本棚1―1

□針
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の穴を通すより簡単なこと


この期に及んで尻込みした俺の腕を
お前は、掴んでくれるのか



「おや、可愛らしい寝顔で」

「…起こすなよ」


ブランケットを持って戻ってきた高松にそうは言ったものの、実のところハーレムの視力はまだ景色を正確に捉えるほどは回復していない。

だから、己の膝を枕にして眠るリキッドの顔も、正直ぼんやりとしか見えていなかった。
近視というのはこんな感覚なのだろうか。


「マジック様が見たら、歯軋りして悔しがりそうな光景ですよ。大層に可愛がってる子を膝枕なんて、ねぇ」

「そりゃオメーもだろが」


差し出されたブランケットを受け取りながら、そう混ぜっ返してやる。


「ええ。グンマ様が私の膝を枕にして下さったなら、それはもう…」

「高松、鼻血」

「おっと。…失礼」

「あっぶねぇな、ったく」


色んな意味でと心の中でツッコミを入れながら、己の左の膝を枕にして寝息を立てているリキッドにブランケットを被せてやった。

それにしても本当によく眠っている。

食料庫での一件の後、体の症状は落ち着いたにも拘わらず半日以上意識が朦朧としたままと聞いて、真夜中にこっそり様子を覗きに行った。
そして、驚いた。

うわ言のように自分を呼ばわるリキッドに。

あんな目に遭って尚、何故、すがるような声で呼べるのか。それともいよいよ壊れ始めたかと、思わず頭を撫でてみた。
撫でてみた、ものの。居たたまれなくなって逃げるようにリキッドの自室を後にして。


「ん…ぅ…」

「指しゃぶり、しなくなりましたね」

「あア?そこまでガキになってやがったのか、コイツ…」

「重症だとトイレも食事も手伝わないと出来ない年齢まで退行しますよ。リキッドくんは精々6歳前後、症状としてもごく軽かったですし直ぐに治ります」


アンタがちゃんとしてたらね、と付け足された言葉が耳に痛い。

あの時、朝まで付いててやって謝るなり何なりしていれば、展開はまた違ったものになっていたのだろうか。
だが今となってはもう分からないし、むしろ色んな事があったからこそ気付けた面もある。不思議なものだ。


「ホラ、アンタもブランケット肩に掛けときなさい。風邪引きますよ」

「いらねーよ。ここ、暖けェし」

「今の体調なら簡単にこじらせますねぇ。治りかけてる肺にまた穴が開いて、一生禁煙かつ呼吸補助機が手放せない体になりたいのならどうぞ?」

「……ヤな奴」


心底馬鹿にするような笑顔でそう言われ、ハーレムも渋々と手渡されたブランケットを肩に掛ける。


「私は一旦医局に戻ります。昼食の時間までにはまた顔を出しますけど、何かあったらこの携帯使いなさい」

「ん、ワリーな」

「短縮の1で医局に繋がりますから。くれぐれも手ェ出しちゃ駄目ですよ」

「うっせーなァ、さっさと行け!」


ケラケラと小憎たらしく笑いながら談話スペースを後にする高松を見届け、ハーレムは改めて膝の上のリキッドに視線を落とした。

指をくわえようとしてとして止めたのか、口元に投げ出されている手のひらが時折握られたり開いたりしている。


「うお、あったけー…」


手持ちぶさたにしているかのようなその手を、空いた左手でそっと握れば驚くほど暖かいリキッドの体温。
少し熱すぎる気もするのは体調が万全ではないからだろう。かくいうハーレムも、まだ熱が下がりきっていないが。


――それにしても、あの時

――間に合って…良かった

――本当に


"戦場で惑うな"――そう叫んだのは自分に言い聞かせるためでもあったのだ。

あの双子の唐突な出現に、先に戸惑ったのはハーレムの方だった。
それはほんの一瞬ではあったが、"双子"というキィワードがどこかしら心の隙に入り込んだのだろう。
二十年以上軍人をやっているのに私情で惑うなど、とんだ失態だ。


「俺もまだまだ、かねェ…」


くあ、と一つ欠伸をしてリキッドの手を握り直しながら、ソファの背もたれに深く体重を預ける。
窓からいい具合に射し込む陽光が眠気を誘い、ハーレムもいつしかウトウトとし始めた。


「ヤベー…、ねむ…」


ハッキリとは見えないがもう少し、リキッドの寝顔を眺めていたいのに。

左手の親指だけを立てて、手探りで眠るリキッドの鼻先をくすぐってやる。


「ン、む…?…んー…っ」

「ほんと…ガキ、だよな…」


むずかる様子に苦笑しつつもう片方の手で髪をすいてやりながら、ハーレムも眠気に勝てずにゆるゆると目を閉じた。

目覚めたらまず何を言おう。
何を、話そう。

また泣かせてしまうかもしれない。
だが悲しい思いだけはさせやしない。

そんなことを考えていたら、とっくに、夢の中だった――。

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