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□Peridot
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Peridot
【石言葉:信じる心】
「オイ高松。1つ聞きてェんだけどよォ」
「何です?」
3人分の紅茶を淹れながらハーレムは思い出したように口を開いた。
その横でリキッドは、少し落ち着いたのかソファの上で体を起こしているものの、熱の引かない赤い顔でぼんやりとしている。
「……つーかその前に。リキッド、お前ホントに寝てなくて良いのか?」
「寝過ぎて寝らンない……」
「まあ睡眠にも体力使いますからねェ。体内時計も狂いっぱなしでしょうし、ちゃんと眠くなるまでは好きに過ごしていた方が結果的には楽ですよ」
「……ったく、コイツの周りには甘やかすヤツしか居ねェのか」
「自己紹介どうも」
「眼魔砲喰らわすぞテメェ――……ってオイ!リキッド、てめえも笑うんじゃねェ!」
「だ、だって、おっかしくって」
睨み付けても逆効果のようで、リキッドは肩を震わせて笑っている。
ただ、隣でそんな風に笑うリキッドを久方ぶりに見た気がして、ハーレムはそれ以上は何も言わずに紅茶を注いだカップを置いてやった。
甘めにしたミルクティー、リキッドがそれをちびちびやりだしたのを見ているとハーレムも自然、口角が上がるというものだ。
「まあ暫くは任務も入ってねェし、今のうちにゆっくりしとけ。――さっき高松がやった催眠暗示はリキッドも内容を覚えてンだよな? 途中、コイツの様子がおかしかった部分も含めて」
「聞き出した部分に関してはその筈です。多少負荷を与えるような手法を取ったので、大分無理をさせてしまいましたが。――スミマセンでした、リキッドくん」
「い、いえ、もう大丈夫っすから。俺の方こそドクターに頼りっぱなしだし、火傷までさせちゃって……ごめんなさい……」
「貴重なサンプルを調べられる対価だと思えば安いもんですヨ」
「だからそーゆー言い方はやめろ、このマッドサイエンティストが!」
あの高松が珍しく殊勝に頭を下げたと思えばこれだ。士官学校の候補生達がよく実験台にされているとは噂に聞いているから、これでもまだマシな方なのかもしれない。
「で、リキッドくんの様子が何ですって?」
「いきなり話を元に戻すな、調子狂うだろ」
「アンタが最初に脱線させたんでしょうに」
「――そうだっけか?」
「その歳でもう痴呆ですか。リキッドくんよりアンタを先に診た方がよさそうですねえ」
「いらねーよ」
「……隊長、ドクターに遊ばれてンじゃないすか……?」
「う、うるせェ! ――聞きてえのはコイツの記憶の真偽だ」
「ああ、偽の記憶ではないかという事ですか。確かに記憶の一部は過去に受けた暗示で改変されている可能性は非常に高いです」
隣に居たリキッドの表情が少し曇った。
気分の良い話ではないだろう。
「ですが……有体に言ってしまえばリキッドくんの記憶が真か偽かなんて、議論する段階では最早ありませんね」
「それはそうかも知ンねーケドよォ」
「知っているのは施術者だけです。そしてその施術者は、」
「――あの」
ハーレムと高松が向こうを張るように云々しているところに小さな声が割り込んだ。
見れば少し困ったような顔をしたリキッドが、今しがたまですすっていた紅茶をカップに戻すところで。
「俺、やっぱよく分からない……って言うか、信じらンないんですケド。さっきので俺も色々思い出したっぽい割には、何て言うか……具体的に何もされてませんよね、俺」
暗示にかかっていた間、リキッドの口からは一度たりとも女医を拒絶するような言葉を聞いていない。それはハーレムも引っ掛かっていた。
だから高松に虚偽の記憶ではないかと突っかかっていたところだったのだが、当事者であるリキッドがこうも女医に対して警戒心を持っていないとなると、どうにも背筋が薄ら寒くなる。
女医が――憶測ではあるが――行っていたであろう事をハッキリと説明してやったにも関わらず、だ。
「だから、あー……それ自体が偽の記憶かも知れねえって話を今してんだよ」
「でも……あんなに優しかったのに……」
「それも暗示を掛ける為の前フリだとしたら一応納得はいく。何かあったろ、催眠術でそういうの」
「――催眠暗示における施術者と被術者との間にある信頼関係の事を専門用語で“ラポール”と言うんですが、要するに素直に他者を信じる人ほど深く暗示に掛かるんです。リキッドくんが幼児とも言える年齢だったのなら尚更掛かり易かったでしょうね」
「俺に暗示を掛ける為だけに、優しくしてたかもしれないってコト――?」
「それは私には分かりません。さっきも言いましたが、それを知っているのは施術者だけです。――あくまでも彼女を施術者と仮定した場合の話ですので」
「……そっか、亡くなったんだっけ……」
「一応ご両親にも当時の確認を取ってみる事は出来ます。でも他の事例からして何も出ないでしょうね。催眠暗示は1対1で行われるのが常ですので、悪用された場合の立証は難しいんです。……とても信頼していたんですね、彼女の事を」
「うん――……」
そう言って項垂れるリキッドは、傍目から見ても痛々しい。何となく頭を撫でてやると、今度は力なく笑った。
「なあ高松。ひょっとして解決策は、」
「お察しの通り、ありません」
やはりそうかとハーレムは苦々しく思いながら目を閉じる。おかしいとは感じていた。
高松は話を聞くばかりで、治療らしいものは何もしてこなかったからだ。
「催眠状態から覚めても特定の状況下で発動するような暗示、後催眠暗示は施術者でなければ解けない。私がそれに拮抗するような暗示を掛ける事が出来たとしても解決法としては不確かなものに過ぎませんし、リキッドくんへの負担が倍になるだけです」
残酷な事実。リキッドが負った、たった一つの傷がもたらしたもの。
「――ただ、後催眠暗示は掛けられた本人もどこかで望んでいなければその通りの結果にはなりません。リキッドくんと所謂わりない仲になってからもアンタが無事でいられたのは、ひとえにリキッドくんのお蔭です」
「つまり俺のそばに居る限りリキッドは苦しみ続けるってワケだ。それならいっそ」
「――嫌だ!」
悲鳴をあげたのはリキッドだ。
「ヤ、だ……隊長から離れるなんて、そんなの……!」
「まだ何も決まってねェ、落ち着け」
逆効果かもしれないなどと考えながらも抱き寄せてやらずにはいられない。
ハーレムとてそんな事――リキッドを手放すなど――は、到底選択したくはなかった。だが己はともかくリキッドの命もが危険に晒されている以上は看過出来ないのが現状だ。
「ハーレム。リキッドくんも体力の限界にきていますし、一旦設備が整っている本部の医療棟でしっかりと休ませませんか。体調が少しでも良くなれば前向きなアイデアも浮かぶでしょう」
「そうするか……また熱も上がってきてっしな。なあリキッド、とにかく暫く休め」
「――いや……ッ」
そのまま置いて行かれるとでも思ったのだろうか。リキッドはハーレムの腕の中から抜け出し、ソファに座ったままで後退りをするような仕草を見せた。
「飛空艦に残ってれば、置いてかれねえだろうってか」
ビクリと肩を震わせた辺り図星らしい。
如何にも子供くさい稚拙な抵抗だ。
「高熱が出ているのは恐らくリキッドくんが無意識に電磁波のエネルギィをそう変換しているからでしょう。このままの状態でハーレムのすぐそばに置いておくとまず、貴方の体がもたないんです。少しの間だけ距離を置いて、体調の回復に専念しては貰えませんか」
高松が諭すように声を掛けるがリキッドは俯いたまま、首を横に振るだけで聞き分けようとはしない。
無理に連れて行くべきだろうか。
それとも、意識を奪ってから。
否――どちらもハーレムには選択出来なかった。本人が納得しなければハーレムがそばに居ようが居まいがどのみち自滅してしまう。
リキッドの意志が強ければ強いほど、後催眠暗示に抵抗すればするほど、命が削られていく。ここで納得させるしかない。
だがそうするにも結局はリキッドの心に負担を強いることになる。とんだ悪循環だった。
「リキッドくん?」
どうしたものかと考えあぐねていると不意に高松が訝しげにリキッドを呼んだ。
様子がおかしい。俯いたリキッドの両手がその胸の辺りにやられていて、思う様にシャツを握りしめている。
「リキッド、どうした?」
「ッ……う……ア」
「オイせめて何処が痛ェのかそれとも苦しいのか言え、それじゃ分かんねえぞ?!」
それとも伝えることが出来ないのか。
とにかく辛いならまずは体を横に、とハーレムが抱え上げたリキッドの体は信じられない程の高熱を発していた。その割には顔色が蒼白だ。
「まさか――」
血相を変えた高松が飛び付く。そしてリキッドの脈をとるや否や、携帯を取り出しどこかしらに連絡を取り出した。
「ハーレム、リキッドくん抱えて医療棟まで走って下さい!」
「ちょっと待てもうちょい説明し――」
「処置室がある5階に。無駄口叩いてる暇はありません、移動しながら説明しますから早く!」
「わァったよ!!」
質問する暇も与えられず、訳が分からないながらもハーレムは言われた通りにリキッドを抱えて走り出した。
高松はそれに並走しながら、恐らく医局の団員あたりに携帯越しに指示を送っている。
「――ええ、殆どショック状態です。そう、不整脈、心原性ショックの。――IABP? いえそこまでは必要無いと思いますが……とりあえずその他の準備をお願いします。ああ、それと血圧が下がっている場合も考えて輸液と昇圧剤も用意しといてください、5分あれば到着しますので」
「5分で医療棟まで走れってか!?」
「痙攣起こすかもしれませんからリキッドくんの様子にも注意してくださいね」
「っだー!もうごちゃごちゃ言うな、説明は後で聞く!」
「賢明です。急ぎましょう」
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