03/11の日記

16:46
3.11
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まんまですが、あの日からもう一年なんですね
早いっていうのが最初の印象です
せっかくなので、当時の自分の状態を自分の記録としてつらつら書きます
僅かでも思い出したくない方はバックして下さい


思い出すとあの日の前日、私は友人とディズニーに行ってました
よく考えると、すごい偶然でラッキーだったと思います
もし一日違ったら、帰宅できなかったかもしれないから

翌日部活で学校に登校し、部活中に地震が起きました
その時はやけに大きい地震だな、と思いつつ、後輩達を避難させてましたが、すぐにまた地震が来たりして今何が起きているのか分からない状態でした

とりあえず全員校庭に出て、人数確認して、また校舎に戻って…と、やってる時は自分達や家族のことで頭が一杯で、東北地方がどうなってるとか全く分からなかったです

逆に、その方が落ち着きを早く取り戻せたりしたので、生徒間で大きなパニックが無かったのは良かったと思います

そして自宅が近い人から徐々に帰宅し始め、歩ける範囲内に住んでる人達も先輩方や先生方について帰宅して行きました

私は学校から比較的遠い地域に住んでるので、学校に待機しました
ある程度帰宅組がいなくなると、部活登校日だったので必然的に少人数になってました

この時周りにいたのが仲の良い、気の知れた友人らばかりだったのは幸いでした
おかげで程よく緊張感を保ちつつ、お喋りしたり、ケータイでニュースを見れる人は情報を伝えあったりして居心地が良かったです。緊急地震速報がなった時も素早く避難経路を確保し、指示を出しあったり出来たのも良かったと思います

お互い友人同士ということもあってか、毛布をとりに行く係や食糧をとりに行く係もスムーズに決まり、互いの部活の備品をしまうのを手伝いあえるのは良かったです
何より不快感が全く無く楽しく時間を過ごせたし、とても安心できました
あの時、ちょっとでも苦手な人や自分勝手な人が居たら、あの状態で楽しく時間を過ごすなんて無理だと思います

私は結局父が学校へ迎えに来てくれたので帰宅できました
でも友人の幾人か(学校全体だと百人以上)が学校に泊まりました

私は東京の学校だったのでこんなものでしたが、被災地の方の傷は未だ消えないと思います
そして私達に簡単に理解出来る傷でもありません

寄付などが少しでも力になれれば幸いです
いつか大人になって、被災地の力に少しでもなれれば良いと思います

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