月見草の恋

□この世は不条理と不合理に溢れている
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沈黙が、続いていた。
「…………」
「…………」
「…………」
「……う゛お゛ぉい、何か言えぇ」
「………………う、お゛ぅ?」
ここでオレの頭の血管が、一本ぶちっと切れた。
「う゛お゛ぉい!! てめぇはわざわざ人の部屋まで何しに来たんだぁ!? 物真似かぁ!!」
先刻報告書を届けに行ったら、いつもの3倍クソボスの機嫌が悪かった。いつもの3倍、物が投げつけられた。理不尽だ。
おかげでただでさえ短気なオレは、さらにぴりぴりしていた。そこへ来て、この女の謎の沈黙。
ちっこいし弱っちいし、おそらく10代前半だろうが、こいつの存在はあまりに不透明だ。いきなり現れてボスさんに気に入られて、何故かヴァリアーで暮らすことになっている。しかもやることなすことわけがわからねぇ。
「人いっぱい、だと怖い、から。……一人ずつ、あいさつ」
ここでようやく、この女の目的が見えてきた。どうやらただ単に、オレと話がしたいらしい。
「……う゛む。オレはスクアーロ、好きに呼べ」
「……すく。すくあろ! すく、お兄ちゃんに似てる」
オレはドアに寄りかかったまま、片方の眉を持ち上げる。
「兄貴だぁ?」
「うん! お兄ちゃんみたいに、優しい」
その台詞には、いささか疑念が生じる。今までのやり取りのどこをどう見たら、『優しい』などという単語が出てくるのだろう。
すると葵は、いきなりオレの腰に抱きついてきた。
「すく、すき! お兄ちゃんも剣つかうから」
「い……っいいいきなり何言ってやがるんだてめぇはぁ!!」
抱きつかれて突然『すき』とか言われたら、何だかどぎまぎしちまうだろうが。
もうオレもいい歳だが、こんなにも無邪気に他意なく好意だけを伝えられると、さすがに照れる。
「……兄貴は何て名前だぁ?」
オレは照れ隠しにそう訊いた。
「翔。きっと私を見つけてくれるから、それまでかくれんぼ! すく、お兄ちゃんに言ったらダメだからね」
言いたくても言えないが。
オレはひとまず、葵のちっこい頭をがしがしなでておいた。そのたびに目を細めて気持ち良さそうにしている彼女を見ると、やはり黒猫を彷彿とさせる。
「なぁ゛……」
「なに?」
くそっ、くりくりしたでっかい目を、きらきらさせながら上目づかいとか、卑怯だ。
うっかり心臓が、とくんと鳴った。
「あ゛ー……その、葵はオレが怖くねーのかぁ?」
「怖くない。すくの髪黒くして短くしたら、お兄ちゃんみたい。だから、すく、すき!」
「う゛お゛ぉい! てめーは兄貴に似てるヤツは皆好きなのかぁ!!」
ちょっとドキッとしてしまったあの瞬間を返せ。
オレは容赦なく腰から葵を引っぺがしたが、何故かここでヤツはねばった。
何度突っぱねられても、オレの腰に必死にしがみつく。
「……う゛ぉい、お前は何がしたいんだぁ?」
訊いてみたはいいものの、次に放たれた言葉に、オレは今度こそがっくりと肩を落とした。
「すく、一緒に寝よう」
「こんな時間から眠いなんて……てめーはいったいいくつのガキだぁ」
しかしここは不思議な居候邦枝葵。彼女は爆弾発言を投下した。
「ガキじゃないよ。22歳だもん」
「…………」
……………………22、歳?
二十歳と二年を足したら22?
この、ちっこくて黒くて頼りなくて小動物みたいなのが、22歳!?
「う゛お゛ぉい!! それは本当に葵の歳かぁ!?」
ぐっ、と突き出された親指を折ってやりたい。
「22にもなれば、っその……っ……い、一緒に寝ようとか、簡単に言うなぁ! 襲われても知らねーぞぉ」
すると葵は、こてんと首をかしげた。
「なんで? お兄ちゃんとは毎日一緒のベッドに寝てたよ。すくも一緒に寝よ。眠い」
……この歳になって、兄と妹が同じベッドで眠るというのは、果たして普通なんだろうか。
オレはしばし悶々と考えたが、いつの間にやらベッドにダイブしてぼふぼふ遊んでいる葵を見て、思考を放棄した。
「……仕方ねぇなぁ……」
葵は、きらきらした目を向けてくる。しかもさらに難度の高い要求を突きつけてきた。
「腕枕、して」
「はぁ?」
「お兄ちゃん、いつもしてくれたもん」
お前の兄貴はいったいどんな兄貴なんだ。シスコンか、シスコンなのか。
心の悲鳴を飲み込んで、オレはこの小さな姫のご要望に応えるべく、義手でない方の腕を差し出した。
うれしそうにそこに頭をのせる葵。そのまま熱を閉じ込めるように体をくっつけてくるから、オレは嫌でも意識させられてしまう。
ちょっと待て。
コイツはただの居候で、あのボスさんのお気に入りで、なんというか常識が欠如している。
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