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□Emerald
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++jewel++
Emerald
【石言葉:希望】
「…っと」
がくりと揺れた機体に足を取られ、ハーレムはたたらを踏んだ。
幸い、手にしていたマグカップの中身はぶちまけずに済んだので胸を撫で下ろす。
窓の外を見やればそこは春の嵐と言うには生易しい黒い雲に覆われ、風に巻き上がる雨粒の合間を切り裂くように稲光が縦横無尽に駆け巡っていた。
「リキッド、入るぞ」
目的の部屋の前まで来るといつもは掛けない声を掛け、しかし返事は待たずにドア横にある【OPEN】のパネルを叩く。
照明が落とされている為に室内は薄暗いが、ぼんやりと光る一角がある。ハーレムは一瞬ギクリとしたが、よくよく見れば前に買い与えたキャンドルライトの頼りなげな灯りだった。びっくりさせんなっつーの、そう小さく呟きながら室内へと足を踏み入れる。
「調子はどうだァ?」
マグカップをサイドテーブルの上に置いたハーレムは、ベッドの上で小山になっているシーツをそろそろと捲った。
中から現れたリキッドの、穏やかとは言い難い寝顔に眉をひそめてその額へと手を伸ばす。敢えて手袋は取らなかったのだが、それでも伝わってくる体温はいつになく熱い。
「ぁ…、たい…ちょ…?」
「おう」
「あぶな、す、手ェ…」
「手袋してっから大丈夫だ。しっかし熱冷ましも効かねェたァ難儀だな」
リキッドは今、能力のコントロールが利かない状態に陥っている。否、コントロールそのものは何とか利かせているが、大きすぎる負担が体を蝕んでいると言った方が正しい。
それもこれも、次の任務の関係上この嵐の中に針路を取らざるを得なかった事が主たる原因だった。
リキッド本人にもある程度鍛錬不足といった原因はあるものの、未だ体そのものが成長途中である若い体は些細な事で簡単にバランスを崩す。特に彼の雷撃は人体と密接に関係している能力である以上頭ごなしに叱りつけるのは流石に酷かと、さしものハーレムもこうして大人しく看病(の、ようなもの)に専念している。
「もう暫くしたら雲を抜ける筈だ、踏ん張れるな?」
「っ、ん」
「つーか踏ん張ってくれねーとな。いきなりドカンなんざゴメンだぜェ?」
「ジョーダン、ぜって、ぇ、踏ん張る…っつーの…ッ」
「ま、心意気はよぅく分かった。そう力むな、いーいモン持ってきてやったからよ」
起きられるか?そう問えばフラつきながらも上体を起こしたリキッドの目の前に、マグカップを差し出した。
ほのかに湯気を立てるそれにリキッドは一瞬目を見張ったが、カップの中身が何か分かった途端その表情はすぐにふにゃりと溶けて。
「この嵐、たいちょーの、せい?」
熱に潤んだ瞳を細めて笑うリキッドに「ばーか」と言葉だけを投げつけながらマグカップを寄越す。
まだ少しあちぃから気を付けろ、と言ったそばから「あつい!」と舌を出すその仕草に少々眩暈がした。
「天罰」
「ひっでーェ…」
それでもふうふうと息を吹きかけながら、カップの中身を少しずつ嚥下する様子に安堵する。
「ホットミルクかァ…なつかし…」
「温めたミルクにゃ睡眠薬と同じ成分が入ってっからな。ちったぁ楽に寝れンだろ」
「へェ、隊長物知りっすねェ」
体調が落ち着いてきたのか、リキッドの口も滑らかになってきた。エンジン音からして高度も下がって来ているようで、この分だともう心配はいらないだろう。
出撃出来るかどうかの最終判断は目的地に着いてからすればいい。
「…ね、たいちょ…」
「ん?」
ごちそーさまと差し出された空のマグカップを受け取るハーレムの腕を、リキッドが不意に引っ張った。
「任務が終わったら、」
言葉に詰まったリキッドが何を言いたいのかを察したハーレムは、そのまま静かに続きを待つ。
「話します。この、傷痕のこと」
ホント大したことじゃないんです、
呆れるかもしれない、
だから、でも!
堰を切ったように紡がれる言葉の合間に、パキンと乾いた音がした。音の方を見るとどうやらマグカップにヒビが入ったらしい。
リキッドの力に、中てられて。
リキッドの喉から、ひゅう、と
笛のようなおとがした
咄嗟にカップを持った方とは逆の腕でリキッドを胸の前に引き寄せる。弾みでカクンと仰のいたリキッドは苦しげに呻いたが、構わず噛み付くようにキスをした。
冗談抜きで痺れるキス。ゆっくり離した唇の間には、銀糸の代わりに静電気の小さな雷光が走る。
「あー…クセになりそ…」
未だ痺れる舌先でリキッドの傷痕をなぞる。
いっそのこと快楽で上書きしてしまえたらと思った。
「いつまで呆けた面してンだ」
ンなに気持ち良かったか?と笑いかけてやれば、つられて笑顔のような、笑おうとして失敗したような微妙な表情を浮かべたので益々可笑しくなる。
ヒビの入ったカップをサイドテーブルにそおっと置いて、改めてその両の手でリキッドを抱き寄せた。つい先程までガチガチに硬直していた体からはすっかり力が抜けていて、いっそ頼り無い程で。
「ちゃんと、話すから」
だがそんな状態にあっても、その言葉だけはとても凛としていた。
「そればっか気にかけて、任務でヘマすんなよ?」
無意味に甘やかすつもりは一切無い。
“任務が終わったら話す”と言うのであれば、きっちりと出撃して貰う。
そんな事を、優しく抱き締めながら思うのも我ながらどうなんだと自嘲するも、当然あると思った返事が無い。
「…リキッド?」
見れば、先程のホットミルクが漸く効いてきたのかリキッドはすやすやと穏やかな寝息を立てていた。
起こさぬよう苦労しながらベッドに横たえる。ふと窓の方に視線を向ければ外の景色も同じように穏やかになっていて、白み始めた空が拍子抜けするほど綺麗だった。
「さァて」
鈍かったエンジン音が呻り出す。
着陸は間も無く。そして任務開始まではたかだか数時間。
リキッドが起きるまでそばに居てやりたいのは山々だったが、己の立場上そうはいくまい。雑務を押し付けられて痺れを切らしたチャイニーズの足音が、そら、すぐそこまで迫っている。
容赦無い怒声が響き渡る前にハーレムはリキッドの部屋を後にした。ドアの前には片眉をつり上げたマーカーが文字通りの仁王立ち。
「子守りはお済で?」
オマエの方こそリキッドの看病したかったんじゃねーの?という言葉は後が恐ろしいので飲み込んでおく。
「任務の時間までドアに“Don't Disturb”って札でも下げといてやれ。…やぁっと落ち着いたわ、ったく」
「厄介なものですね」
ああそうだ、全く以て厄介だ。
何だってあのお優しい世間知らずのお坊ちゃまが、恐らくはこの特戦のメンバーの中でも最も凶悪な力を持って生まれたのか。
あの、触れるだけで人を簡単に死に至らしめる力を。
「考えても仕方無ェ。目の前の事に対処して、今後同じ事が起きねェよう躾けるだけだ」
「くれぐれもボーヤが身体的な成長途中という事を忘れないでくださいね」
「テメーにしては寛大なご意見だな」
「尻拭いは御免です」
「そういう事にしといてやンよ」
何せこの鉄面皮も隠しきれていないのだ。
リキッドが心配だ、という事を。
「ああ忘れるところだった。コレ、直しといてくンねえ?」
歩き出しながら、部屋から持って出たヒビの入ったマグカップを、後ろに付き従っていたマーカーに渡す。
「ヒビんトコ、稲妻みてェだからよ」
それだけ言えば、物分かりの良いチャイニーズは了承したようで。
本来は自分でやれば恰好もつくのだろうが、如何せん図工の成績だけはよろしくなかったハーレムだ、下手に弄った方が惨事になるのは目に見えていた。
「任務が終わるまでには使えるようにしておきます」
「ついでにアイツの好きなファンシー柄でも描いといてやれ」
「それはご自身でなさったらどうです?」
「…く、黒丸みっつとかなら」
「ギリギリですね」
「ギリギリどっち!?」
他愛の無い会話をしながら通路を歩く。窓からはまだ昇り切らない太陽の光が差し込んでいた。
それは希望の光になるのか、それとも
【エメラルドに希望を託して】