本棚1―2

□赤ずきんちゃんは
1ページ/1ページ

【2013年ハロウィン/特戦期】


照明が消された部屋の壁に、映ったキャンドルの灯りがゆらゆらと妖しげだった。


「おーい、リッちゃん?」

「フン、間抜けな面だなリキッド」

「……リキッド、入らないのか?」


三者三様の声。
ポカンと口を開けたリキッドは、ぐるりと頭を巡らせて何がどうなっているのかを考えようとしたが、結局早々に考えることを諦めた。目の前のサプライズを楽しむことの方が、とても重要だったからだ。


「とっ、とりっくおあとりーと!?」

「おつむの弱そうな発音だねェ。でもまあそこが可愛いんだけどさ」


ここまでリキッドを連れてきたロッドが、背後で呆れたような声を上げている。


「……菓子を用意してある。部屋に入れ、リキッド」

「と言うか、お前の部屋だがな」

「……へ?」


ここは本部の、特戦が占有しているフロアのうちの一部屋。
私物をあまり持っていないリキッドは、飛空艦に与えられた狭い部屋だけでも不自由はしていなかった。本部に来ても大抵誰かの、特にハーレムの自室に入り浸りでそもそも自室が無かったことさえ忘れていたくらいだ。
けれどまあ、こんなに部屋があるんだからひとつくらいやっておけというメンバーの気まぐれなのだと思う事にした。


「う……わぁ!」


一歩。
足を踏み入れその装飾に歓声を上げる。
カーテンやベッドのカバーはおろか、壁の飾り、天井に至るまで何処を見ても、ハロウィンの雰囲気一色に染め上げられた部屋。
床の上には人の動線に邪魔にならない程度に大小さまざまなジャック・オ・ランタンが並び、テーブルの上で同じ形をしたキャンドルが妖しくも魅力的に炎をゆらめかせて。そしてその真ん中に、リキッドを追い越して歩み出たロッドが持っていた箱をポンと置いた。


「え、それ、書類じゃ無かったの?」

「あらァ? リッちゃんはこれが書類の方がいいのー?」

「んーん、別のがいい!」

「んじゃ、もっかい魔法の呪文をおにーさんに言ってみな」

「――Trick or Treat!」


Che carini!――なんて可愛いの!
ロッドがそう呟いたのも、もうリキッドの耳には入って来ない。ロッドが得意げに蓋を開けた箱に、金色のきれいなケーキが鎮座していたからだ。


それからは夢のようなひとときだった。


金色のケーキは蜂蜜をふんだんに使ったハニィ・ケーキ。
添えられたワインは甘味とアルコールこそ控えめなものの、存外に可愛いもの好きなリキッドの為に選ばれたのであろう薄いピンクの色をしたロゼ。
勿論大人たちはめいめいに酒やつまみなども抜け目なく持ちこんではいたが、そのどれもが部屋の雰囲気を壊さないように配慮されていた。


「リッっちゃん、ほっぺにクリームついてるよ」

「んー? どこー?」

「クリームの付いた手で触ってどうする。そして付いているのは反対側だ馬鹿者」

「あっはっは! 両方のほっぺにクリーム付けちゃってるよ、かァわいいねェ〜」

「えー、とってよォ」


酔いが回って上機嫌のリキッドを、マーカーとロッドが左右から挟んでオモチャにする。


「コラコラ騒がないの。すぐに取ってあげるから、さ」

「ひゃ……っ」

「……ロッド。つまみ食いは後が恐ろしいぞ……?」

「上手く【料理】してから差し出せば問題なかろう。そら、取ってやったぞリキッド。だが私は甘い物は好かん、貴様が食え」

「ン? ふあ……」


ロッドからのキスを頬に許し、マーカーが指で掬って差し出したクリームに躊躇なく舌を這わせる。目の前の大人たちが繰り広げる会話の内容になど気付きもしないまま、リキッドは夢中でマーカーの指に吸い付いていた。


「酒が少量入っただけでこの有り様だからな。コレに土産でも持たせれば隊長もさぞ喜ぶだろう。そうは思わんか?」

「……それもそうだな」

「ん、ン……ッ!」


マーカーの指が口内でゆるゆると躍り、その刺激が想い人の指であるかのように錯覚したリキッドの体は途端にカクリと傾いて、丁度ロッドの腕の中に納まってしまう。


「たい、ちょ……?」

「ごめんねェ、隊長じゃなくて。でもそろそろ隊長もコッチに戻って来る頃じゃない? 行っておいでよリッちゃん」

「……ん、行くゥー……」

「じゃあ、その前に仮装してかなきゃね」


「行く」と言いつつもゴロゴロと猫のように擦り寄るリキッドの額に、イタズラのように軽く口付けたロッドが、どこから取り出したものやら赤い布のようなものをふわりと広げる。


「とりあえずパーカは脱がせてェ……ああ、下にタンクトップ着てたのね。Tシャツよりはマシかな?」


反対側から伸びてきたマーカーの手によって、あれよと言う間にリキッドは羽織っていたパーカを剥ぎ取られて身震いした。


「ハーフパンツは裾をもう少し折ってやればよかろう。リキッド、足を出せ」

「ふえ……っ?」

「この私が直々にペディキュアを塗ってやる。但し親指だけだがな」

「あ、なァーんかその方が背伸びした子供っぽくて逆にそそるカモ」

「んっ、くすぐったい、よォ……!」


晒された、あまり日に焼けていない白い素足。それを上等の茶器でも扱うかのような手つきで持ち上げたマーカーが、右と左の親指の爪にそれぞれ黒とオレンジのペディキュアを施していく。
キッチュな色彩を放つ爪先に、仕上げのまじないのようにマーカーの吐息が吹きかけられてリキッドは今度こそ甘ったるい悲鳴をあげた。


「乾かしているだけだぞ?」


くつくつと喉の奥で笑うマーカーを恨みがましく見つめるリキッドの目は潤んで震えている。


「……速乾性だから必要ないだろう。あまりからかってやるな、マーカー」

「お前こそその【土産】は中々にロクでもないではないか、G」

「チーズにー、赤ワインにー……って、ハチミツどんだけ持たせようとしてンの。Gってばそーゆーの好きなの?」

「……たくさんあった方が良い……」

「あーあー、リッちゃん明日丸一日潰れちゃうかもよ。ハイ、コレ着てー」

「もー何なんだよ、みんなしてよってたかってェー……何コレ」


バサリと頭の上から降ってきた布に、リキッドは目をぱちくりとさせた。


「見て分かンない? かーわいい赤ずきんちゃんのケープだよ」

「赤ずきんン〜?」

「ぴったりではないか。これからオオカミの所に飛び込んでいくのだからな」

「……似合っているぞ、リキッド」


立って、とロッドに促されてフラフラと立ち上がったリキッドの目の前には可愛らしいレェスのリボンが結ばれたバスケット。
その中にはたくさんの種類のチーズの箱、酔った頭でも理解出来るくらい高級なことを示すラベルの赤ワイン、そしてハチミツ、ハチミツ、ハチミツの瓶。重そうだな、なんていうリキッドの感想は既に的を外れているのだが、それに気付くのはもう少し後の事だ。


「リキッド」

「今度はなに、マーカ、ぁ、つっ……!」


バスケットに気を取られていたリキッドの首筋、鎖骨のすぐ上辺りをチリッとした痛みが襲う。
何事かとそちらを見やれば、小さな炎を灯したマーカーの指先がするりと離れていくところだった。


「うっわ、マーカーちゃん鬼畜ゥ」

「……痕はマズくないか……?」

「いいかリキッド。この痕に気付かれたら、私が付けたと必ず言ってから隊長にこの籠の中身を渡せ。そうすれば、怒られない」


一見するとキスマークにしか見えないそれを、ケープで隠しながらマーカーがそう言い切るのに半信半疑で頷く。

その時、リキッドが頷いたのとほぼ同じタイミングで誰かの時計のアラームが鳴った。


「……隊長が戻られる時間だ」

「行ってこい、リキッド」

「え、と、」

「向こうまでおにーさんがエスコートしてあげるよン、裸足じゃあケガしちゃうかもしれないからね、っと」

「ぅひゃあっ?!」

「軽い軽ーい。んーじゃ、行って来まーす」


バスケットごと軽々と抱え上げられたリキッドが文句を言う暇も無く、ロッドは部屋を後にしてしまった。
これから自分はどうなってしまうのだろう――そんな不安を覚えつつも、アルコールでふわふわとした思考ではそれ以上深く考えることも無く、リキッドは体をロッドに預ける。

何となく足の爪先に目をやれば黒とオレンジが揺れる様が蠱惑的で、知らず、笑みを浮かべていた。





「……こうして赤ずきんちゃんは、悪い狼さんに食べられてしまうのでした……ってね」

「――なァに?」


ぼんやりとした頭にはロッドの漏らした小さな小さな呟きも届かない。
狼の住処はもうすぐそこ。


「赤ずきんが、来ましたよ隊長」


ドアの向こうからは、唸るような声がした。


【可愛い可愛い赤ずきん、】

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ