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□きみが教えてくれたこと
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【2012年リッ誕、特戦期】


――優しくされた記憶なんて、遠い遠い昔のものしか思い出せない。


長兄の優しさには父が死んで以降ある種の義務感が纏わりついていて、当時はそうと気付かずに反発ばかりした。

善悪の区別がつかない次兄の優しさ、なんてものは(当人は大真面目だったのだろうが)到底理解し難いものばかりだった。

双子の弟にはそんなもの望むべくも無く。

だからハーレムが知っている「純粋な優しさ」というものは、幼い頃に包まれた父の腕の暖かさの記憶に直結する。

数十年前の、僅かな記憶の断片。
そうして優しくされたおぼろげな記憶はあれども、逆に「優しくする」となればもうどうしたら良いかとんと見当もつかなくて――…





「隊長?」

「…あ?」

「どォしたンすかボーッとして。紅茶、冷めちまいますよ?」


リキッドの声と共に周囲の喧騒も耳に入ってきて、ハーレムは思わず目を瞬いた。
そう言えば買い出しついでに喫茶店に立ち寄ったのだったと、他人事のように思い出す。


「…オメーこそ、鼻にクリーム乗っけて気付かねェってどうよ」

「げ、マジ!?」

「嘘だよバーカ」

「バカじゃねえもん!!」


もはや脊髄反射並みに憤慨するリキッドだが、「嘘だ」と言ってやっているにも関わらずしきりに鼻の頭を擦っているのには苦笑せざるをえない。

それも、大きなパフェを目の前にスプーンを握りしめながら、だ。傍目には只の親子にしか見えないだろう。


「…なァ」

「はい?」

「その…悪かったな、誕生日と任務が被っちまって」


こういう乙女イベントをありがたがるリキッドが、密かに(と言ってもバレバレではあったが)楽しみにしていたのは知っていた。

任務の命を下してきたマジックも、元来家族的な行事を大切にする性格であるから「申し訳ないのだけれど」とわざわざ前置きを添えていた。

せめてもと出立を半日先送りにし、買い出し名目で2人連れ立って街にくり出し、混み合っていて時間の掛かりそうな表通りのカフェを避けて、何とか腰を落ち着けたこの店に残念ながらケーキは置いていないと知ったのは、メニューを広げた後だったのだ。


「んー…別に気にして無いっすよ?なんつーか、隊長とこうして普通に街に出れること自体が貴重だし、パフェも美味いし」


気にしていないというのなら、何故その笑顔は寂しそうに歪んでいるのか…――そう問いかけて、やめた。


「さんざ祝いの言葉は貰ったし、つーかまだ腰痛いし?もう色々腹一杯ってゆーか。あ、給料返してくれれば言うこと無いかな」

「…無駄遣いしねェように俺様が管理してやってんだよ」

「ハイハイ、もうホイミに投資してんだと思って諦めてるっつの。はー、ゴチソウサマっした!…隊長、その紅茶完ッ璧冷めてンじゃないスか?」

「紅茶ってのは少し冷ました方がうめーんだよ、バーカ」

「あー!もう、またバカって言う!」


正確には「少し冷ました湯で淹れた方が美味い」だ。

まあ冷ました紅茶の方が好みという場合もあるにはあるがとにかく、トリ頭のリキッドを誤魔化すには丁度良い。
何の疑問も持たずそれを信じたリキッドは、今また馬鹿にされたことに怒り心頭といった様子でぷうと頬を膨らませている。

さっき一瞬だけ見せた寂しそうな顔が嘘のように消え失せていて、ハーレムはほんの少しだけ安堵して、だがその安堵には何の根拠も無いことに知らぬ振りも出来ずに冷めた紅茶を飲み干した。


「あ、そろそろ戻んなきゃヤバイっすよ」

「そう…だな、戻んねェとな」

「…隊長?っう、わ!?」


支払いを呼ぶ為に上げかけた手でリキッドの腕をいきなり掴み、引き立たせる。
そしてテーブルの上に代金と幾らか多めのチップを添えて置いたハーレムは、店主に短く支払いの旨を告げ、目を丸くしているリキッドと買い出しの荷物を引き摺るようにしながら喫茶店を後にした。





「ちょ、隊長ドコ行くンすかっ?!コッチだと反対方向だってば!!」


人が少ない路地を選び、吠えるリキッドを無視してひたすらに足を進めた先は、袋小路。

まるで今の己の心情を表しているかのような壁の出現に、ハーレムは知らず知らずの内に目を見開いて立ち止まっていた。


「…ってェ!あ…、たい…ちょ…?」


急には立ち止まれなかったのだろう、リキッドが背中にぶつかってきて、それでも尚無言のままのハーレムが不安になってきたのか怯えたように声を震わせる。


「…あ、の…。俺…何かしました…?」

「いいや」

「だったら何で、」

「なァ」


四角く切り取られた空を仰ぎ、遮るように言葉を紡いで。
そしてそれはむしろ自問に近かった。


「優しい、ってのはどういうことを言う?」


よりにもよって誕生日に、こんな訳の分からない言葉を聞かされるリキッドは呆れているだろうか。
それとも滑稽に思われているだろうか。

いよいよ自嘲気味に口角を歪めたとき。
とん、と軽い衝撃があってハーレムは一歩後ずさった。


「こういうことじゃ、ないすか…?」


己はいつの間に、手を離していたのだろう。
正面にリキッドが居て、先ほどの軽い衝撃はリキッドが腕を一杯に広げて抱き着いてきたときのものだった。


「あー…でも隊長の方が背ェ高いしガタイも良いから、うまくいかないや」


あたたかい。


「どんな…って聞かれるとあんま良く分かんないケドさ。とにかく、こういうことだと思う。…こんな答えじゃダメっすか?」

「…いいや、十分だ」

「わっ」


答えると同時に掻き抱いていた。
触れているところ全てから、リキッドの言葉の端々から、暖かさが沁み渡ってくる。

全くどうして。
九九も怪しいトリ頭の癖に、時々こちらが驚くほど明快な答えを導き出すことが出来るのは天性のものか。
それともハーレムの方こそが、単純な答えすら導き出せないでいるだけなのか。
しかし、今はもうどちらでも良かった。


「もしかして、今日ずっとそんなこと考えてたンすか」

「まあ、な」

「だから喫茶店に居る時も楽しくなさそう…っていうか、上の空だったンすね」

「…あ」


そうか。
だからあの時、寂しそうだったのか。


「ワリィ…」

「いーっすよ、何か結果的には隊長の役に立てたみたいだし。ある意味サプライズっぽくて、嬉しいカモ」


嗚呼――…腕の中のリキッドをたまらなく、いとおしく思う。


「リキッド」

「ハイ」

「Happy Birthday」

「それ何回目スか。…でも、ありがと、ぅ…ン…ッ?!」


最後まで言わせず深く口付けて唇を塞いだ。
ポケットで携帯が呼び出しのコールを告げていたが、そんなことは今はどうでもいい。


「ん、あ…たいちょ…っ、戻らな、と」

「もうちょい」

「ぁ…ッ、ン…!」


電話の向こうで出来の良い部下が顔をしかめているのが容易に予想出来たが構うものか。
職権乱用とはこういう時の為の言葉だ。


「はあ…っ」


思うままに貪った唇を解放してやると、真っ赤な顔をしたリキッドは途端に膝から崩れ落ちる。


「…で、どうする?立って、帰れるか?」

「…どっちも“No”…です」

「ん、いい答えだ。今日はリッちゃんに色々教わったことだし、早速実践させてもらうぜェ?」


ベッドの上でな。そう言いながら抱え上げたリキッドの体はもう、あたたかいと言うよりも――…


「あの…優しくお願いシマス…」

「勿論」



【特戦は訓練より実戦なんだよ】

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