本棚1―1
□弾
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弾かれた腕よりも、痛いのは
「助けて」
そう叫んでいたのは、果たしてどちらだったのだろう
「元気そうじゃねェか。少しは頭冷えたかァ、リキッド?」
「…おかげさまで」
嘘を吐け。そう言いたくなるような眼光を放つリキッドはしかし、入り込んできた温い空気に大きく体を震わせている。
軽い低体温症にでもなっているのだろう、無理もない。
「隊長サマに何か言うことあるだろうよ」
「………」
「ダンマリたァ良い度胸だな。もう二、三時間頭冷やすか?あア?」
「好きにしたらいいだろ。でも今は地上に居るんだ。ロックぐらい電磁波でブッ壊して、逃げられる」
「はン…言うねェ…。ガキが」
「ぅぐ――…ッ!!」
立っているのもやっとであろうリキッドの横っ面を思いきり殴れば、その体はいとも容易く床に倒れた。
そら見ろ。逃げるなんて出来やしない。
ましてや、許しなどしない。
――…許さない?
唐突に頭に湧いた疑問符に、ハーレムはリキッドを蹴り飛ばそうと踏み出した足を止めていた。
そう言えば何故、許さないのだ。
これまでもスカウトしてきては逃げ出していった輩など腐るほどいる。此方から見切りをつけて放り出した奴もいる。
単純にリキッドに逃げるだけの力が無い、という訳ではあるまい。
事実、能力的には申し分無い。もっと使い方さえ覚えれば、の話なのだが。
「…ッ」
「!! テメ…っ」
その時、考えに耽っていたハーレムの一瞬の隙をついて体を起こしたリキッドが、駆け出そうと床を蹴った。
突然の事に反応が遅れたハーレムだったが、それを差し引いてもリキッドの動きが思ったより鈍かった為に、難なく襟首を後ろから掴んで捕える。
「ち、くしょ、離せよっ!」
「フラッフラじゃねェか。そんなんでよくもまァ、逃げる、なんて言えたもんだな」
「うるせェッ!!大体しつけーンだよ、最近っ!説教するにしろ加減無茶苦茶じゃねェか、拉致られて来たばっかの頃の方がマシだったぞ!!」
「そりゃお前が全然言うこと聞かねェからだ。お仕置きもキツくなる、当然だろ」
「キツくして、それでアンタどうしたいんだよ。俺を、どうしたいんだ。それがここんとこ分かンなくなってきた」
いつの間にか此方を振り返っていたリキッドの言葉に、それ以上にその鋭い眼光に、ハーレムは初めて返答に詰まった。
「拉致られたのはこの際置いとく。最初の内はまだアンタの言うことも尤もだと思った。確かに俺は弱いし頭も悪いから、殴られたって仕方ないって。だから、強くなりたいって、思った」
「…なら、何で俺の言うことが聞けない」
漸くそれだけ呟いて、手を離す。
「自分でもよく、分かンねェよ…。強くなりたくて、でも、今だって逃げ出したくて堪んねェ…し、…ッ」
体力が限界に近いのだろうか喚くだけ喚いたリキッドは、その場に座り込んでしまった。
ついこの間まで親元でぬくぬくと青春を謳歌していた子供だ。多少喧嘩が強いと言っても、精神的にはまだ幼い。
戦場という苛烈な環境に放り込まれて狂わなかっただけでも、僥倖と言うべきだ。
ただ、それでもなお光を失うことの無い澄んだ空色の瞳。
心の奥まで、覗かれるような…――。
「…アンタは俺の事、面白ェおもちゃ位にしか思っちゃいなかっただろ。少なくとも初めは。でも…最近、何か引っ掛かるって思ってたんだ…」
す、と。
リキッドの指先がハーレムを指した。
「眼が、違う」
気が付いたら、ハーレムは座り込むリキッドの首を片手で掴んで引きずり起こしていた。
「か、は…っ?!」
「テメェの事も分かってねェお前に、俺の何が分かるって?」
止めろ、と頭の隅で警鐘が鳴る。
リキッドが言っていることは恐らく正しい。
この三ヶ月、散々痛め付けられてきたのだ。リキッドなりにハーレムを観察し、僅かな変化を感じ取ったとしても不思議では無かった。
今、それを指摘されて激昂しかけている自分は何なんだと、ハーレムは思う。
図星を突かれたから?
否、そもその変化とは何だ。
「言ってみろよ、リキッド。どう違う」
「ぅ、あ…ッ」
気道を殆ど塞がれて苦しげにもがくリキッドの指が、腕に食い込む。その冷たさとは裏腹に、掴んだ首はドクドクと脈打って酷く熱い。
リキッドの首を締め上げながら、ハーレムも少しずつ気付き始めていた。
――独占欲、だ。
リキッドはそれを煽る。ついでに加虐心も。
だがそれ以上に、何かもっと別の――
「ぅ…あぁあ゙っ!!」
「?! つ…ッ」
中々まとまらない考えを手繰り寄せていた時だった。
目の前でリキッドの操る電磁波の白い光が弾け、ハーレムの右腕に鋭い痛みが走る。
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