挿話録集

□西国挿話(屯所挿話録番外編)
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切り立った山並みを越え、澄み渡った渓谷を渡れば見馴れた種類の木々が増えて…

鬱蒼とした木々を抜けて、突如開けた盆地の光景に風間はまぶしげに眼を細めた。


目の前に広がる田畑は実りの時期を間近に控え、実りの輝きに満ち、里を貫く川は変わらぬ清いせせらぎの音を紡いでいる。

その向こうにに里を守る漆喰の壁が張り巡らされ、中を覗く事すら敵わぬ堅固の守り。

奥から立ち上る煙は…敵を知らせるものではなく、夕餉の為の火のものか…

いつみても変わらないその情景に…

故郷へ戻ったて来たのだ、と感慨深く里の空気を吸い込む。
湧きあがった想いに…いつもの自分らしくない…風間はくっ、と口端を微かに上げた。


薩摩藩の命でこの里を離れてから幾歳経ったか…
無論、己の里の事をほったらかしていたわけではないが…三年…、四年…の長きにわたる。


下等な生き物の“人間”の争いなど一片の関心もないと言うのに…
恩義を返す…ただ、それだけの為に…
どれだけの時間を取られたと言うのだろう…


だが…
それに見合うかどうかわからぬが、
興味の引かれる奴等と出逢えたのも事実…。


人間に対する思いは変わる事無い。
が……
下等な生き物であるなりに、懸命に生き、己の運命に抗おうとしている…と認める事が出来る位にはなった。


それも奴らに…あの女に、会ったからか……

鬼になりかけている女。
時を超えて呼ばれた女。



京で出逢った女の、
自分を睨みつけた青灰色の瞳を思い出し、
やがて
その瞳が、似ても似つかない色の瞳と重なる。


どうにもならぬ定めを背負いながらも、
前を向く、向こうとする姿は……


似ているのかもしれん……


くくっと風間は薄い笑みを口唇に乗せ、それを隠す様にその口唇を手で覆う。


あの男も……、手のかかる女を選んだものだ。


だが……


と、そこまで物想いが来た所で、風間の足が止まる。
その紅く光る眼が里の門の脇へと向けられ…


そこには……



※※※※※




大きな樫の木を取り囲む子供たちが心配げに木の上を見上げているのが見えて…

風間は静かに近づいていき同じように上を見やる。

何かがいるよな気配はある…。
その見知った気配に、
自分に近しい者の気配に風間は眉根を寄せた。

 
 
 
「何をしている…?」
「う、うわぁ!?」
「お、お館様!?」


前触れなく声をかけられた鬼の子供たちは、心底驚いたように飛び上がり振り返る。

そこに今は里にいないはずの頭領の姿を見つけ、飛びのく者、満面笑みを浮かべる者…
だが、いろんな表情に共通するのは、何故か困り果てている事…

それは、まるで悪戯を見つけられそうになっている瞬間のようで…


様々な顔を見渡し、風間は小さく息を吐いてみせて再度、問う。


「何をしている?……と聞いたのだが?」
「え、っと……」


互いに顔を見合わせ口籠る子供たちに、冷めた一瞥をくべると、側にそびえ立つ樫の木をもう一度……


ひゅん…!



見上げた木の葉のかげから、黒い塊が飛び出し…?飛び降り…?
風間の方へ落ちて来た。



「あぁ!!」
「な!?」


がしっと、顔に飛び降りられる前に受け止めたそれは……


にゃあ……


生まれてさほど、経っていないだろう子猫。
風間の片手にでも納まるだろうそれを見詰め、その目を木の上に向けた。


「そこにいるのだろう……?」
「……………」
「あ、あの、お館様!!」
「お前たちは黙っていろ」



返事の無い木の上に業を煮やした風間が眉を軽く釣り上げたのを見た子供たちがアタフタと言い訳しようと騒ぎ出す。
それを制した風間が無言のまま見えない木の上の枝を見詰める。



「千風…、お前がいる事を俺が分からんとでも思うか?」


それでも暫しの沈黙の後……
微かな溜息…ともとれる呼吸の音が聞こえ…
木の葉を除けて風間の目に映ったのは、白い細い指と、するり…流れ落ちた漆黒の髪。
 
 
 




「ばれてたの?」
「お前…俺を誰だと思っている?」


未だ顔を見せず、からかいの声だけの木の上に苛立ちの眼を細めると、クスクスと楽しげな笑い声が降りて来て…


「千風……」
「存じてますよ。
あなた様は我らが西の鬼を束ねる偉大な鬼の頭領…でしょ?千景ちゃん?」
「千風!!」


コロコロと笑いだした声と共に木の枝の間から覗かせたのは、

陶器の様に白く滑らかな肌を少し紅潮させ、
艶やかな長髪と同じ位に楽しげに潤ませた漆黒の瞳。
紅を引いてもいない口唇は薄い桃色…


その口唇が嬉しそうに弧を描いた。



「お帰りなさい、千景……」
 
 
 
 
 
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