GIFT
□ことり
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誰がこまどり殺したの?
「わたし」とスズメが言いました
「懐かしいものが出てきたんだ」
欲しくもなかった休暇を言い渡され久し振りに生まれ育った家に戻ったハーレムの前に、これまた特に会いたくもなかった次兄が現れたのは、もう日付が変わろうかという時刻だった。
「覚えているかい?」
自室で荷解きをしながらおざなりに話を聞いていたハーレムは内心、面倒な、と思いながらも適当に返事をしながら振り返ったのだが――
「――……ッ?!」
微笑むルーザーが手にしていた【もの】を見て、言葉を失った。
マザー・グースの詩集。
確か3冊で一揃いだった、その1冊。
だが、あれは――
「書斎で見付けたんだよ、ハーレムとサービスの10歳の誕生日に贈った本だったね。けれどお前は、挿絵が怖いと言ってひどく泣いて……」
忘れるわけがない。
そもそも元凶が目の前に居るのだ。
かつてルーザーが幼いハーレムの目の前で握り潰した小鳥。死骸の虚ろな眼。
その忌まわしい記憶を呼び起こすような挿絵が詩集にはあった。
14連から成るその詩は余りにも有名で、勿論ハーレムも知っていた。だがそれまでに買い与えられていた子供向けにデフォルメされた絵本とは異なり、写実的に描かれたその詩――「こまどりのお葬式」の――挿絵を目にした途端、当時のハーレムはパニックを起こしたのだ。
ひたすら「怖い」と叫びながら、泣いて泣いて、吐くほど泣いて。
はじめは呆れていた双子の弟も尋常ならざるハーレムの様子に怯え出し、ルーザーによって別室に連れて行かれた。ある程度事情を察知していたのだろう長兄が、その日はハーレムが落ち着いて眠れるまで付いていてくれたものの、暫くの間はかなり不安定になったことを、よく覚えている。
「どうしたの? まさか、まだ怖い?」
絵が怖いんじゃない。
絵を通して否が応にも思い出す羽目になる、あの日のルーザーが怖い。
込み上げる感情を言葉にするすべが見付からず、また、例え言葉に出来た所でこの次兄は一笑に付すだろう。
小鳥を握り潰した時と、それこそ同じ笑顔で。
「ただの絵じゃないか」
広げて見せられたそのページには、昔と変わらぬ死んだこまどり。胸に矢を受け、生気の無い虚ろな眼をぽかりと開けて地面に転がっている様を描いたそれを、再び目にしたハーレムの喉が笛のように鳴った。
苦しい。
くるしい。
でも、もうあの頃のようには泣けない。泣いて許される歳ではない。
なのに、この頬を伝うものは何だ。
「――ああそうか。あの時と重ねているんだね」
突然頭の上から降ってきたルーザーの明るい声、その内容に、ハーレムは弾かれたように顔を上げた。
「あれは、お前がいけないんだよ? ハーレム」
しょうがない弟だとでも言いたげに、諭すような口調でルーザーが続ける。
「誰があの鳥を殺したの?」
歌うように、詩(うた)のように。
さながら幼子に言い聞かせる如く穏やかに。
あの時と、同じ笑顔で。
「そ、れは……――!」
条件反射のように口を開きかけたハーレムは、今度こそ悲鳴をあげた。否、あげようとした。
「……あ、ア……ッ」
掠れた息ばかりを吐き出すやくたいもない喉。
ルーザーはずっと微笑んだままで。
あの鳥を殺したのは?
(ルーザー兄貴、だ)
どうしてあの鳥は死んだ?
(俺が兄貴の言うことを聞かなくて、だから)
「だれが、ことりをころしたの?」
「お、れ……っ、俺、が……?」
再度ルーザーが同じ文言で問う。
それに対しハーレムは、自問自答を半ばうわ言のように繰り返した。
暗闇に体ごと放り出されてしまったように目の前が真っ暗になる。立っているはずなのに、足元すらあやふやで定まらない。
「そう。ハーレムがいい子にしていなかったから、あの鳥は死んだんだよ? 今になってやっと解るなんてやっぱり馬鹿だなぁ、ハーレムは」
違う、そうじゃない、アンタの方が間違ってる――言いたくとも言えるはずがない。あの頃の、無力な子供に戻ってしまったかのような錯覚に陥っているハーレムには。
「嗚呼……こんなに泣いて」
暖かい腕がハーレムを包む。
背中をさするてのひらは、一体どれほどの命を奪ってきたか知れない。
「可哀想なハーレム。今日はもうお休み?」
こくりと頷く。
ちゃんと言うことを聞かなければならない。さもなければ、
「いい子だね。いい子は大好きだよ、ハーレム」
――この背中をさするてのひらが次に奪うのは、ハーレムの大事な【こまどり】なのかもしれないのだから。
小さな頃は、不思議だった。
何故こまどりを殺したスズメを誰も咎めないのだろうかと。
大きくなって、知った。
あれは魔女狩りを暗喩しているのだと。
ありえないとは解っていても考えずにはいられない。あの時、もし小鳥ではなく、隣で眠る弟と遊びたがっていたら――
――奪われていたのは……?
ことり