小説2

□卒業
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少し早く学校に着いてしまった静雄は、人影のない体育館へ向かった。

体育館に入ると、きっちりと整列されたパイプ椅子が1000脚以上並んでいた。
先日二年生が面倒くさいやら、腕が痛いやらと、文句を言いながらも、それでも卒業生を思って並べたものだ。

静雄は級友の名前を覚えていないが、その一人一人にそれぞれの思い出があって、それぞれの想いがあることは知っている。

うるさいくらい元気でよく笑うあの人は、先輩に相談にのってもらったから感謝していると。
字がとびきり上手いあの人は、先輩に部活に勧誘されてから学校が楽しくなったと。
よく集会で表彰されていたあの人は、格好良くて優しい先輩に今日告白するのだと。
いつしかそうやって楽しそうに話す声を聞いたのを思い出し、どこか寂しさを感じた。
高校を卒業するということは、接点がひとつ無くなるという事だ。
どれだけ先輩を尊敬していても、好きでも、仲が良くても、次第に疎遠になってしまう。
きっとその人は、心から先輩を愛してるのだろう。
そしてきっと、遠くなってしまった距離を苦しい程嘆くのだろう。
自分の経験したことのない感情の筈なのに何故か容易に想像できてしまって、どこかで悲しむ人が居るのだと思うとつられて静雄も悲しくなるのだった。
――いや、本当は、現在進行形で経験しているのだ。
あろうことか、大嫌いである筈のあの天敵に対して…。

愛して、愛されて、
嫌って、嫌われて、
近づいて、離れて、
傷つけて、傷つけられて、
そうやってまた強くなって。

不安の中に差し出されたその手はあたたかく見えて、なのにそこには自分の入れない世界があって。
触れていいのか心底戸惑う。
だから触れたことなんてなかったのだ。
振り払って、押しのけて、別れが恐くて、それなら出逢いも無ければと逃げて、逃げて、逃げて…。
向き合ったことなど一度もなかった。

「…出会わなけりゃ良かった」

…なんて心からそう言えれば良かったんだけど、と続けて呟く静雄。
雨の音以外聞こえないこの広い空間には、よく声が響いた。



「誰に?」



…だから、その声が聞こえたときは驚きのあまり心臓が止まるかと思った。

「…臨也!?」

足音なんてまるでなかった。
気配もいつもならすぐ分かるのに、今は全く感じなかった。
自分が呆けていたせいか…?
などと思考を巡らしているとその青年は静雄にゆっくりと近づいてきた。

「一応俺は年上なんだから呼び捨てはどうかと思うんだけどなぁ?」
「…るせぇ」

黒に身を包んだ青年は口の端を吊り上げて笑った。
静雄が最も嫌う笑い方だ。
そしてそれを当の本人――折原臨也も知っている。
それもまた、相手を振り払うための行為なのだった。

「…卒業生が体育館に来るには早すぎるんじゃないすか」
「そうだね。まぁ今現在全校生徒がHR中な訳だから、来るのが早いのは君もなんだけどね」
「えっ…!?」

壁に掛かった大きな時計を見上げると、HR開始時間から10分が過ぎていた。

「…始まるまでには教室にいくつもりだったのに…!」
「あはは、君何分間ここに居たのさ。何か思うことでもあったの?」

挑発的な臨也の視線に嫌気が差す。
だが、いつものように憎まれ口を返すことはできなかった。
静雄が思っていたのは他でもない、目の前の男のことなのだから。

静雄と臨也は今までまともに会話できたことがない。
臨也は他校の人間を誘導し、静雄に喧嘩をふっかけさせる。
そして、逃れる術を知らない静雄は暴力で対処する。
その姿を臨也は観察し、楽しむ。
臨也の所為でこんな生活になってしまった静雄は、臨也を憎み、恨み、何度も傷つけ合った。
――そんな、最悪な関係だ。

黙ったままの静雄に違和感を抱き、臨也は続ける。

「何?もしかして、俺が今日で卒業しちゃって、遊んでもらえなくなるの寂しいなー、なんて考えちゃった?」
「…っ!!ばっ、んな訳ないだろ…!て、手前ぇの顔を見なくて済むと思うと清々するっつーの!!!」

臨也は、顔を真っ赤にして言った静雄をニヤニヤしながら見ていた。
――どんな関係であれ、静雄はどうしようもなく臨也のことが好きなのだ。
本人だって薄々感づいている。
会ったら苛ついて殴りたくなるのに、離れれば顔を思い出してしまう。
腕を引かれ顔が近づいた瞬間心が揺らいでしまう。
ただ言葉にしたくないだけで、強がっているだけで、恋慕の感情があるのは事実なのだ。

また黙り込んだ静雄を見て、臨也は遠くを見つめて言う。
それは戦っているときの爛々とした目ではなく、別れを惜しむような憂いを帯びた目だった。

「…あぁあ、ずっと君と遊んでいたかったなぁ。学校行ったらまず、君にどんな嫌がらせをしようか考えたりさ。君と殺し合いの喧嘩をしたりさ。毎日がすごく楽しかったよ」
「……はっ。俺はうざったくて仕方なかったけどな」

吐き捨てるように言う静雄。
その姿を見ても尚臨也は表情を変えず、ステージの上に飾られた学校の紋章を見上げていた。

「……さっきさ、出会わなけりゃ良かったって心から言えれば…って言ってたよね」
「っ!!…何のことっすか」
「言ってたよね。聞いちゃったよ」
「かわいそうに、幻聴が聞こえる程頭がおかしくなっちまったんすね」
「ちょ、話きいてる?…まぁいいけど」

臨也は呆れたように苦笑した。
二人はいまいち噛み合わない会話を懐かしく感じていた。
毎日繰り返された戦争は今日をもって終了する。
これからは臨也はこの学校には登校せず、静雄は今まで通りこの学校へ向かう。
人生の岐路を同じ方向へ進むことはきっとないだろう。
今日以来会うことはないのだ。
――もしかしたら、もう会えないのかもしれないのだ。

「それってさ、別れるのが辛いから会いたくなかったと思う反面、良い思い出もできたから会えて良かったとも思える…ってことだよね」
「…………だから、俺はそんなこと…」
「君はその人のことが好きなんだね」
「……」

――言葉が見つからなかった。
静雄は今までずっと、その言葉から逃げてきたのだ。
あいつが嫌いだ、あいつが憎いと何度となく言い聞かせ、自分の感情に蓋をしてきた。
見ないふりを続けてきた。
はっきりと自覚してしまえば我慢できなくなるから。
気持ちを伝えてしまえば今の関係が壊れてしまうから。
喧嘩相手で良い。
天敵で構わない。
それでも、離れていってしまうことだけは嫌だった。
その感情を、隠していた本人に、突きつけられてしまった。

――…終わりだ。

静雄の衝撃は言葉にできない…否、言葉にする必要のない程表情にでていた。

「君はずっとその人に恋してればいい」

そう言って臨也は初めて目線を下ろした。
紋章からステージへ、椅子へ、そして自分より少し目線の高いその顔へ。
ひどく衝撃を受けたその表情も、しっかりとこちらを見ていた。
死刑判決を受けたような絶望が、表情から滲み出ていた。

「君、友達なんて居ないだろ?まぁその原因は俺にある訳だけど…それで、俺が居なくなったらきっと誰にも相手してもらえないだろうからさ。これでも一応心配してんだよ?登校拒否でもするんじゃないかって。でも…誰かを想っているのなら、それでいい。きっと大丈夫だ」

何を言っているのだろうと思った。
原因は俺にある?
心配している?
なんだその、臨也らしからぬ言葉は。
それにその言葉は、まるで静雄が自分のことを好きだと知らないかのような口振りだった。
まるで、他の誰かが好きなのだと思っているような…。

「君はその人をずっと好きでいればいい。ずっと追いかけていればいい。そしたら、金輪際俺は君に会わないであげる」

静雄は、真剣な表情をする臨也をじっと見つめていた。
脳内は真っ白で、何を言っているのか上手く理解できない。

「それともあれかな?その人は俺と同級生で、今日卒業するのかな?それなら追えばいい。一部では君がかっこいいとかなんとかって噂されているからね。ちゃんと気持ちを伝えれば成功するはずさ」
「…お前は、何を言ってる?」

臨也の抑揚のない言葉に終止符を打つ。
それは、怒りを抑えているような、焦りに満ちているような、そんな声だった。

「言っただろ?心配してるんだよ」
「お前は……」
「…何?」

静雄は、言う。
少し躊躇ってから、耐えられなくなって、言う。

「……お前はそれでいいのか」

――金輪際会わない

それがどれだけ自分にとって恐ろしい事なのか、静雄は分かっていた。
それがどれだけ苦しい事なのか、痛い程分かっていた。

「もう会えなくて、目が合ってもきっと無視しあって、そんな関係になっても、お前は耐えられるって言うのか?」
「耐えてみせるさ」

臨也は、不敵な笑みを浮かべて言う。
少しも躊躇わず、絶えず、思いを紡ぐ。

「ちゃんと聞いてくれ。今から言うのは嘘のない、俺の正直な気持ちだ」

そう言って、自身の細い指を静雄の頬に優しく触れさせた。


「俺は、君に会えて本当に良かったと思っているよ。そして……君は俺に会うべきじゃなかったとも思っている」

その矛盾した言葉は臨也曰わく、正直な気持ちだった。
静雄が言った『出逢わなければ良かったと心から言えれば良かったのに』という物と似ていなくもなかった。

「君と会ったおかげでたくさん手に入れた。君が作った傷だって一生残ってしまえばいいとさえ思ってしまう程だ。別れは辛い。でも、今までの楽しい時間の対価だと思えば妥当なものだと思う」
「…何故、俺が臨也に会っちゃいけなかったと?」
「……君は、純粋すぎる。真っ当に生きるべき人間だったんだ。俺なんかに振り回されるんじゃなく、誰かと幸せに過ごしてるべきだった」

臨也の手が頬から離れる。
そして薄く笑った。
それは自嘲的で傷心的な笑みだった。


「ねぇ、きっとさ。俺はシズちゃんのことがどうしようもなく好きなんだね」
「……っ、なら……!!!」
「だからこそ。良い機会じゃないか。俺も、君も、お互いの関係から…卒業だ」

お互い嫌いあって、
お互い憎みあって、
お互い想いあって、
お互い愛しあって、
最終的には、お互い決意した。

それぞれの道を歩み、それぞれの幸せを探すために、
選ばざるを得ない選択肢を運命に従って選んだ。

二人とも、分かっていた。
いつかは別れなければいけないこと。
一年という二人の間にある差はいつまでも縮まらないこと。
覚悟ならばとっくにできていた。

だけど。
でも、それでも。

別れは辛いものだから。
軽い気持ちでできることじゃないから。
覚悟なんて、顔を見れば揺らいでしまうから。

引き留めたくなる感情を抑えて、涙ぐみながら見送る。


「…やっと会わなくて済むんだな」
「はは、そうだね」

臨也が一歩退く。
その距離はずっと縮まることはない。



「ばいばい、今までありがとう」







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