本棚1―1

□虹
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のようにめまぐるしい感情


良い拾い物をした
そう思う程度の、生意気な子供の筈だった



「また逃げようとしたか?」


マーカーに突き転がされ、艦の司令室の床に無様に倒れたリキッドを見下ろしながら、ハーレムはさして驚く風でもなくそう訊ねた。

この子供を拾ってから既に三ヶ月近く経とうとしているが、未だに逃げ癖は治らないらしい。それに、逃げるにしても詰めが甘い。
教育係に指名したマーカーに引き摺られ、こうして己の足元に放られるのも、はや何度目か。


「ええ。また、です」

「しゃーねェなァ…」


余程抵抗したのか、マーカーが与えた火傷以外にもリキッド自身が発する電磁波による傷があちこちに見え、軽く溜め息をついた。

懲りない奴だと思ったのがひとつ。
そしてもうひとつ、溜め息をつかせた理由がある。


「おーい起きろ」

「ぃ…っ、あ、ぐ…!」


しゃがみ込んで髪を掴んで顔を上げさせると、思い切りその傷まみれの頬を張った。


「逃げれるモンなら逃げてみろとは言ったがよォ、作戦中は逃げるなって俺、言わなかったっけか?」

「ッ、持ち場の戦闘は終わってンだ!なら、どうしようと俺の勝手だろッ」

「俺が終了って言わなきゃ例え戦闘が済んでようがまだ作戦中だ、おら立て」

「が…っ、かはっ…ぁ…」


血混じりの唾を飛ばしながら喚き立てるリキッドを、ハーレムは髪を掴んだ腕だけで引き摺り起こして鳩尾を目掛け拳を叩き込んだ。
無論、ここで吐かれては面倒なので多少は加減をしたが。

それでも数瞬の間呼吸すら奪うような衝撃に、疲労も相まって遂には気絶してしまったリキッドをそれ以上痛め付ける気にもなれず、マーカーの方へと投げて寄越す。


「頭から消毒薬ブッ掛けて、そうだな…食料庫にでも暫く放り込むか。頭も冷えンだろ」

「分かりました」


その時、淡々とまるで只の荷物でも抱えるようにリキッドを肩に担いだマーカーの手の甲が、火傷だろうか真っ赤になっていることに気付いた。

問いただすと、逃げるのに抵抗したリキッドの電磁波にやられたのだと言う。
弟子はこんな短期間で自分に傷を付けられる程では無かった、そう言ってマーカーは心底楽しそうな笑みを浮かべ、一礼して司令室を後にしていった。


「あのマーカーまで虜にするたァ、中々どうして。益々先が楽しみだわ」


そう一人ごちたハーレムが煙草を取り出して火を着けたところに、ロッドとGから帰投の知らせが入る。

これで、初めて作戦終了と言えるのだ。
作戦中の個人的な行動は、部隊を守るためにも一切許されない。

一度作戦中のドサクサに紛れて逃げようとしたリキッドを捕まえ、文字通り叩き込んで教えたつもりだったが、まだ足りなかったか。


「それにしても…」


司令室の椅子に体を沈め紫煙を吐き出すと、誰にともなく呟く。

気を失う寸前まで、自分を睨み付けていたリキッドの眼が頭に焼き付いて離れない。
貪欲に強さを求め、それでいて媚を売ることなど念頭に無く、隷属を拒む、子供の反抗期と一言で表してしまうには凄烈過ぎる光を湛えた眼が。

連れてきた当初は真っ向から反抗して噛み付いてくる面白い奴、くらいにしか思っていなかった。
それがここに来て揺らいでいる。

どれだけ苛め抜こうとも決して折れないリキッド。いつしか、意地になって珠に加減を誤り、ロッド達から諫められることもしばしばで。全く、らしくない。

さっきだってそうだ、とハーレムは己の拳を見つめた。気絶させる程強く殴ったつもりは無かった。
しかし、戦闘やマーカーの制裁のダメージを負っていることを忘れ、その分の加減をし損ねたのだ。


「らしくねェなァ…」


思わず、考えていたことが口をついて出た。

確かにリキッドの態度は支配欲というものを掻き立てられる。ただ、それ以上に別の何かが、神経を揺さぶるといった感覚だろうか。
それが何なのか。その実、ハーレムにも解らないでいた。


「考えてても仕方無ェ、か。アイツら戻って来たら、補給と報告がてら最寄りの支部寄ンねェとな」


そうブツブツ言いながら、はて自分はこんなに独り言が多い質だったかと苦笑しつつ、短くなってしまった煙草を灰皿に押し付け立ち上がった。

食料庫に放り込まれている頃であろうリキッドのことが頭をよぎったが、此処から支部迄は二時間と掛からない。
空調は多少寒いだろうが死ぬこともあるまいと判断し、それまで放っておくことにする。極地訓練代わりにもなるだろう。
もしくたばるようなら、その程度だったと言うだけだ。

ほんの少し罪悪感めいたものが沸き上がったが、ハーレムは敢えて無視を決め込んだ。



言い訳、だったのだろうか


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