月見草の恋

□名前をつけないと安心できない生き物が人間だ
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「ぱいなっ・ぽー」
「誰がですか」
どうしてこうなったんでしょう?

*****

久しぶりにイタリア邸に来た僕が部屋に向かっていると、向こうからちまちま歩いてくる、小さなジャッポネーゼに出くわした。彼女は確か、雲雀恭弥が車で連れてきた人だ。
黒くて小さくて、彼が好きそうな生き物だとは思うが、いざ本体で目にすると、彼女はかなり頼りなく見える。
壊したいと思うか、守りたいと思うかは、人それぞれだと思いますが。
僕は特に話をする気もなかったが、突然彼女は僕に向かって言った。
「ぱいなっぽー!」
「……失礼な」
思わず足を止める。彼女も足を止め、首をかしげながら再び口を開く。
「……ぱい・なっぽー?」
「違います」
この子が何を考えているのか、まったくわからない。しかも何かを考え始めたと思ったら、『ひらめいた!!』みたいな表情で堂々と胸を張った。
「ぱ・いなっぽー!」
「違いますって」
そして最終的に思い当たったらしいのが、先の呼び名。

「ぱいなっ・ぽー」
「誰がですか」
どうしてこうなったんでしょう?

とりあえず僕は、本気で僕の名前を勘違いしているらしい彼女に近付く。
すると彼女は、怯えたように何歩か後退った。
僕はしゃがんで視線を合わせ、ゆっくり説明した。
「僕の名前は六道骸です」
「ろく……むく?」
「あぁいや…………まぁ、そうです」
どうやら彼女は、人の名前を覚えるのが苦手なようで。僕はそこの訂正はあきらめて、先程の失礼な呼び名について尋ねた。
「僕の名前をぱいなっぽーだと思っていたんですか?」
彼女はこくんとうなずく。
「きょーやが、教えてくれた。むくの名前、ぱいなっぽーだって」
やはり彼の入れ知恵ですか。
クハッ、そんなことだろうとは思っていましたけどね。
「貴女の名前も教えていただけますか?」
黒い小鳥は、細い首をわずかに傾けて告げた。
「葵。邦枝葵」
邦枝……?
その響きに聞き覚えがあった僕は、いくつかの質問を投げかけた。
「貴女はどうしてここにいるんですか?」
「きょーやにさらわれた」
「……その前はどこにいたんですか?」
「ばりあー」
そういえば沢田綱吉が、顔を青ざめさせてヴァリアーがどうの雲雀恭弥がどうのと言っていた。もしや、その原因はこの少女……いや、この女性……?
「貴女の家族は……?」
邦枝葵は、大きな目をぱちぱちさせて、一言口にした。
「お兄ちゃん」
僕は目を細めて、全身黒に身を包んだ葵を見やった。童顔な上にあまり背が高くないから間違われるだろうが、彼女は立派な成人女性だ。
年齢はおそらく、20代前半。
「貴女のお兄さんの名前は……?」
「翔」
――邦枝翔。
僕はようやくその名前に行き当たった。
聞いたことがある。というより、つい最近耳にした名前だ。
黒いコートに身を包み、マフィアからチンピラまで、襲ってくる者は容赦なく返り討ちにする男。黒い髪に黒い瞳、20代半ばと思われるその男は、日本人だと聞いた。そして彼の後ろには、常に黒い少女が膝を抱えていたという。
その邦枝翔が、最近姿を消したらしい。同時に彼と共にいた少女も。
「今はね、お兄ちゃんとかくれんぼなの。むく、お兄ちゃんのこと知ってる?」
「えぇ、名前だけなら。それよりかくれんぼとは、どういうことですか?」
僕の束ねた髪の先で遊んでいる葵に尋ねると、彼女は首をひねった。
「ぼすが私を隠して、お兄ちゃんが私を見つけるかくれんぼ」
……さすがの僕も、読解不可能でした。
「お兄さんは貴女を捜してるんですよね? 貴女はお兄さんを捜してないんですか?」
すると彼女は、突如艶っぽい流し目を寄越した。
「――お兄ちゃんが私を見つけるまでの、かくれんぼ」
「それはどういう、」
「きょーやとぼすとお兄ちゃん。私は、私を見つけた人のとこにいるの。今はきょーやが私を見つけたから、ここにいる。……でもきっと、お兄ちゃんは必ず私を見つけるよ。だから、それまでのかくれんぼ」
ボンゴレ随一の戦闘狂に、暗殺部隊のボス、戦闘力の計り知れない強者の兄を手玉にとって、この女性はそれを『かくれんぼ』と言う。本人に悪意や悪戯心は欠片もない。純粋に楽しんでいるのだ。この『かくれんぼ』を。
久しぶりに、僕の背筋を寒いものが走った。
「貴女は――――」
言いかけた時だった。
「おい、チビ女!」
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