少年陰陽師

□第十六部
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《か、顔を上げて下さい!桜宮様!》

 がたがたと轅を揺らしつつ言ってみれば
晴霞の肩がぴくりと反応して
そろそろと上げられた面はとても素直な表情をしていた

車之輔の声はちゃんと届いたのだ
まだ顔を上げたままの状態で呆けている晴霞は
急に車之輔が喋ったことに本当に驚いているらしく
すぐに戻るかと思われた表情は未だ変わっておらず
車之輔を穴が空くほど見詰めているだけだが

《やつがれは、その、元々気が弱いところがありまして、ですから、えっと、》

 みるみる内に車之輔の眉が下がっていく
聞いている内にすっかり情けない顔ができあがってしまっている
無意識に力が入っていた手から余分な力が抜けて
晴霞の顔に自然な表情が戻ってきた

この妖車はなんと優しいのだろう
やはり主と式には似た気性の者が集まるのだろうか
苦笑とも取れる笑みを口に浮かべ
優しい式の轅をなぞるように撫でる

「ありがとうございます車之輔殿。それと、苗字ではなく名前で構いませんよ」

 手を元の場所に戻してにこりと笑う
すると車之輔は嬉しいやら照れているやらどちらともつかない様子となった
一応ではあるが落ち着いてもらえたらしい

ちらと空の色を一瞥すれば
赤々とした夕暮れの色はすでに無く
見える範囲の色は藍色へと移っていた
これは、早めに戻らねばまた面倒なことになるやもしれない

《空の色が随分と変わってしまいましたが譲刃様は大丈夫でしょうか?》

 心配そうな車之輔が今しがた晴霞の考えていたことを言い当ててきた
やんわりと頷いて晴霞は膝を突いた時と同じく流麗に立ち上がる
車之輔、雑鬼と別れの言葉と「孫言うな」を言い置いて
渡るはずだった橋へと登り
ふと思い出したように川に視線をやれば
水面を斑な薄紅に染める花びらが目に付いた

もうじき、桜も散り終わる


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