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□Alexandrite
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++jewel++
Alexandrite
【石言葉:秘めた想い】
ベッドで眠っているリキッド。
任務の前の夜とほぼ同じ光景だったが、その表情は拍子抜けするほど穏やかだ。
「……間抜け面め」
Gの腕に抱えられた意識を失ったリキッドを見た時の焦りようと言ったら無かった。
単に眠っているだけだと聞かされても、昨晩のリキッドの様子を知るハーレムにとっては俄かには受け入れ難い。
「任務が終わったら傷痕の事を全て話す」、この子供とは昨夜そう約束したのだから。
単純に任務で疲れているから一休みした後で、というのなら話は分かる。だがリキッドは帰投するなりブリッジ上で倒れ込むようにして眠ってしまったと言うのだ。
表情こそなるほど穏やかな寝顔だが、誰が声を掛けようがハーレムが軽く頬を張ろうが、リキッドは目覚めなかった。
「本部へ戻る」――そう短く告げたハーレムはGから受け取ったリキッドを自室へと連れて行き、今に至る。
「ん、ぅー……」
目覚めが近いのだろうか、先程から時折こうして声をあげながらもぞもぞと身じろぐ様子は赤子か幼児のようだ。
だが同時に、目覚めてもなお赤子か幼児のようになってしまっていたらと薄ら寒い想像が脳裏を過ぎり、それを打ち消すかのようにハーレムはぶるりと頭を振った。
「いい加減起きろよバーカ……」
それだけはしてはなるまい、と頭では思っていても手が自然にリキッドの頬の傷痕へと伸びる。すると指先が触れるか触れないかのところでリキッドの目がぱかりと開いた。
少なからず驚いたハーレムは思わず手を引こうとしたが、それよりも早くリキッドに捕まれてしまい動くに動けない。
「どうした?」
リキッドは問いには答えず掴んだ手をハーレムと同じ様な驚いた顔で凝視していた。
まるで、何かを確かめているように。
「リキッド」
「え、うわっ、ごめんなさい……!」
改めて声を掛けると突然飛び起きたリキッドに面食らいはしたものの、別に怒っている訳ではないから落ち着くように促す。
「調子悪ィとか、そういうのは無ェか?」
ただ眠っていたように見えはしたが、意識を失っていたに近いものがあるので一応の確認をする。リキッドは小さく頷いて、兎に角立っていられない程眠かっただけだと答えた。
「そういや何でまた移動してンすか?あっちで暫く逗留するハズだったんじゃ――」
「本部へ戻る。……オマエ、まだ熱下がりきってねェだろ」
「微熱くらい大丈夫っすよォ」
「ダメだ。この際、高松にキッチリ診てもらう」
「えー……なンか実験台にされそう」
「ムカつくが腕は確かなンだよ、あの変態は。ついでにその残念な脳ミソ治してもらえ」
「ひっでェ!」
そう毒づきながらも笑みを浮かべるリキッドだったが、ハーレムがいつになく真剣な顔をしているのを見て、すぅっと表情を変える。
「……任務が終わったら話すって、約束してましたもんね」
「ああ。ケド無理はすんなよ?まァた爆弾抱えて飛ぶ羽目になっちゃ困る」
リキッドの隣へと腰を下ろしたハーレムは、そう言いながら寝癖のついた頭を掻き回すように撫でてやった。
自分でも笑い出しそうなくらいらしくない行動だったが、今はきっとこれが正解だろう。
「――10歳くらい……いやもっと前かなァ。あんま詳しく覚えてないンすよ、実は」
「いい、続けな」
「あ、はい。えーっと……昨日みたいな嵐の夜で、力が不安定になってた俺は全然眠れなくて。そしたらお袋がホットミルク作って持ってきてくれたんです。丁度、昨日の隊長みたいに」
当時の光景を思い出したのか、リキッドの頬が少しだけ緩んでいる。だがひとつ瞬きをする間にその柔らかさは消え失せていた。
「……雷がすぐ近くに落ちたのは覚えてる。カップが割れる音がして、常夜灯が消えて真っ暗になって。目の下がかあって熱くなったと思ったら、そこが滅茶苦茶痛くなって泣き喚いて。完全に、パニック起こしてました」
なるほど、昨夜ヒビの入ったカップを見て血相を変えたのはこの記憶の所為らしい。
「それがこの傷か」
小さく頷くリキッドの動きはぎこちない。
カップの破片が頬を裂いたのだとしたら、相当勢いよく割れたのだろう。むしろこの傷一つで済んだことの方が幸運だったかもしれない。
しかしそこで否、とハーレムがある考えに思い至ったのとリキッドが口を開いたのは同時だった。
「気が付いたら電気が点いてて、親父も居て。一瞬安心しかかったんだけど……お袋の、腕と頭から血が、出てて……そっからあんま覚えて無いから、多分寝ちまったんだと思うンすケド……」
やはりそうかとハーレムはひとり納得する。
カップを渡そうとした母親も諸共に至近距離から破片を浴びたのなら、無傷で済むとは到底考え難い。
大統領夫人が大怪我をしたというデータは無かったので実際には軽傷なのだろうが、年端のいかない子供にとっては十分にショッキングな出来事の筈だ。
「――それだけか?」
「え?……んー、それだけっす。起きたらちゃんと手当されてて、お袋もいつも通りで。親父なんか“俺に似てやんちゃだ”って笑ってました。勿論お袋にごめんなさいしろって言われた後でですけどね」
「確かに不可抗力にしろ、お前が電磁波でやらかしちまったことにゃ変わりねェからな」
「そっす。したらお袋も、割れないカップにしとけばよかったわねーって。電磁波が不安定になってるって分かってたのに、ごめんねって。お互いにごめんね合戦になったから、途中からなんだか可笑しくなって、しまいには“パパに新しいカップ買って貰わなきゃね”とかそんな話してて……」
「――じゃあ“誰も悪くない”ってのは、どっから出てきたんだ?」
「え?」
「オマエ、いつか言ってたろ?“周りの人間が勝手に”とか何とかって」
ハーレムにしてみればそれはごく自然な疑問を口にしたに過ぎないのだが、当のリキッドは明らかに困惑している様子だった。
「俺、そんなこと言いましたっけ?」
「……ホープ・ダイヤの話をしてた時だ」
水を向けてみるが手応えは芳しくない。
リキッドの話を聞いた限りでは年月を経た今になってもなお、体が先に反応するほどのトラウマになるような経験だとはやや考え難かった。ましてごく最近の己の言動が、いくらリキッドがトリ頭と言えども記憶からごっそりと抜け落ちているなど、いよいよ不自然な事で。
「"話す"つったのは覚えてっか?」
「うん。今まで人にちゃんと話したこと無かったンすけど……でも、話してみるとそんな大した事じゃ無いっすねェ」
内容は確かに大した事では無い。
ただ、リキッドの反応は最早異常だ。
「リキッド」
「何すか?」
「……ちょっとこっち向け」
「――ッ、あ……?」
リキッドは動かない。
いいや、動けない。
自身の言動を覚えていないことが分かってきた辺りから、目に見えて体が緊張し始めていたことにハーレムは気付いていた。
しかしリキッド自身は全くそうと気付かずに歪な笑顔を顔に貼り付けたまま、宙の何もない一点を瞬きも忘れたように見つめたまま喋り続け、その異常な様子はハーレムの背中を冷たくさせるには十分で。
「リキッド、俺の方を見ろ」
強い調子でそう言えばこちらを向こうとするのだが、まるで見えざる手にでも押し返されているかの如く行きつ戻りつを小さく繰り返している。
そうこうしているうちに体までもが小刻みに震えだした。
――これは、マズいかもしれない
直感的に悟ったハーレムはそろそろとベッドサイドの艦内通信機のボタンへ手を伸ばす。
頼れるチャイニーズの私室か、それとも今の時間帯であればリビング代わりのブリーフィングルームか。
そう思案している矢先、ゴウンと不吉な音がして艦全体が大きく振動した。
同時に鳴り出した通信機のコール音にすぐさま飛びつく。
「オイどうしたァ!?」
『計器類のほぼ全て――エラーが出――、自動制御から手動に――』
比較的落ち着いているマーカーの声に、ザラザラとしたノイズが重なり聞き取り辛いが要点は分かった。今の振動は艦の制御が手動に切り替わった時のものだ。
「そこは他に任せてこっち来てくれ!リキッドがなンかヤベェ!」
こちらの声も、うまく届いているかは分からない。だが異変は察知している筈だ。
天候に難は無い以上、多くの計器類に影響を及ぼすなどリキッドの力の他に無い。
「……ヤベェのは俺も、か……?」
通信の方に気を取られていた意識をリキッドの方に戻す。今の所見て分かるような力の暴走は無いが、こちらの出方次第でどう転ぶかは全く以て分からない。慎重に対応する必要があった。
「リキッド」
なるべく声音を抑えながらその顔を正面から覗きこんでみる。相変わらずカタカタと震える体、目は焦点が合っていない。
本人に無理をして話をしている様子は無かった。リキッド自身もまさかこんな事になるなど予想し得なかったのだろう。
「リキッド」
焦点の合わぬ目を見据えながら、再度名を呼ぶ。一体、この短い時間の間に何度この子供の名を呼んだことか。
「……クソ、マジでヤベェじゃねェかよ」
ふと思い当たった事にハーレムは声を出して毒づいた。リキッドを正気に戻した所で蓄積された力の行き先が無い事に気付いたのだ。
一体どの程度の力が押し込められているかは分からないが、静電放電器に守られ落雷対策は万全の筈の計器類にまで影響が出ているとなると相当の規模であることは間違いない。
本部到着までまだかなりの時間を要する事を考えると、ハーレムに残された選択肢はごく僅かだった。
――目の前に居るのがどうでもいい人間ならきっと躊躇わずに殺していたに違いない。だがどうしてそんな事が出来よう。この、愛しい子供に。
深呼吸ひとつ。
左手を、結んで開いて、みっつ数える間に小さな光球を生み出して。
その光が、波のようにほどけて自分とリキッドを包み込む様をひたすらにイメージする。
己の力もリキッドの力も、量子力学の概念で考えるとするならば波であり粒子だ。
上手くぶつければ、相殺出来る。理論上は。
「ぐ……っ」
重なり合った波がうねりとなって襲う。
弾かれた粒子ひとつひとつが突き刺さる。
そんな感覚が、痛覚に形を変えて覆い被さってくるのにハーレムは呻いた。
同じ痛みをリキッドが感じているかは分からない。酷い耳鳴りがした。
「う、お…っ?!」
何かが――例えるなら部屋全体の空気が、弾けたような音と感覚と共に突然力の抵抗が消えて無くなる。反動でか、勢いよくぶつかりそうになったリキッドの体を辛うじて受け止めて初めて、汗が顎から滴る程噴き出ていた事を知る。
「た、いちょ」
掠れた声が呼んでいる。
「ハーレム、たいちょお……!」
堰を切ったように泣き出すリキッド。
止まっていた時が、漸く動き出したかのように見えた。
元来気の利いた言葉ひとつ掛けてやるのも難しい性格であるのに、疲労感が半端では無い今のハーレムではそんなリキッドの背中をポンと軽く叩いてやるのが精一杯で。
「隊長」
「遅、ェ」
「申し訳ありません、下手に刺激すると危険だと判断致しましたので」
静かに部屋に入ってきたマーカーの姿に安堵の息が漏れる。その手に携えられているものを確認したハーレムは、流石出来た部下だと褒め称えたくなった。
「ふ……っう、え……ッ」
「あーもう……鼻水擦り付けてんじゃねェよ、ったく……」
泣きじゃくるリキッドの顔を上げさせて、安心しろという言葉代わりに額にキスをした。
興奮した所為か、折角微熱程度になっていた体温はまた上がっていて。
「もう少し寝てな、リキッド」
「や、だ…っも、嫌…!たいちょ、の、そばがいい…っ、怖い…!」
「起きるまでずっとこうしててやっから」
「ッ、うー……!」
両腕でしっかりとリキッドの体を包み込む。
しゃくりあげて跳ねる背中、いつまでも落ち着かない鼓動が、只でさえ頼り無いリキッドを更に一回り小さく見せているようで痛々しい。
「マーカー、頼む」
動きは迅速だった。
音も無く、マーカーが手にした鍼がするりとリキッドの横首に沈む。彼得意の鍼麻酔だ。
力の抜けたリキッドの口元に更に麻酔薬をしみ込ませた布が宛がわれ、強制的に深い眠りへと落とす。
「本部に到着するまで眠らせておくのが最善でしょう。……何があったんですか?」
「こっちが聞きてェくらいだ。爆弾の中に更に爆弾を見付けた……ってトコかァ?」
「はあ」
「とりあえず、リキッドが10歳前後の頃の記録を洗い直して本部の高松ン所へ送っておいてくれ。詳しい事は後で、説明する」
「承知しました」
皆まで言わずとも状況を理解し、一礼して去っていくマーカーの背中をぼんやりと見送る。正直、話すのも辛いほどにハーレムも疲弊していた。
「ほんっと、手のかかるガキだよテメーは」
あどけない寝顔。その裏側、リキッドも知らない間に潜まされていたものにハーレムは言い知れぬ他者の悪意を感じた。
秘めた想いを弄ぶかのような。
これは高松に結構な借りを作りそうだ――そんな事を思いながら、投げ出されているリキッドの手を取る。
指と指を絡め、祈るようなかたちにして。
ひたすらに、このこどもが壊れてしまわないようにと。願った。
【アレキサンドライトは何色に輝く?】