金木犀の唄

□牡丹色
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次の日。
朝っぱらから、オレは職員室の前をうろうろしていた。教師たちがぎょっとした顔でオレを見ては通り過ぎる。
今では、問題を起こしてばかりのオレに注意しようなどという教師はいない。皆、さわらぬ神に祟りなし、といった表情だ。
オレだって今さら、こんな場所に用なんてない。いや、用はあるにはあるんだが、この場所ではなくある人物にあるのだ。
それから約5分。
ついに目的の人物が現れた。
途端に暴れ出すオレの心臓。
ヤバい今日は昨日と口紅の色が違う。はっきりした色だけど、今日の方が少し淡くて甘い。
挨拶する生徒に返す笑顔が、胸をしめつける。
「亜希子ちゃんおはよー!」
「おはよう!」
「亜希子ちゃん今日もかわいー」
「ほんとー?」
「ほんとほんと! うちのクラス、かなり離れてんのに噂持ちきりなんだぜ!」
「なんか照れちゃうな。でもありがとう!」
くそ、なんでアイツらはあんな自然に話しかけられんだよ。ここはオレも自然に……自然に…………自然にってどんなんだよ!
オレが内心葛藤を繰り広げていた時だった。
「あ、獄寺くん!」
どきん!
「……よう」
オレはなるべく平然を装って、斜め下を見ながら言葉を発した。
「よりによってこんな、一番来なさそうな場所で、どうしたの?」
「……っ」
顔を、覗き込むな。艶っぽい目で、笑うな。
顔が熱くなる。抱きしめたくなる。壁に押し付けて唇を貪りたくなる。
「獄寺くん?」
「い……っ、一応昨日は亜希子も緊張してたみてーだからな! 授業、た……楽しかったってクラスのヤツらが言ってたって、教えてやろうと思っ、て……」
――何を考えてるんだオレは。
オレは、はっと我に返り、赤面したままうつむいた。
亜希子はうれしそうに頬を染め、髪に手をやった。
「わぁーうれしい! すっごく緊張しちゃって、内容もあんまり覚えてないくらいなんだ」
はにかむような笑みにすら、喉が鳴る。
……触れたい。もっと話したい。笑顔が見たい。
「わざわざ教えに来てくれたの?」
「……まーな」
「ありがとね! なんか朝からすっごく元気出た!」
オレはどうやったら亜希子と二人きりになれるか、考えた。
そして結論は、すぐに出た。
「あの……よ。頼みが、あんだけど……」
亜希子は何度か瞬きして、首をかしげた。
「うん?」
「その……さ。歌の、個人指導って……頼めるか?」
本当はこんなことを言い出すのは恥ずかしい。だが、これ以外に“二人きり”になる手段は思いつかなかった。
亜希子は顎に指先をあてて、数秒考え込んだ。
「……ん、いいよ。放課後の空いてる時間だけでもいい?」
オレは迷うことなくうなずいた。
一瞬亜希子が、からかうようにオレの眼を見る。
「……皆に知られずに上手くなりたいなんて、獄寺くんらしいね」
「……!」
そうか、そう思われたのか。好都合だ。
むしろ、理由を聞かれたらどうしようかと考えていたくらいなのだ。向こうの方から理由をつけてくれるなら、有り難いことこの上ない。
「だ、誰にも言うなよ!」
「えー、どうしよっかなー?」
……このバカ。誰かにバレたら、『亜希子ちゃんの特別授業ー』とか言って、他の奴らもついて来ちまうだろーが。
オレだってオレなりに必死なんだ。教育実習っつったって、それは現場で教師を学ぶために来ているのであって、遊びに来ているわけじゃない。
報告書やらレポートやら、亜希子自身の課題もきっとそれなりにあるんだろう。
亜希子の負担にはなりたくない。でも、少しでもいいから二人きりになる時間がほしい。
オレはすがるような目で亜希子に言った。
「……頼むから……」
すると彼女は、あわてたように両手を上下させた。
「うん、わかった! からかっちゃってごめんね! 獄寺くん可愛いから、つい……」
また言われた。このオレのどこが可愛いってんだ。
この女、視力足りてねーんじゃねぇのか。
……でも、一番視力足りてねーのはきっと。
「今日の放課後からでいいかな? 掃除が終わったら、旧音楽室に来てくれる?」
そう言って微笑む亜希子が、かわいくて仕方ないと思う、オレなんだろう。

*****

オレは朝練が終わって、ちょうど教室に向かっていたところだった。
いきなり後ろから、見知った声が届く。
「獄寺くんと話してたら遅くなっちゃったじゃない!」
「それはオレのせいじゃねーよ」
「ホームルーム間に合うかな?」
「余裕だろ」
亜希子先生と……獄寺?
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