月見草の恋

□常識という名の概念は大多数の嗜好による産物にすぎない
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突然、執務室のドアを蹴破って幹部共が雪崩れ込んで来た。
「ボス!!」
「葵!」
同時にヴァリアー邸のセキュリティシステムが作動を始め、目の前を赤い光がちらつく。サイレンが鳴り響く。
オレはサイレンに驚いて身を縮める葵を強く抱き寄せ、レベルを確認した。
セキュリティシステム・レベルS。
敵の数が多ければ、セキュリティに引っかかる数も必然的に増え、割り出されるレベルは下がっていく。しかし敵が少数精鋭であればあるほど、罠は回避されレベルが上がっていく。
部屋のスクリーンに映し出された階下の様子を見るに、敵は一人だ。それも幹部と同等か、それ以上の実力の持ち主。
あまりにも疾い動きに、カメラも時折ブレる。後ろ姿は、黒髪短髪黒いコート。汗ですべるのを防ぐためか、黒いハーフフィンガーグローブが見えた。
相手はまっすぐこの部屋に向かっている。
葵はオレの胸に顔を埋めて、初めての事態に戸惑っていた。
「ぼす…………」
「大丈夫だ。お前はオレが必ず守る」
とは言っても、相手は想像がつく。まだ敵の正体を把握していないカス共は、オレを囲むようにして戦闘態勢に入った。
ベルはドア付近を、ルッスーリアは窓の前を、フランは……ベルの近くで待機。カス鮫は、間合いの取れる部屋の中央で剣を構えた。ちなみに後ろにいるレヴィは、目を血走らせてスクリーンを凝視している。
「ぼす……、」
葵が何か言いかけた時だった。
――ついにこの瞬間がやってきた。
オレは久しぶりに手応えのありそうな客人に、片方の口の端を軽く上げる。
蹴破られたままのドアから入ってきた彼は、血液一滴も浴びていなかった。しかしカメラの映像では、廊下におびただしい量の血液と肉片が散乱している。
オレはスクリーンを消した。
万が一にも、葵に悪影響を及ぼすようなことがあってはならない。
そして侵入者の面を拝ませてもらう。なるほど、葵に目の辺りが似ている。
ヴァリアー幹部全員を前に悠然と立つ、長身の男。隠すつもりなど最初からない殺気を、オレに叩きつけるようにして睨む黒い死神。
こいつが、邦枝翔。
葵の顔はオレの胸に押し付けているから、敵の正体はわからない。オレは、葵をオレのものだと見せつけるように、さらに腕に力を込めた。
刹那膨れ上がる殺意。
ベルがナイフを投げるのを皮切りに、全員が攻撃を始めた。しかし邦枝翔はそれらを気にもとめず、オレだけを睨み付けて地を蹴った。
ベルのナイフを日本刀で薙ぎ払い、クロスオーバーステップでフランに短刀を投げつける。次ぐベルのナイフは、刀の角度を調節してベル自身に向かうよう払う。瞬きする間もなく、もう別の短剣が用意されていて、ルッスーリアとレヴィにそれらが放たれる。本数は、ダガーナイフとあわせ、目で追う限り23本。奴らが避けている隙に、邦枝翔はカス鮫と長刀を合わせる。
ガキィン、という金属音が耳を貫いた。
こんなに物が多い場所では、匣兵器を出すことはできない。ベルの嵐ミンクが出てきた瞬間に、部屋中が燃え上がるだろう。カス鮫のでけぇ鮫なぞ論外だ。出しただけで部屋の天井がなくなる。それ以前に葵に怪我をさせる危険性がある。
そんなわけで、各々自分の武器しか使えない状況下だが、匣兵器がなくともこいつらはそこそこできるはずだ。だが、邦枝翔はこの人数差を実力でひっくり返した。
葵がいるから、オレには一切攻撃して来ない。当然だ。自分にどれだけの自信があろうと、こいつは妹に危険が及ぶ可能性がわずかでもあるなら、決して刃は向けない。
故にオレは、何もせずに邦枝翔の力を見極めていた。
邦枝翔は、カス鮫の剣を長刀で封じている間にも、短刀で突きを繰り返し、ギリギリの攻防を繰り広げている。
ちなみにこれらの一連の流れは、ベルの攻撃から始まり、一秒に満たない時間で行われたものだ。そしてカス鮫が一瞬圧された瞬間、オレの目の前に奴が迫った。
底の見えない黒い瞳。
黒い死神の刀がオレの髪を数本切り裂き、黒革のブーツが机の上に蹴り下ろされた。
同時に見えたのは、幹部全員が邦枝翔の背後から奴を狙う静止画。
刺し違えても、葵を取り戻す。
その意志だけは、痛いほどに伝わってきた。

「――葵を返せ」
「――てめーら、やめろ」

邦枝翔の声と、オレの声が重なった。
こうして、息苦しい戦いは幕を下ろした。
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