小説

□雨の音
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「雨すごいねー」

静雄は新羅の声に振り向いて窓の方を見る。
しとしとと降っていた雨脚が段々と強くなっていく。
自分達と同じように廊下に居た生徒達は慌てて下校しようと歩を進めていた。
その様子を見て、静雄はなんだかウンザリした。

静雄は雨が嫌いだ。
これと言った理由も無いのだが、晴れているときのサッパリした感じが好きだったし、ジメジメとした雨の風景を快く見ることがあまり出来なかった。
湿った髪、傘で狭くなった道、鉛色の空。
その全ての景色達が静雄をいつも憂鬱にさせるのだ。
――何ひとついいことなんて無い。
そんな固定概念が静雄の中に強く根付いていた。

「なんで雨なんか降るんだよ…」

そう呟くと、静雄の気持ちを察した新羅が気を利かせて声をかける。

「案外すぐ止むかもよ?」
「こんだけ降ってんだし無理じゃねぇか?…走るか?」
「俺一つ傘持ってるよ。入る?」
「俺はいいわ。新羅が使えよ」
「風邪ひくよ?」
「大丈夫、ひいたことねぇし。」

そんなことを言いながら階段を下りていると、1人の生徒が此方に視線を送っていた。
裾の短い学ランを身に纏い、妖艶に笑うひどく顔の整った青年。

「やあ、新羅」
「あ、折原くんか」

自然と耳に入ってしまったその会話は静雄の気分を余計に重くさせた。

――折原臨也。
彼は静雄に変な渾名を付け、静雄の悪い噂を流し、ヤクザに静雄を襲わせ…
とにかく静雄の嫌がることばかりしてきた者だ。
当然静雄は、知らぬ間に着せられていた複数の濡れ衣は臨也が仕向けたものだと分かっている。
ならば静雄は当たり前にこう思うだろう。
『ムカつく』、と。

裏の世界を上手く操る折原臨也と、
力のリミッターを知らない平和島静雄。
この2人は幾日も幾日も喧嘩をして、暴れ、追いかけまわった。
だからこそこの2人は、来神高校の『近寄ってはならない奴』として有名になった。
…いや、なってしまった。

静雄はまったくそんなの望んでいなかった。
ただ平和に、静かに、穏やかに暮らしたいだけだったのだ。
静雄は『こいつのせいで』と、臨也のことを憎んでいた。

だが今はもう喧嘩…いや、殺し合いをする気力もない。
早くこのどんよりとした空気の中から逃げ出したい。

「…俺先に帰るわ」

静雄は盛大に舌打ちをかましてやりたいのをこらえ、まだ臨也と軽い会話を続ける新羅に告げた。

「えっ!?僕も帰るよ!!」
「いい」

静雄は寧ろ「来ないでくれ」と思っていた。
…新羅が来たらあいつも来そうだから。
静雄が逃げるように校門へ向かっていると、思っていた通りの嫌な声が聞こえてきた。

「俺も一緒に帰っていいかな?」
「…あぁ?良い訳ねぇだろうが。来るんじゃねぇよ」
「ははっ、シズちゃんはつれないなー。傘持ってないんでしょ?俺持ってるから入れてあげるよ」

その言葉を聞いて、静雄のウンザリとした気持ちはより一層強くなった。

何故こんな奴と相合い傘なんかして帰らなきゃならないんだよ、気色悪ぃ。
そんなの濡れる方がよっぽどマシだ。

そう考えていると…
ヒィィィィン!!

遠くから馬の嘶きが聞こえてきた。

「……首無しライダーか」
「セルティ!!!」

その音を聞いた者達は三者三様の反応を示した。

『あれが都市伝説の…』と興奮する者、
『首無しの化け物が…』と恐れる者、
『友人が来た…』と親しみを示す者。

新羅と静雄は言わずもがな三つ目の者である。

――だが臨也は三つの内どれにも当てはまらない。

敢えて言うならば、『一人類としての興味を向けている』…と言ったところだろう。
『何者なのか?』
『本当に首から上が無いのか?』
『なんの為にここに居るのか?』
『あの真っ黒なバイクにはどのような細工が施されているのか?』
『…まず、人間なのか?』
……数々の知識欲が臨也の目を輝かせる理由になっていた。
そんなとき…

「ぼっ、僕セルティと帰るよ!じゃあね!!」
「おい!!」

新羅はそう言うと慌てて運動靴に履き替え、校門前に止まった真っ黒いバイクのそばまで駆けていく。
その3秒程後に、新羅は思い出したように急に振り返る。

「あ、折原くん!静雄が風邪ひいたら治すのは僕なんだからね!ちゃんと傘貸してあげてよ!!」

そう言うと、新羅は雨も気にせず走っていってしまった。

「……………」
「…………………」

2人の間に長い長い沈黙が落ちる。
だがその時、この2人が全く逆の事を考えていたなんて誰も知らないのだった。

――最悪だ。
――チャンスだ。


「…だって。これじゃあ、雨に濡れて帰る訳にもいかないねぇ、シズちゃん?」
「……………はぁ…そう言うなら俺に傘を寄越せ」
「横暴だなぁ…普通は持ち主が使うもんでしょ?」
「じゃあどうしろってんだよ」

静雄はかなり投げやりにそう言った。

「どうするって…だから相合い傘を「誰がするかボケ、死ね」

臨也が言い終わる前に罵倒する静雄。
相当苛ついているようで、額には血管が浮かび上がっている。
すると臨也は肩を竦めて溜め息を吐いた。
静雄が最も嫌う、臨也の嘲笑い。

「はぁ…じゃあ仕方ないなぁ。傘、シズちゃんが使ってよ」
「は?」

その声を聞いた刹那、静雄の手元に折りたたみ傘が投げられた。

「俺は傘の中に入らないからさ」
「お前は使わねえのか」
「しょうがないでしょ?」
「…………」

静雄は何かモヤモヤした気持ちのまま靴を履き替えた。

紺色の傘を広げ、屋根の下から空を仰ぐ。
外は少し小降りになっていたが、濡れて帰るには寒そうだ。

「………やっぱりお前が使え」
「だからいいってば」
「良くねぇよ、お前こそ風邪ひくだろうが」
「…何?心配してくれるんだ?」
「なっ、ち、違ぇよ!俺のせいで風邪ひいて責任とれって言われても困るから…っ!!」

からかうような臨也の言葉に透かさず言い返す静雄。
焦ったような言い方に、臨也は自然と笑みがこぼれた。

「そっか。ありがと。でも俺もシズちゃんに風邪ひいてほしくないから、傘使ってほしいな」
「……手前ぇ言ってることめちゃくちゃだな」
「矛盾してるよ?でもどちらも本当」

だからさ、と続けながら臨也は静雄の耳元に口を寄せた。

「相合い傘しよ?」

お互いの空気に沈黙が流れ、やがてそれはすぐに途切れた。

「…………風邪ひかない為、だかんな」

静雄は顔が赤くなっていくのを感じながら傘を広げ、臨也を待つ。
その姿を見た臨也はにっこりと微笑み、ありがと、と呟いた。





「お前もっとあっち行けよ」
「やだ。濡れちゃうじゃん」
「………はぁ、うぜぇ…」

――溜め息を吐く。

そんな重々しい空気の中で臨也と草花だけは笑っているようだった。
雨を、この時を待ち望んでいたかのように。

傘が雨を弾く音が聞こえる。
ポツポツ…という不規則な、それでいて心地良い音色。
雨に濡れた七分咲きの桜並木は、花びらから滴る雫がキラキラとしていてすごく綺麗だった。
きれいな景色を共に見て、他愛もない会話をしたり…静雄にとって驚く程穏やかな時が流れていた。

考えてもみれば静雄は初めてだった。
こんなに長い間臨也の近くに居たのも、
こんなにちゃんとした会話をしたのも、
こんなに臨也と話していて苛つかなかったことも。
周りの人から見れば、信じられない光景。
本人達からしても、驚くべき光景。
不思議で、不気味で、それでいてあたたかい空間に包まれているのを確かに感じていた。

横を見れば、色の白いきれいな顔立ちが此方を向く。
至近距離で見る臨也の顔は初めてなのでなんだか変に感じていた。
いつも嘲笑うその大嫌いな表情は、すごく優しくて、少し目が細められていた。

―――幸せそうで、華やかなその笑顔。

見とれていると、何?と臨也に問われる。
ハッとして目線を下ろしたが既に遅く、臨也に問い詰められる。

「なぁにー?俺に見惚れちゃったー??」
「バッ、馬鹿じゃねぇのお前!そんな訳ねぇだろ!!」
「ぷぷっ、分かった分かったー」
「…………ちっ」

優しい微笑みを浮かべる臨也。
なんだか静雄は疑問に思った。

――今日の臨也は変だ。

そう思ったことをそのまま口にする。

「……なんで手前ぇ…今日そんなに変なんだ?」

なんか変なもんでも喰ったか、と付け足すと臨也はいつもの表情に戻った。

「……ははっ、馬鹿じゃないの?俺が食べ物で変に?なる訳ないでしょ、そんなの!」
「そうか、そんなに殺されたいのか。」
「嫌だなー。俺に自殺願望なんかないよ。ていうか今日はやめよう?こんな日ぐらい一時休戦でいいじゃないか」
「…………今日だけだからな。」

吐き捨てた静雄の言葉はすぐに消えていった。

「ねぇシズちゃん……俺さ、…こんな日が毎日続けばいいなって思うんだ」
「はぁ?」

今度こそ頭がおかしくなったかと思ったが、続く臨也の言葉に思考が停止した。


「俺、シズちゃんが好きだよ」


不意に言われたその言葉は頭に響いていつまでも木霊していた。
頭の中から消えない……。

「…何言ってるんだ?」

どういう意味にしろ、なんだかすごく恥ずかしくなって地面を眺めながらそう言う静雄。

――俺、シズちゃんが好きだよ
――シズちゃんが好きだよ
――好きだよ…

「好き…って」
「そのままの意味だよ。好きだから…俺はシズちゃんに嫌ってほしかったんだ」

意味が分からない。
好きの意味も分からないが、好きだから嫌ってほしいという気持ちも理解できない。

「喧嘩もシズちゃんとなら楽しかったよ。シズちゃんに俺を刻み込めるから」
「…何言ってるんだよ?」
「…分かんない?」

遠い目をして薄く笑う臨也。
それは嘲笑でも微笑でもない…
悲しげな笑い方だった。

「近づけば近づく程離れがたくなる。だから途中で離れようとした。…でも忘れられなかったから」
「……?」


真剣なその表情にあまりにも引きつけられて、目が離せなかった。

「いつか本当に辛くなるって分かってた。それでも俺は……そばに居ることを選んだ。」
「臨也…」

全く分からない感情、
全く分からない状況、
それでも臨也が真剣なことだけは伝わってくる。
きっと臨也は今、心と戦ってる。

すると、自然と2人は道端で立ち止まっていた。


「……お馬鹿なシズちゃんには意味分かんないよね。ははっ、ごめーん」


さっきと同じ人物とは思えない、満面の笑みで静雄の顔を見る。

別人のような…さっきのは幻だったのかと思う程の明るい声や、表情。
だが静雄には無理しているようにしか見えなかった。
辛さを奥に隠し込んだその笑顔を見ている方が辛くなる。


――辛い。
そんな表情するなよ。
なんだか俺まで…
………いや、そんな訳ないだろ?
何考えてるんだ俺…

「単細胞なシズちゃんが真剣に考え事してたら頭爆発しちゃうよ?」
「……んなに、馬鹿じゃねぇよ」

少なくとも、自分の気持ちに気付けるくらいにはな。

そう心の中で呟くと、すぐにその言葉は奥に沈んでいった。

別れ道に突き当たって、2人が立ち止まる。

「あ、雨止んできたね。丁度いいや。…じゃあ俺こっちだから!!」
「おぅ」

パタンと傘を閉める臨也に軽く相槌を打ち、見送った。

「…そうだ」
「あ?」

1・2歩歩いた所で臨也が振り向き静雄の方へ向かう。


「じゃあね、シズちゃん」

そんな臨也の声が聞こえた瞬間、お互いの唇が重なり合った。


「お前…ずりぃよ」


早くなった鼓動を誤魔化す雨の音も
もう無くなっていた。

(雨が止んだら、)


(そこには『好き』と言えない恋がありました。)









作者の実体験に近いものがあったので、
脚色して書いてみた。

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