本棚1―1

□現実を征く
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(特戦期)


それは、一瞬の出来事だった。


「やれるもんなんざ無ェよ」


普段と変わり無いハーレムの口調に、ゴキリという骨の砕ける嫌な音が重なる。

地面に崩れ落ちたのは女。
左手には薄汚れた布にくるんだ何か――赤ん坊だろうか――を大事そうに抱え、右手には真新しいナイフが握られたまま。


何故――…喉まで出かかった言葉を、リキッドは飲み込む。


ここはつい先程まで戦場だった場所。
いや、単に特戦部隊による戦闘が終了したというだけで正式に終戦の宣言が為されていない以上、まだ戦場であると言える。

女は物乞いだ。この国では珍しくもない。
リキッドと連れ立っていたハーレムの前にフラリと現れた女は、骨と皮ばかりになった細い体を震わせながら食べ物か金をくれと頭を下げた。
そしてその顔は二度と上がることも無く、今こうしてリキッドの目の前で地に伏している。

大方何も知らぬまま端金とナイフを握らされて、特戦部隊長であるハーレムを殺すことを命じられた哀れな住人と知れた。


「戻るぞ」


何事も無かったかのようにハーレムは艦が停泊している方向へと足を向けた。

リキッドも後を追おうとしたが、ふと女が抱えていたものが気になり立ち止まる。

もしも赤ん坊であったなら、せめて人気のある所まで連れて行ってやりたかったからだ。甘いと叱られるだろうことは承知の上だったのだが。


「やめとけ」

「でも…」


存外静かな声音と共にハーレムが振り返った。

その様子に、もしかしたらこれが赤ん坊だったとしてももう生きていないのではとためらったものの、やはり気になるものは気になるのがリキッドの性分である。


「行くぞ」

「…スンマセン」


それだけ呟いて物言わぬ女のそばに片膝を着き、女の左手に抱かれたままの布をソロソロと捲った。


「――…ッ!!」


途端、うわぁん…と唸りをあげた羽音。
次いで強烈な臭気が鼻孔を襲う。

くるまれていたのは赤ん坊の死骸で、辛うじて人の形を保つ、その肉を蛆が食っていた。羽音は成長しきった蛆が蝿となって飛び立った音だった。

リキッドが後悔してももう遅く、込み上げてきた吐き気に息を詰まらせながら身体をくの字に折った。


「ぐう…ッ、ぅ、え」

「…だからやめとけっつったろォが」


両手で鼻と口を覆い、吐き戻さないよう堪えれば堪える程に涙がボロボロと溢れる。


「これが戦争だ」


リキッドの隣に屈み込んだハーレムが赤ん坊を取り上げてそっと布にくるみ直し、女の腕に再び抱かせた。
ハーレムの所作は丁寧で澱み無い。


「立て、リキッド。これからも生きてェならテメェの足で立って、歩け」


言外にこの母子はもう歩くことも立つことも無いのだと説かれ、リキッドは震える膝を叱咤して立ち上がり、ヨロヨロと歩み出す。

それを見届けてから立ち上がったハーレムも後を追ってきた。親鳥が、雛の巣立つ為の羽ばたきを見守るかのように。


「隊、長」

「何だ」

「俺。やっぱり、戦争は嫌いです」

「気が合うな、俺もだ」


カチリとライターの音がして、ハーレムのいつもの煙草の香りが風に混じる。


これが戦争

これが現実


やがて大声をあげて泣きながら、リキッドは歩き続けた。
艦に辿り着くまで何度となく転んだが、立ち止まらずにずっと、ずっと。


そんな様子にハーレムが幾度も手を差し伸べようとし、だがその度に唇を噛んで堪えていたことを、リキッドは知らない。





現実を征く

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