本棚1―1
□やくそく
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(特戦期)
「隊長のうそつきッッッ!!!!」
飛空艦中に響き渡るかのようなリキッドの、怒声。その余りの剣幕に、ハーレムともあろう者が僅かばかり仰け反った。
「……まだ、起きてたのか」
漸く、それだけ呟いて。
夜が明ければ出撃を控えているというのに、時刻は深夜2時をさしている。
本来ならばリキッドなど夢の中に居る時刻だ。
それはハーレムとの約束だった、夕食を一緒に食べに行っていればの話だったのだが。
「何で連絡くれなかったンだよ!?俺ずっと待ってたのに…隊長の馬鹿っっ!!」
「な…っ馬鹿たァ何だ!こっちとら面倒な会議になんざ出たかなかったっつーのに兄貴の命令じゃ仕方ねェだろが!」
「そんなの知らねーよ!!」
「急に予定が変わるなんざいつもの事だろ、ンなことぐれェで喚くなガキが!!」
売り言葉に買い言葉とは正にこのこと。
「ン…ッだよ、それ……そんな、こと…って…。アンタにとっちゃ、そうかもしンねェけど…俺は…ッ」
急にリキッドの声のトーンが震えて落ちたことにハッとしたがもう遅い。
柄にもなく謝罪するためにリキッドの自室を訪ねたというのに、これでは全くの逆効果であるとハーレムが気付いた時には既に、リキッドは部屋を飛び出して行ってしまった。それも…――泣きながら。
「っ、オイ!」
引き留め損ねたハーレムの手が虚しく宙を掻く。
これまでも何度か、いや、何度もリキッドとの約束を反故にしたことはあった。
反故にしたと言えば聞こえは悪いがハーレムの立場上それは仕方の無いことであり、リキッドも多少機嫌は損ねるものの大抵聞き分けは良いのだが、あそこまで怒る姿は記憶に無い。
まして、涙を流すなど。
原因に思い当たる節も無く、然りとて放っておく訳にもいかず、ハーレムは抱えていた会議のファイルを放り出して照明の落とされた薄暗い廊下を駆け出していた。
「…っは、リッちゃん、みっけ」
悲しいかな――広いようで狭い飛空艦の中では逃げる場所など限られていて、幸いにもすぐにリキッドは見付かった。
息を切らせてたどり着いたのは艦の後部デッキ、その柵のそばでうずくまる頼り無さげな背中は夜目にも分かるほど震えている。
小さな小さな泣き声が、真夜中の冷たい風に乗ってハーレムの耳にも届いた。
「…とりあえず中入れ」
そろそろと近付いてみても顔を上げようとしないリキッドだったが、流石にこんな所に置いておけば風邪をひくかもしれない。
そう思って極力静かに声を掛けるが当のリキッドは無反応で。
「あー…その、悪かったよ…。こんな長引くたァ思ってなかったし、機密がどうたらで外部と連絡取れねェし…だから…」
もうどうしていいものやらとんと分からず、ハーレムの口から出るのは微妙な謝罪と言い訳ばかり。
泣く子も黙るガンマ団特戦部隊長がたった一人の子供の扱いにこんなにも困るなど、誰が想像し得ただろうか。
「しかたない…分かってるもん…そんなの…。だって隊長は…隊長なんだから…っ」
漸く口を開いたリキッドの消え入りそうな声は掠れていた。
あれだけ喚いて泣き続けていたのだ、当然だろう。流石のハーレムも胸が痛む。
普段聞き分けが良いのでつい忘れがちだが、リキッドはどうも不満や不安を内に溜め込んでしまう節があった。
察するに、今回それが一気に爆発してしまった。そういうことらしい。
「…そうだ。だからまた、約束を破ることだって幾らでもあるだろうな」
「ッ…ぅ……」
「俺が特戦部隊長である限り…いや、青の一族である限りこればっかはどうにも出来ねェ。だがそれを分かっていてお前はついてきてくれてる。今日だって待ってたろ、ずっと。面倒な会議の疲れも吹っ飛ぶっつーの…ありがとよ。ホント、ごめんな」
「ぇ…」
柄にも無いことを言っているのは百も承知だったので、とにかく一息に言い切った後は途端に恥ずかしくなってそっぽを向いた。
しかしそれも束の間、ズボンの裾を引っ張られてハーレムは思わず視線を向けてしまう。
「何だよ…まだ謝り足りねェってか?」
照れ臭くて唇を尖らせながらも、すがってくるリキッドに目線を合わせてやるために屈み込んだ。
泣き腫らして濡れた瞳、興奮したせいで上気した頬。全く、こういう状況でなかったら直ぐにでもこの場に押し倒してしまいたい――そんな危険な願望を頭の隅に追いやったハーレムは、リキッドの頬を濡らす涙を伸ばした指先でそっと拭った。
「あ?」
「っ…めた…」
「おま…熱あんじゃねーか!」
指先に伝わってきた不自然な熱に瞠目し、返す手でリキッドの首筋に触れると確かに熱い。
自分が艦を出る前は何ともなかったのにどうして、と舌打ちしながらうずくまったままのリキッドを抱え上げ、足早に艦内へと引き返した――…。
「だからいつもより機嫌悪かったのか。しっかし外で待ってるこたねェだろ、バッチリ風邪引いてンじゃねェか…ったく」
「ごめ…なさ…」
熱があると自覚した途端に真っ赤な顔をして唸り出したリキッドをしっかりと抱え、薄暗い通路を歩く。
リキッドは最早喋るのも辛そうで、ハーレムの腕の中で荒く息を吐いていた。
話を聞くには、9時を過ぎた辺りからハーレムが艦に戻ってくる直前まで外付けされたブリッジのところで待っていたという。
季節は暑くなったとは言えまだまだ日が暮れればうすら寒い。そんな中を単純に数えて5時間近くも座り込んでいれば、風邪を引くのも道理だろう。
「いいから寝てろ。ンでもって早くよくなれ、分かったな?」
「…はァい…」
「約束、だからな」
「…ん」
それっきりクタリと寝入ってしまったリキッドの顔は、心なしか微笑んでいるようにも見える。
治ったら、今度こそ好きなものを食べに連れて行ってやろう――そう誓ってリキッドの額に軽く口付けながら、まずは優秀な部下を叩き起こしにかかったハーレムであった。
「おぉいマーカー、俺のリッちゃんが風邪だァ風邪!薬持って来ォい!」
やくそく