月見草の恋

□時間と頭は常に使うためにある
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その日オレは、不思議な生き物と遭遇した。
ヒバリの部屋のドアが少しだけ開いていて、そこから黒くて小さい何かがこちらをのぞいている。
ヒバリは任務で確か今日本にいるから、この部屋は無人のはずなのだが。
じいっとオレを見ている黒い瞳。
「…………」
「よっ!」
「…………」
無言だ。
普通にいつも通りに挨拶してみたものの、返事はなかった。
小さい黒いのは、ドアから目をのぞかせるだけ。出て来ることもなければ、逃げることもない。
オレはとりあえず、しゃがんで“それ”と目線を合わせた。
「はじめまして……だよな。オレは山本武ってんだ! お前は?」
“それ”はしばらくオレの顔を見てから、また少しだけドアを開けた。
見えたのは、黒い髪に黒い瞳の日本人らしき女の子だ。
「……邦枝、葵」
名前からしても、やはり日本人のようだ。オレはにかっと笑って、ドアの隙間から少女の頭をなでた。
「そっか! 葵はどうしてそこにいるんだ?」
オレがそう言うと、葵ははっとしたようにドアを閉めてしまった。
…………え、あれ、閉められちまった。
「おーい、葵ー」
呼んだが返事はない。
「おーい、葵ー」
呼んだが返事はない。
「おーい、葵ー」
呼んだが返事は「……たけし」……あった。
ドアがゆっくりと開いて、おずおずと葵が顔を出す。
「……たけし、……って呼んで、いい?」
オレは大きくうなずいた。
光の下に出て来た葵は、文字通り黒ずくめだ。ワンピースもタイツも黒一色で、どことなくヒバリを彷彿とさせる。
「葵はヒバリの親戚かなんかか?」
すると彼女は首を傾けた。
違うらしい。
「ツナにはもう会ったか?」
今度は首が縦に動く。
誰なのかはよくわからないが、ツナが許してるんなら置いておいていいんだろう。
「たけし」
「ん?」
「……立って」
言われた通りに立ち上がると、葵は目をきらきらさせた。
「たけし、背たかい! お兄ちゃんみたい!」
「おっ、葵には兄貴がいんのか」
「うんっ」
兄貴の話になったら、途端に葵は元気になった。
さらに、オレの時雨金時を見つけると目を輝かせて抱きついてきた。
「たけし! たけし、剣使うの?」
「まーな」
「すくと一緒! お兄ちゃんと一緒!」
一人はしゃいで、オレの胸に頭をぐりぐり押しつける葵。
何がしたいのかはいまいち不明だが、きっと彼女なりの喜びの表現なのだろう。というより何より、無邪気でかわいい。
オレは葵の頭をなでてやる。ついでに問いかけた。
「なぁ、『すく』って誰だ?」
葵は眉を寄せて、うんうん唸って考え込む。
あれか。ニックネームだけしか覚えていなくて本名を忘れた、ってやつか。
よくあるよな。
そう思っていたら、不意に葵がオレのスーツの裾を引っ張った。くいくい引っ張って、ぴょんぴょん跳ねながら懸命に伝えようとする。
その姿はさながら小型犬で、オレはうっかり葵を抱きしめてしまった。
「あ、悪い……」
でも彼女は気にした様子もなく、オレの顔をのぞきこんで告げた。
「すく! すくあろ!」
「すくあろ?」
「……っおーじとか、ぼすとかるっすとか、ふらんがいるとこの、すくあろ!」
オレの脳内変換が始まった。
『おーじ』は王子。
『ぼす』はボス。
『るっす』は……、ルッスーリア?
ということは、ここに出てきているのはヴァリアーのことだろうか。
だとしたら、『すくあろ』もとい『すく』は……。
「葵、スクアーロとも知り合いなのか?」
「そう! すく!!」
言い当てたオレに抱きついて、葵は飛び跳ねながらかすかに笑った。
……何だ、この胸のざわめき。
「たけし、たけしの部屋行きたい」
「お、おう!」
自然にオレの手を握って歩き出す葵に、抱きしめたい衝動に駆られた。
でもここはオレだって大人だ。ぐっとこらえて、自室に向かって歩み出す。
オレの歩幅と葵の歩幅が合うはずもなくて、オレはゆっくり歩いてやる。ちょこちょこと小刻みに足を動かして、隣を維持する葵を見て、オレは初めてある言葉の意味を知った。
「これが『萌え』か……」
何とも感慨深い。
葵はオレを見上げて、大きな目をぱちぱちさせた。
「もえ?」
「いや、こっちの話だから気にすんな!」
「……おう!」
返事までオレの真似をする彼女に、内心悶えたのは秘密だ。
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