少年陰陽師

□第一部
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 ――――――時は平安
夜の帳が降ろされた都に薄桃色の花弁が雪のように降り積もっていく
誰かが広げた静寂に賑やかさを忘れた路地をひた走る影が一つ

(まずい、見失いそう)

 濃紺の布地に三日の朧月と桜吹雪が描かれた浴衣の裾を乱しながら走る影は
まだあどけなさを払いきれない少女であり
その名を朱陰門晴霞と言った

草木も眠る丑三つ時
誰もが怯え恐れるそんな時刻に晴霞が外を走っているのにはちゃんとした理由がある

「危ない!昌浩!」

 今迄走っていた大通りから脇の細い路地に差し掛かった時
晴霞の耳朶を聞き覚えの無い声が叩いて直
図ったように襲ってきた衝撃に為す術も無く吹き飛ばされ
風の無い中に微かな砂煙を立たせた

「ったた・・・・・」

 不本意にも仲良くした地面を遠ざけるように上体を起こし
軋むような感覚のある肩に手をやる
情けないことに受身を取ることもできず肩から着地した上
どうやら痛めてしまったらしい

「あ、ご、ごめん!気付かなかった!」

 そういえば倒れこんだのは自分だけではなかったと
思い出したように声のしてきた方へと顔を上げれば
自分を吹き飛ばしたであろう少年が
半身を起こしたまま立ち上がろうとしない晴霞へと歩み寄り
申し訳なさそうな声と顔でこちらに手を差し伸べてくる

「立てる?」

 少年の顔と伸ばされた手に何度か視線を往復させる
手を伸ばした理由を疑うわけではないが
面識の浅い人物に対して決して警戒心を抱かないわけではない
手を取るべきか否か迷いはしたものの
躊躇うように手を取ると腕を引いて立たせてくれた
怪我が無いか掛けてくれた声に大丈夫だと返せば
不安そうだった少年の顔に安堵の色が広がった

「貴方こそ怪我は?」

 本当は怪我はしてしまっているが口に出さないほうが賢明だろう
自由になった手で浴衣に付いた砂を叩き落としつつ
晴霞は少年の様子を窺う

「俺も大丈夫。良かった何も無くて」

 少年の歳はさしずめ十五といったところか
濃い目の狩衣を纏った身体は小さく
晴霞と然程差が無いように思われる
面差しにはどことなく幼さが残るが
表情や口調の端々に意志の強さが顔を出してきている

「・・・あ!」

 前触れはあったにはあったが対処し切れなかった事態に気を取られてすっかり忘れていたが
自分が今どのような状況下にあることを思い出した晴霞が
勢い良く小路の先を振り返り
圧し掛かるような夜闇に目を凝らす

(しまった見失った・・・!)

 思えば獲物を追っている最中だったのだ
遥か遠い小路の先に獲物の姿を探す
それらしき影どころか
夜闇の中にはただ静寂が沈むばかりで
動くものは一切見受けられない

突然ばつが悪そうな顔をした晴霞の視線を辿り
同じように小路の先に目を凝らした少年が
こちらを向かないままそう尋ねてくる

「まあ、ちょっとね・・・」

 尋ねられたとして正直に言えるわけもない
少年の問いに言葉を濁した晴霞であったが
ふととある考えが脳内に浮上し
晴霞は目を瞬く

「・・・・・そういえば、貴方こんな所で何してるの?」

 小路の先に遣っていた視線を訝しげに歪ませたまま少年に振ってみると
たちまち少年の態度に今迄無かった焦りが生じたのを晴霞は見逃さなかった

「俺?俺は、ちょっと散歩をと思って・・・」

 小路の先からこちらに戻った少年の目が明後日の方向へと流れていく

「こんな夜中に?そんなのを二人も連れて?」

 あからさまに狼狽える少年に詰め寄ろうと一歩を踏み出したところ
誰かに後ろから浴衣の襟を掴まれ
力任せに強く引き寄せられる
驚きに漏れた声に伴って翻った髪と袂が
やがて元のように大人しくなる

「近寄るな」

 怒気を孕んだ声が降ってきたのは頭上
血の気が引くようなそれを追って恐る恐る上げた目がかち合ったのは金色の鋭い瞳だった
ざんばらの紅い髪が縁取る顔は不機嫌に凄んでおり
凍てつく様なそれにまずいという考えが頭を過ぎる
まさか襟首を掴まれるとは思ってもみなかった

「紅蓮!一般人に手を出しちゃ駄目だって!」

「これが一般人か?」

 異様に長身な青年を制するべく発された少年の声が
素早く唱えられた異に勢いを失う

「何言ってるのさ、どう見たって」

「俺の姿を見て騒ぎ立てないのが普通の人間かときいている」

 異を唱えられながらも諦めずに放たれた言葉が今度は青年によって遮られる
尚も言い募ろうとした少年であったが
しかし何かに気付いたようだ
対抗するように寄っていた眉根がしわを失って迷ったように曇る

「俺を見て騒がなかった人間がどこにいた?」

 青年の言葉が決定打となったのだろう
停止した少年の動きに
今度は晴霞の中に焦りが生じる
ここで正体を言及されるのはまずい

「それと、さっきの言葉はどういう意味だろうな。・・・なぁ、答えられるか?」

 墓穴を掘ったと
晴霞に今更ながらに後悔の念が押し寄せる
青年は相も変わらず襟を離さないし
もう一つある気配はずっと後ろで睨みをきかせているし
少年は固まったまま微動だにしないしで
晴霞の胸中で焦りが急激に面積を広げていく
 
その時

(―――――!)

 いかにして逃げ果せるかに思考を巡らせていた晴霞の琴線に何かが引っ掛かった
あんなにも動きにくかった状況を忘れて動かした視界に映ったのは
先刻見失った筈の獲物であった
しかもあろうことかこちらに向かって突進してきているではないか

 シャン

晴霞は下手な動きを制限されているにも関わらず
音が鳴らないように隠していた黄金の輪状の鈴を振り上げると
声を張り上げるための空気を大気に求める


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