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□空を見上げるわけ
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【2013年双子誕、双子17歳時】
「それ。いつから吸ってるの、ハーレム」
その時、その瞬間は、そう声を掛けるのがサービスには精一杯だった。
「…わすれた」
冬の夜の冷たい風が揺らすカーテン。
そんなベランダと真っ暗な室内を隔てる、たった一枚の薄布がまるでヘブライ聖書にあるジェリコの壁であるかのような錯覚を覚えるほど、そっけない返答。
嗚呼もうすぐ、日付が変わるのに。
去年の今頃、彼はとても嬉しそうにしていたのを鮮明に覚えている。戦場に出ることを許された歳を迎える時だったからだ。
青の一族の人間が士官学校に進まずただの一兵卒としてガンマ団に入団するなど、異例中の異例。にも関わらず、サービスも2人の兄達も異議は唱えなかった。そうなることは誰もがとっくに分かっていたから。
「そうだ。今度昇官するんだぜ、俺」
「マジック兄さんから聞いてるよ。明日はそれも一緒にお祝いするんだって、言ってた。…おめでとうハーレム」
言ってしまってからサービスは少し後悔した。たった1年で兵卒から、たとえまだ下士官クラスであるとしても昇官出来るなど並大抵の事では無い。なのにハーレムがちっとも嬉しそうにしていないことに、直ぐには気付けなかったからだ。
「…ねぇ、寒くない?」
「さみぃ」
「部屋、入りなよ」
「したらオマエ怒るだろ、煙草くせぇって」
「怒らないよ。だってここはハーレムの部屋じゃないか」
「いいんだよココで。空、見ながら吸うのが好きなんだ」
「フーン…」
気まずさから変えた話題。
相変わらず返答はそっけなかったが、よくよく考えれば自分たちの会話はいつもこんなものだった筈だ。なのにそう感じるのはこの1年殆ど会わなかったからかそれとも、何かが変わってしまったからか。
「…お」
ピッ、と短い電子音がした。
それはハーレムがしていた腕時計からのもので、彼がまだ戦闘服に身を包んでいたことを今更のようにサービスに認識させる。
「0時だ、サービス。17歳の誕生日おめでとさん」
「…ハーレムも、誕生日おめでとう」
振り返ったハーレムがカーテン越しに祝いの言葉を告げる。その表情は、室内からでは窺えない。
「フタゴのお兄様にプレゼントは?」
「無いよ。ハーレムだってそうだろう?」
「ああ、無いな」
そう言いながらハーレムは2本目の煙草に手馴れた様子で火を着けた。小さな炎が僅かな間だけハーレムの顔を照らし、しかしすぐに消える。
代わりに季節外れの蛍のような灯りが、ゆらゆら、ふわふわと宙を舞った。
「じゃあそれ、欲しいって言ったら…どうする?」
指差したのは、その儚げな灯り。
カーテン越しで良く分からなかったのだろうハーレムは、暫し黙り込んだあとで困ったように首を傾げた。その様子があまりに頼りなげで、あまりにもアンバランスで。
サービスはもう迷わずに、カーテンを引いてベランダへと踏み出した。
「ねえハーレム」
「何だよ」
「泣けないの?」
「…あ?」
建物全体をほのかに照らす人口の明かりの下、漸く直に顔を合わせる。
そうして問うた内容は更にハーレムを戸惑わせたようだった。
「小さい頃は戦場を映したニュースを見てよく泣いていたよね。“いっぱい人が死んでる”って言ってさ」
「幾つの、ときの話だよ。それにオマエだって泣いてたじゃねェか」
「父さんが無事かどうか不安だっただけだよ。ハーレムみたいに、他人の為に泣いてた訳じゃない。…ねえハーレム、もう一度聞くよ。“今は”泣けないの?」
「…今、は…」
そう呟いたきり黙ってしまったハーレムから、サービスは煙草を奪った。驚いた顔をするハーレムの目の前でそれを銜える。
そうして吸い込んだ毒の煙はサービスの肺を満たした後、ゆっくりと吐き出された。
「結構キツいの吸ってるね」
「サービス、」
「あ、皆にはまだナイショなんだ。もちろん兄さん達にも」
「いつ、から?…ってか、なんで」
「去年の夏くらいかな。ハーレムが居た隊にね、士官候補生が補給訓練を兼ねて同行した事があったんだ。そのとき」
――遠くで空を見上げて、ひとり
――ぼんやりと煙草を吸うハーレムが
――泣いているように見えて
だから何となく自分も吸うようになったのだと告げれば、ハーレムは呆れたような、それでいてバツの悪そうな顔をしたかと思えば、次の瞬間には煙草を奪い返されていた。
「泣けないんじゃねェ」
「ふーん?」
「泣かねェって決めたんだ。少なくとも戦場では、絶対に」
まず戦場での同情は即、死に繋がる。
一瞬でも同情し、或いはそれが原因でためらったその結果を、彼は(己は)身を以て知っている。
「それと」
「それと?」
「…あー……やっぱ、いい。言わねェ」
「なに。気になるよ」
「だってよォ…」
奪い返した煙草を銜えて一口、二口と吸う合間にも、ハーレムは言葉を探すように唇を薄く開いたり閉じたりを繰り返していた。
結局その煙草が短くなってしまうまでハーレムは声を出すことも無く、フィルタだけになってしまった煙草を灰皿へと放る。
そのまま室内へと戻るハーレムの背を追いかけようとして、サービスは足を止めた。
ハーレムが急にこちらを振り返ったからだ。
「まだ、殺したことねェんだろ?」
「…無い、よ」
それは決定的な違いだった。
初めに覚えた錯覚。
双子の間で変わってしまった何か。
その答え。
ジェリコの壁は、ここにあったのだ。
「だったら、言うだけじゃ、言葉だけじゃ分かンねーよ」
「そう、なんだ」
「ああ。…まあ、そのうち分かる」
「…そうだね」
「その時は、酒でも飲もうぜ。一緒に」
差し出されたハーレムの手を、戸惑いがちに握り返す。もう今度は何も言えなかった。
それを察せられたのか、ハーレムも何も言わずただ、その手を引き寄せ抱き締められた。
嗚呼こんなにも近いのに、今は遠い。
――ねえハーレム、分かってる?
――君は“今は”戦場に居ない
――なのに泣かない、その意味を
震える腕の、その訳を――…
何も言えず、何も問えず。
一筋の涙だけがサービスの左頬を伝った。
【いま、少しだけ分かったよ】