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□ミカタ
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君になら
「昨日は無断で早退とは、いつからこんな不真面目生徒になったのですかねえ綾辻君」
朝早く、清々しい気分で登校した和輝に始めに飛んできた言葉は「おはよう」の挨拶ではなく嫌味なバリトンの声であった。
まだ人の少ない時間、靴箱前の廊下はよく声が響く。
和輝は床につま先を叩きつけて靴を履くのを止め、恐る恐る顔を上げた。
笑顔だ。
是非ご遠慮したい笑顔がそこにある。
蓮二並に背の高い男、桐谷先生は口角を痙攣させながら和輝に近づいた。
和輝はどんどん見下ろされる形になる。
「昨日は午後から大事な物理の授業があったということ、もちろん知っていましたよね? 綾辻君」
「あ、はい。すみません……」
ちなみにこの大事な物理の授業というのは実験だとかテストだとかではなく普通の授業である。
一回出席しなかったくらい、教科書さえあればどうってことない。
「本当に反省していますか?」
「しています、していますよ」
眼鏡の奥の瞳が鋭く輝いている。
和輝は一歩後退ったが、踵に壁がぶつかりそれ以上後ろにはさがれない。
しかも運の悪いことに、すぐ傍が柱であるために左方が塞がっているのである。
右方は職員室、逃げ場がない。
「そうですか? 大事な授業を無断で欠席したのですから、それ相応の誠意を見せてもらいたいものですね。放課後に補習……いや、無断で欠席した生徒のために私がわざわざ補習を開くというのも妙な話ですね、それを聞いた生徒がわざと無断欠席しかねません。どうしましょうか」
――俺が女子なら補習をするつもりだったのかな、この野郎は。
前に蓮二が苦虫を噛み潰したような顔をして「桐谷って女子になら本当に甘いんだから! 反吐が出る!」と言っていたのを思い出すと、和輝も反吐が出そうな思いになった。
当の桐谷はというと「レポート、レポートがいいですね」と勝手に納得している。
和輝はとうとう観念して、課題でもなんでもやってやろうじゃないかとやけになったその時、救世主は右方から現れた。
「桐谷先生、生徒が何かしましたか」
和輝がすぐに振り返ると、そこには睫毛の長い瞳を薄く開いた伊角の姿があった。
手には大きな封筒。
武器を持っているわけではないがどこか迫力があり、桐谷も思わず和輝と距離を開ける。
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