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□Ruby
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++jewel++

Ruby
【石言葉:自由】



真っ暗に近いブリーフィングルーム。
中央のテーブルに据えられゆっくりと規則正しい明滅を繰り返すフリッカから、壁際に立っていたハーレムは目を逸らした。


「じゃあ、さっき説明した通りにしてみてください。まずは光に注目して、明滅に合わせて呼吸する。簡単でしょう?」


こくりと頷いたのはリキッドだ。こちらに背を向けてソファに座っている為、表情は窺えない。リキッドの斜め前に座り説明をしている高松の顔は、見た事も無い程穏やかな顔をしていた。
煙草は禁じられたが言われるまでも無く吸う気にはなれず、見守る事しか出来ない自分が、今はただひたすらに歯痒い。

これからリキッドに対して行われること――逆行暗示――そのものに関しては何も危険は無いと高松は言った。しかし決して気は抜くな、とも。





数時間前――


本部に着くなり、頼るはずだった高松の方から飛空艦にやって来たのを見た時は、さしものハーレムも面食らった。


「眠り姫のそばから離れないと聞きまして」

「茶化しに来ただけならブッ飛ばすぞ、このマッドサイエンティストが」

「今回はあながち否定出来ないですねェ。ある意味貴重なサンプルなんですよ、彼」

「……何?」



訝しむハーレムに向かって放られた紙束は、よくよく見ればハーレムが高松に送り付けたリキッドの経歴データだった。

プリントアウトされた数枚のうち、たった一枚の人物欄一ヶ所にだけチェックが入っている。


「これは……医者か? コイツは何も問題無かった筈だぞ」

「リキッドくんの家の“お抱え医”ってヤツですが、私が注目したのはその医師本人ではありません。医師が居た時期です。ところでハーレム、アンタMKウルトラ計画ってご存知ですか?」

「待て、待て。コイツが生まれる前にとうに終わった計画だろそりゃ、何の関わりがあるんだ。それともなにか? この医者とやらが元CIAだってのか? リキッドを洗脳の実験台にしたとでも?」


MKウルトラ計画とはかつて繰り広げられていた米ソ冷戦下において、アメリカCIAが極秘裏に行っていたとされる謂わば洗脳実験だ。確か僅かばかりの文章が公開されただけで、詳細は今もって全く分からない実験であったと記憶している。もっともハーレムですら十代の駆け出しの軍人の頃の話であり、あまり印象には残っていない。
そんな話を高松が何故突然持ち出したのか、頭の中はクエスチョンマークだらけだった。


「ひとつ目の質問の答えはノー。ふたつ目の質問の答えはノーとは言い切れませんが、イエスとも言えない。記録が殆ど残っていないので、全てが憶測でしかありません」

「テメェにしちゃ回りくどいな。憶測でも何でもいい、さっさと要点を言え」

「先程も言いましたが、注目したのは医師本人ではなくその医師が居た期間です」

「それが?」

「件の医師がおそらくはリキッドくんの頬の傷の治療を本格的に行ったはずです、あれだけの痕が残る傷ですから。これはアンタでも予想がつきますね?」

「ああ」

「その医師にはその頃、一人の助手がついていました。当時彼女はまだ医学生でしたし、リキッドくんの家と契約していたのは医師の方ですから、アンタが調べた記録にも名前が残っていないのは当然っちゃ当然ですね」

「彼女、ってことは女なのか。そいつが鍵だと?」

「おそらくは」

「マジに憶測でしかねェんだな」

「分かっている事の方が少ないんですよ、何せ調べようにも当事者とおぼしき人間は既に全員墓の下ですから。――彼女も含めてね」

「……それで、リキッドが“貴重なサンプル”ってワケか」

「ご明察です」


これだけすぐそばで会話をしていているにも関わらず眠り続けているリキッドを一瞥したハーレムだったが、そうしたところで何の意味も成さない。
全ては、リキッドの記憶の中にあるのだ。


「起こすか?」

「いえ、無理に起こさない方がいいでしょうね。最後に眠剤を追加したのはいつです?」

「2時間程前だ」

「なら1、2時間で自然に目を覚ますでしょう。それまでチェスでもどうです? 紅茶でも飲みながら」

「チェスは付き合ってやる。紅茶はテメェで勝手に淹れろ、俺は」

「シルバーディップスのセカンドフラッシュが手に入ったので持参したんですが、そうですか。残念ですねェ」

「――ああもうその辺に適当に座ってろクソッタレ!」


――それからリキッドが起きるまで、もう少し詳しく話を聞くことが出来た。

医学生だった女はやがて医師となった。てっきり精神科医か何かかと思ったが、外科医になったという。患者とのトラブルも無く、むしろ美しく聡明な新進気鋭の女医として評価は高かったらしい。だが女は一昨年、人の一生としては短い生涯を唐突に終えた。


「地下鉄に轢かれたんです。かつて彼女の患者だった少年に、故意にホームから突き落とされて」

「そりゃ偶然か? それとも」

「動機や因果関係は不明です。何せ、直後にその少年も地下鉄に飛び込んだので」

「仲良く心中、って訳でもなさそうだな」

「他にもケースは様々ですが、彼女が受け持った当時10歳前後だった子供たちは、いずれも成長過程のどこかで死亡しています。それも、他者を巻き込みながら」

「……全員がか」

「ええ。と言っても、数はそう多くない。それに死因も、シチュエーションも、何もかもバラバラなんです。両親と車に乗っていて事故死した少女や、恋人と一緒にビルから飛び降りた少年。遊んでいるうちに自宅のプールで溺れ死んだ幼い姉妹なんかもいます」

「それだけ死んでいて、何でその女は疑われなかったんだ――?」

「当初は疑われましたよ。ですが彼女が精神科医ではなく外科医だったこと、所持していた医学書等も全てまっとうな物だったこと、偏った思想に傾倒した形跡も無いことなどから捜査は打ち切りになりました」

「だがお前はその女が仕組んだことだと考えてる。その根拠は」

「彼女の祖父がペーパークリップ作戦でアメリカに入国した人物であること、この一点だけです。ただし化学者でも心理学者でもなく、物理学者です。ですから彼女も深く疑われることは無かった」

「成る程それでMKウルトラか。関わっていなくとも聞きかじっていた、もしくはそれ以上に興味を持っていた可能性はあるわけだ。――チェック」

「……おや、負けてしまいましたか」

「盤上だろうが戦争やるからにゃ、俺ァ絶対に勝つ主義でな」

「マジック様の方がお強いでしょうに」

「そんときゃ盤をひっくり返すんだよ」

「特戦部隊出動目的と同じですか」

「そーいうこった」


他愛の無いやりとりだったが、こうして紅茶を飲みながらチェスを指している間に多少冷静になれた部分は高松に感謝せねばなるまい、とハーレムは思った。勿論、口には出さないが。


「う……ン……」


その時だった――


「おや、眠り姫がお目覚めですよ王子サマ」

「だァれが王子サマだっ!」

「たい、ちょ……? え、ドクターも……なんで?」


目をショボつかせながら起き上る様はさながら眠り姫とは程遠い姿だったが、実によく寝た、といった間抜けな雰囲気をまとっている辺りまだ大いに寝ぼけているようだ。


「起きられそうなら、まず顔洗ってこい」

「美味しい紅茶がありますから、顔を洗っている間に淹れておいてあげますよ。ハニーティーにすればリキッドくんでも飲めるでしょう?」

「え、あ、はい。……?」


そうやって言いくるめて、顔を洗って戻って来たリキッドに紅茶を飲ませながら、高松から得た一連の情報を噛み砕いて話してやると心底驚いた顔をしていた。
リキッド自身その女とは数回しか顔を合わせた事がないらしいが、その度に話し相手にはなって貰っていたという。


「学校の話とか、ランドの話とか、わりとフツーの話しかしてた覚え無いンすケド……」

「じゃあ、詳しく確かめてみましょうか」

「へ? どうやってっすか?」

「実は私、催眠術が使えるんですよ」

「ええ?! ホントにィ――?」

「準備はしてありますから、ブリーフィングルームへ移動しましょうか」


――そうして、今に至る訳である。

単純な子ほど暗示にかかり易いんですよ――という高松の言葉はリキッドには黙っておこうなどと考えながら、ハーレムは2人のやり取りを観察していた。

普段よりも間延びしたような口調の高松が何事かを言うたびにリキッドは小さく頷き返していたが、やがてその背中がソファの背もたれに深く沈んだ。それでも首は傾かず、フリッカの方に向けられたままという事は意識は失っていない。心理療法の用語で言う所の、トランス状態というやつだろう。

それから暫く、高松が短い質問を投げかけて、リキッドが拙く返答するというやりとりが続いた。内容は拍子抜けするほど他愛の無い事ばかりだったが、リキッドの口調は驚くほど幼い。


「――怪我をした後も、その“お姉ちゃん”は来てくれた?」

「……きてくれたよ」

「前みたいに遊んでもらったのかな。それとも、勉強を見てもらった?」

「……おはなし、してくれた」

「どんな話をしたのかな?」

「……どんな?」


初めて会話が途切れた。リキッドが質問に質問を返したため、高松が意図的に言葉を切ったようだ。


「どんな話をしたか、教えてくれる?」

「えっとね、いっぱい」

「一杯?」

「うん」

「学校の事?」

「うん」

「ランドの事?」

「うん」

「成る程、一杯だね」

「いっぱい、だよ」


特に心理療法の知識がそう豊富ではないハーレムから見ても、そのやり取りは直前までとは違い異常だった。
リキッドはこれまで通り素直に質問に答えているようでいて、具体的な事は何一つ口にしていない。それに質問に対して答えるスピードが速すぎる。殆ど、高松の言葉尻に被さっていた。

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