挿話録集
□西国挿話(屯所挿話録番外編)
2ページ/4ページ
手に抱えた子猫を側に立つ子供に手渡し、家に帰るよう促すと腕組みをして、威嚇するように己の呼び寄そせた女を見上げた。
「一体、そこで何をしている?」
「何って…、分からないの?」
「………お前は俺にけんかを売ってるのか?」
「頭領に?まさか、そんな恐ろしい事……」
そう言って両頬を押さえて怯えて見せる千風の眼は、笑っていて…
風間はチッと小さく舌打ちをする。
この女は昔からそうだ。
この俺に怯える…という事がない。
俺が西の鬼の頭領である事を知る者も、知らぬ者も俺の持つ気に怯む者が多いと言うのに…
この女は怯むどころか、俺と対等であるかの如くの口を利き、今のようにからかいの言葉すら吐く。
ある意味、不知火と似ている…とも思うのだが、不知火に感じる腹立たしさを感じないどころか、それが心地よいと思うのは惚れた弱みか…
「どうせ、木の上で立ち往生していた猫を助けようとして登った…
そのような所であろう?」
「その通りよ」
コロコロと笑う声が上から降りて来るのを風間は鬱陶しげに首を振り腰に手を当てた。
「ならばもうよいだろう?いい加減に降りてこい」
女とはいえ、千風も純血の女鬼。
木登りはもとより、登った木から飛び降りる事などたやすいことだ。
だから、『降りろ…』と言われた千風もそれに当り前のように受け止め着地点を定めようと枝から身を乗り出し、下を見下ろし……
動きを止める。
そこ……
千風が飛び降りるだろう地点その場所に、腰に手を当て仁王立ちの風間の姿。
「千景……退いてくれないと…」
「何故?」
「何故って…?」
「飛び降りたお前を受け止める事すら出来ない柔な男に見えるのか?」
「う………」
そう言って、両手を広げた風間に、千風はカッと身体をほてらせた。
いや、身体は元から熱い。
ここ数日続いた発熱の名残が今だ身体に篭っている。
今、熱くなったのは心…。
両手を広げ自分を見上げている深い紅を彩る瞳は、千風がこの時代に呼ばれる前の…
あの頃の風間とは違う。
まだ、冷めた表情の下にほんの少し、がむしゃらさを滲ませた十代の青年とは…
「千風」
同じ色合いなのに違う光りを湛える瞳が再び、促す様に名を呼び…
ガサッ…
千風は答える事なく、滑らせるように、その身を宙に躍らせた。
※※※※※
音も無く振る雪のようにふわり…と降りてくる細い身体は、その下で佇む男との腕の中へ吸い込まれる。
前回里を出てからどれだけの日が経ったのだをうか…
腕の中に滑り込んできた身体をそっと、だがぎゅっと抱きしめる。
それに合わせて白い細い腕が風間の首に回され、相手がここにいる事を確かめる如く互いの纏う空気を吸い込むと、
鼓動が早まって行くのを押さえられない。
だが、その鼓動すら止めてしまうほどの、険のある声が低く響いて……
「お前…、身体が熱いぞ…。熱があるのではないのか?」
「大丈夫よ、三日ほど寝込んだだけで治りかけてるから」
千風の首筋に顔を埋め、その温もりに頬を寄せた風間の強張る声に、
千風は何でもない様に切り返す。
、
単なる発熱だから。
嘔吐したわけでも、痙攣を起したわけでもない。
三日間、横になってだいぶ下がったのだから…
風間が騒ぐほどの事じゃない……
千風は自分の顔色を覗こうとする風間から逃げるように更に首に回した手に力を込めた。
自分を見つめるその眼差しの熱は変わらないのに…
いや、それすらも変わっているのかもしれない…
憧れや思慕の交じった…ただ己の気持ちだけを相手にぶつければ良かったあの頃の…恋。
それは…
時と超えて呼び寄せる程の強い想いで千風を見詰めながらも…
己の抱えた責務…
その背に背負う責任の為に愛しさと同じ位に苦しみ
あの頃から惹きつけられた私の心は…時を超えて、また同じ男に囚われた。
だけど…
私は風間千景に恋してもよかったけど、
“呼ばれし者”は、鬼の頭領を愛してはいけなかったのかもしれない。
抱き止めた腕のたくましさが…、手を回した厚い肩幅が…
かつて見知っていた青年が…大人の男へと変わった事を千風に知らしめさせるのに…
私はあの頃と変わらない…
ううん、あの頃以上に千景の役に立たない女になってしまった。
………、千景は私を呼び寄せるべきではなかったのよ……
胸の奥に潜む小さな怨嗟の塊が悪しき熱となって、喉元を競り上がってくる。
「ゲホッ、ゲホッ…」
熱が苦しげな咳となって喉から吐き出され、思わず風間の肩を握り締めた。
「無理をするな…と言っておいたはずだが…?」
冷たい言葉とは裏腹に、咳込む背中を擦る手は酷く優しくて…、千風は泣きたくなる。
この手は…私の物にしては、いけない物なのよ…
「こんな身体……、このまま、熱に溶けて無くなればいい…」
「戯言を…、お前がいなくなると都合が悪い…」
千風の背を撫でる風間の手に少し力が籠る。
「祝言を挙げる………」
ぽつり…と漏らされた言葉に
千風はドクン…!と大きくはね上げさせ、その後きりきりと痛みだした心臓に堪ええるように顔を強張らせた。