* ふぞろい四重奏 *

□第三章 宿での出来事
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船が沖に出てチユウカの町も人も何も見えなくなったというのに、誰もいなくなった甲板で一人ベルガはまだ無意識に手首を触りながら、ただなんとなく揺れる波を見つめていた―


「よう、嬢チャン!どうした思
 い詰めた顔して。失恋でもし
 たかい?」

見ると船員だろう、重そうな荷物を抱えたヒゲ面で体格がいい中年の男が声をかけてきた。

“失恋”という言葉にはピンとこなかったが、気になった事を聞いてみる。

「この船ってどこに向かってる
 の?プル・コッギにはとまる
 かしら?」

「プル・コッギ?とまるわけね
 えよ、あそこは港町っつって
 も商いの規模が小さいからな。
 この船はス・パ・ゲティーって
 いうドデカイ港町までノンス
 トップよ!」


「ええーーーーっ!?」

思いもしない言葉に凍りつく…


( …ど、どうしよう… )

顔面は蒼白だ。


ベルガはあの時、井戸の縁に腰掛けて船を見たあの瞬間( あれに乗れば見つからずにカイトのところへ行けるっ )そう思った。

アルバ・ト・ロス城に一番近い港町プル・コッギで船を降り馬車に乗るだけ、後は王とコ・ウテイ・ペ・ンギー二人に対しての怒りがおさまるまでカイトに匿ってもらう…そういう作戦だった。それなのに…


なんせ立場が立場だ。たった一人で船に乗り、見ず知らずの町へ行くなどまるで想像もつかなかった。


( なんっっでこんなコトになっ
 ちゃうわけ〜〜っっ )

ベルガは自分の浅はかさを悔やんだ。


( 本当にこれからどうしよう…
 お金だってそんなに持ってな
 いし… )

ポケットの中で小さながま口のサイフを握り締める…


「ねぇ、このお金でそのス・パ・
 ゲティーって町まで行ける?」

「あぁっ!?」

男は開けられたサイフを覗き込んで笑った。

「嬢チャン。残念ながらこれっ
 ぽっちじゃ全く足りないぜっ」

「えっ!? そ、そうなの?」

一人で船に乗るのは初めてなのだ。ベルガは船旅の相場というものをまるで知らなかった。


ベルガの考え込む様子に男が心配そうに聞く。

「ひょっとして家出かい?」


そう聞かれてベルガは本当のことを言おうか迷った。自分は“フ・ラメール国の姫”である、そう言えばもしかしたら国へ送り届けてもらえるかもしれない。だが、二度も自分を騙そうとした王とコ・ウテイ・ペ・ンギーのことを思うと、このまま城に戻ることだけは絶対にしたくなかった。


( そうだっ!あたしが“姫”だ
 ってことだけ話して、用事が
 あるとかなんとか言って、フ・
 ラメールじゃなく、プル・コッ
 ギに降ろしてもらえばいいん
 だっ )

ベルガは早速打ち明けようとした。が、直ぐに思い止まった。


( 待って! チユウカの町でア
 タシが見つからなければ次に
 疑うのはおそらく…てことは、
 カイトのところに行ったらす
 でに待ち伏せされてるかも… )



「ハァッ…」

ベルガは一つ短いため息を吐いた。


( …あたしってつくづく浅はか
 だわ。とにかく捕まらずにチ
 ユウカを出ることさえ出来れ
 ばこっちのもんだと思ってた
 のに… )


『家出するから』

なんて大層なことを言っておいて、結局自分一人では何も出来ず、まだ怒りもおさまっていないというのに“あのふたり”の待つ城に帰らなければならないのかと思うと悔しくてたまらなかった…




と、その時…

ふと“あの事”が頭を過った―




( … そういえばあの町… 確か
 …何て言ったっけ?
 イ、イカ… イカ… イカル…
 イカルー … イ・カリ−、
 イ・カリーだっ!)

「ねえおじさんっ!おじさんは
“イ・カリー”って港町知って
 る?」

急に勢い良く喋りだしたベルガに驚きながらも男はこう答えた。

「あ、あぁ、もちろん知ってる
 さっ。何人もの漁師たちが行
 方不明になってるって、船乗
 りたちの間でも話題の町だか
 らな。… って、まさか嬢チャ
 ン、その町に行くつもりなの
 かっ?」


ベルガはニンマリと笑った。

「なんだってそんな町にっ!?
 なんか訳でもあるのかい?」

「えっ!? 訳?
 … えっっとぉ〜 そのぉ〜
 なんていうかぁ〜」

急な質問に、ベルガはゴニョゴニョと口籠もった。

『家に帰りたくないから謎解き
 に行くことにしました』

なんてことを言ってしまえば、引き止められるのは目に見えている…


明らかに動揺しているベルガに男が言った。

「どうやら相当な訳があるみた
 いだな」


「…え!?」

男はとても単純な人間のようだ。一人で勝手に納得してくれたらしいとベルガは拍子抜けすると同時にホッと安堵した。


「… けどよっ、そいつは無理
 な話だと思うぜ。あの海域は
 今みんな避けて通ってる。ど
 の船に乗ったって行けやしな
 いぜっ」

「そうなのっ!?」



ベルガは腕組みをしてしばし沈思した…


「ねえっ、イ・カリーに一番近
 い町はどこ?」

「だいぶ離れるが“エ・ミュー”
 って港町だ… ひょっとして
 陸路でいくつもりかっ?」

ベルガはキラキラと瞳を輝かせ、満面の笑顔で真っ直ぐに男を見つめた。



「本気みたいだな…
 よっしゃっ!! エ・ミューま
 でならこの船で連れてってヤ
 ルよ。あそこはそこそこ大き
 い町だからな、それなりの商
 売はできるだろうし。船長に
 掛け合ってやるよ」

「ホントッッ!?ありがとうお
 じさんっ、じゃなくて…」

「ギャ・クサンだ」

「ありがとうギャ・クサン!
 あっ、でも…」

ベルガは持っていたサイフに視線を落とした。
“イ・カリーの町を目指す”という降って湧いた発想につい興奮して、船旅に十分な持ち合わせがないことをベルガはすっかり失念していた。


「なーにっ、つまらないことは
 いいっこなしだ。
 長いこと世界を回ったが、嬢
 チャンみたいな髪や瞳にお目
 にかかったのは初めてだから
 な。“いいもの”見せてもら
 ったよっ」

サイフの中身を気にする素振りを見せたベルガに、ギャ・クサンはそう言って屈託なく「ガハハッ」と笑った。



「本当にありがとうっ!!」


― っ!?////

ベルガはギャ・クサンに近づいて頬に軽くキスすると、とびっきりの笑顔を見せた。


―!!!



ベルガからの突然のキスに驚いた38才独身のギャ・クサンが落とした重い荷の音が、オレンジ色に染まる船上でひどく響いた―
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