかじゃない。二人きりになるために“個人指導”などと言い出したのだ。
むしろこういった話をするのが目的だったと言っても、過言ではない。
「言っとくけど、興味本意とかじゃねーからな。……言いにくいんだけど、オレ、今……好きなヤツがいてさ。い、一応亜希子は大人なわけだし、その、お……女心ってヤツを聞きてーっつーか、なんつーか……」
あれ、何だコレ。
いざ亜希子を前にしたら、またヘタレたオレが顔を出す。
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