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□約束なんてしなくても
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今日の夜は酷く憂鬱だった。と言うのも、家で派手に家族と喧嘩したからだ。先程の出来事を思い出せば思い出す程腹の底からムカムカして、そんな怒りはいつの間にか悔しさに変わって、顔の表面にも涙となって表れた。
だからもう家になんて帰ってやんない。探し回られても知らないよ。まあそんな事を言ったって、慌てて飛び出してきたから少しの金が入った財布と携帯しか持ってないのだけれど。

どこか遠くに行きたくても、こんな海沿いの家の近くは本数の少ない電車が1つあるくらいで。でもとにかく何処か行きたかったから、駅のホームから電車に飛び乗った。


「(これからどうすっかな…まあでも、終点に着いてから考えれば良いか…)」

お金もないし行く宛もないし、不安だらけだったけれど、怒って泣いたせいか急に眠気に襲われた。端の席が空いていたのでそこに座り壁に頭をもたれる。赤也の意識はすぐに飛んでいった。







「終点ですよ、お客さま」

「んあ…?…あ、あれ、もう?」

何か夢を見ていたようなふわふわした意識が、肩を揺さぶられたせいか急激にはっきりしてきた。
赤也の目の前には車掌が居り、眠りこけた赤也を特に咎めるような様子もなく柔らかく微笑んでいた。


「(男なのにキレイな人だな…)」

それが最初に浮かんだ言葉だった。男は車掌と言う職が似合わないと思わせる程端正な顔立ちだった。
車掌は鼻声みたいな声でアナウンスするおじさんと言うイメージが赤也にはあったのだが、この人の顔立ち、そして低くともすっと耳にはいる声。寝ないでアナウンスを聞いとけば良かったと思わせる程だ。


「家出でもするつもりなのか?」

「え…な、何で分かって…?」

起こしてくれた事に一言礼を言い、電車を降りようとしたら、急に顧客対応とは思えぬ事を言われ赤也は振り返る。とっさの嘘も、流す事も出来ない程不器用で、赤也はあっさりと認めてしまった。

「家には帰った方が良い。きっと親御さんも心配している」

「嫌だよ!もう帰んないって決めたんだ!」

赤也の質問には答えず、男は警告をする。いきなり指図された事に腹を立てて赤也は声を張り上げた。それでもこの人は冷静で、余裕があってそれが何だか悔しかった。


「…仕方ないな、おいで」

「はっ!?ちょ、離せよ!どこ連れてくんだよ!」

小さなため息を着いた後、男は赤也の腕を引っ張り車両を歩き始めた。家出少年だと警察に突き出される事を恐れて赤也は抵抗したが、景色は前へ前へと進んでいってしまった。



「ここに居て良いよ。君の家の最寄り駅まで、だけど」

男が案内してくれたのは先頭車両の運転席だった。これから折り返しで出発すると言う。今の時間は空いていて客も少ないし、上司の厳しい監視もないから特別だと言われた。
真横で運転する様を見せられた驚きのお陰か、赤也に先程までの怒りとか悲しさは頭になかった。

「でも良いんすか…これってマズイ事なんじゃ…」

「そうだな…客に告げ口でもされたらクビだな」

「えええぇっ!?めちゃくちゃマズイじゃないっすか!何で…」

再びこの人に疑問が浮かんで何でと問うが、男の意識は既に操縦に向いており、答えてはくれなかった。
こちらの事は見透かすくせに、こちらの質問には答えてくれない、少し意地悪な人だ。だが、赤也がここにいる事は、男の最大限の優しさを表していた。



「運転席から見ると全然ちがうんすね」

いつも見ている景色…いや、毎日通りすぎるだけで気にも留めていなかったそんな景色が、今は全然違って見える。
見えなくなる所まで線路は続いていて、町は外灯と民家の明かりで少しだけ明るかった。海の方は真っ暗で、海が黒く変化したようで飲み込まれそうだった。それが少し怖かった。
こんな事、今まで思った事もなかった。


「でも、いつも同じ景色ばっか見て飽きないんすか?」

「そんな事はないよ。町の景色は毎日少しずつ変わる。線路沿いの畑や花が変われば季節の移り変わりを教えてくれるし、乗客も毎日変化していく」

「ふーん…そんなもんすかねぇ」

赤也の問いに男は快く答えてくれた。ただ、毎日刺激を求めて過ごす赤也にとっては、男の語る楽しさはあまり分からなくて、流れていく景色を見ながら適当に相槌を打っていた。


「それに今日は隣に君がいるじゃないか」

「えっ?俺…っすか?」

「とても楽しいよ」


先程まで難しい事ばかり話していた男の口が、赤也にもわかるくらいはっきりとした表現をした。
赤也が驚いて男を見れば、男もまた微笑んで赤也を見る。
男の言った“楽しい”と言う言葉が、自分と一緒に居る事なのか、仕事が楽しいと言う事か分からなくて、赤也はまた惑わされる。男は柔らかな物腰だが、何を考えているのかさっぱりわからなかった。



「(もう次か…早いな)」


その話が終わってからは、一言二言の他愛ない会話を何度か繰り返した。そんな事をしていたら、赤也の最寄り駅の近くまで来てしまった。
あと少しだけ、ここに居たいな。そんな事を心の中で思う。一般人は乗る事が出来ないこの場所が新鮮だからか、それとも隣で運転している男の横に座っていたいのか…答えなんて決まっているけれど。
最寄り駅はもっと先だと嘘吐いて、このままここに座っていようか。どうせ、何時に帰ったって怒られるのは変わりないのだから。



「ここだろう、君の家の最寄り駅は」


男が慣れた手つきでブレーキレバーを傾ければ、電車はきっちりとホームに引かれたラインの場所に停車した。
だがそんな事に感心する間も無く赤也はまた男に心を見透かされたようだ。どうして何でもかんでもこの人は知っているんだろうと、疑いの目を向けてしまいそうだ。


「気を付けて帰るんだよ」

「あ、ち、ちょっと…!」

運転席のドアを手動で開かれてしまったら、降りざるを得ない。流れのまま赤也はホームに立たされていた。そんな赤也に男はまた優しく笑って業務に戻った。乗客が全員乗った事を確認すると、1人で運転席に戻ってしまった。
赤也は何一つ分からないまま、暗闇へ抜けていく電車を見送っていた。

あの男に起こされてから今までの数十分間がまるで夢だったように、リアルな感じがしない。

あの人は何であんなに優しくしてくれたんだ?
何で俺の最寄り駅まで知ってるんだ?
名前は?年は?

何もかも分からなくて、せめて名前くらいはきちんと名札を見ておけば良かったと後悔する。


てゆうか、クビになったりしないよな…?

自分のせいでクビになられたらどうする事も出来ない。あの男に関する様々な事が気にかかって、もう家に帰ったら怒られる事なんてどうでも良くなっていた。




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