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□Diamond
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++jewel++

Diamond
【石言葉:清浄無垢】



「寝るんなら部屋で寝ろよ」


飛空艦で、リビングとしての用途も兼ね備えているブリーフィングルーム――そのソファを陣取りつつも舟を漕いでいるヒヨコ頭を見付けたハーレムは、そう声を掛けた。


「ん、んー?」


殆ど夢の中に居たらしいリキッドはハーレムの声で夢から現へと戻って来たようだが、すっかり緊張感の抜けた声で小さく唸り、キョロキョロと辺りを見回している。


「ココだ、ココ」

「ひゃっ」


気配を消して近付き、背後から再び声を掛ければ驚いたリキッドが膝の上から何かを取り落とした。
ハーレムが目をやるとそれは随分と読み古された雑誌で、表紙は所々テープで下手くそな補強が施されている。

City Paperというシンプルなデザインの文字列の上には小さくWASHINGTONと表記されていて、ああ、そういえばコイツはソコの生まれだったなとまさに他人事のように思った。


「ちょ、もー、ビックリさせないでくださいよ隊長!」

「ははっ、そりゃ悪かったな」


悪戯心から気配を消して近付いた事は事実なので、素直に詫びつつそのぷうと膨らませた頬に唇を寄せる。
たったそれだけで、ホラ。もうご機嫌だ。

ただ、そうやって偶々触れたのが例の傷痕のすぐそばだった。
何気ないフリを装うのも楽ではない。


「しっかしえらい年季入ってンな、コレ」


ソファを一跨ぎに乗り越え、床に落ちた雑誌を拾いつつ腰を下ろす。
発行されたのももう随分前で、パラパラとめくったページのあちこちに表紙と同じような補強がされてあった。


「ロッドがどっかからこういうの色々貰ってきてくれたンすよ。マーカーなんかはもっと難しい?ちゃんとした?本とか新聞とかを読めって言うンすけど」

「ま、オメーの頭じゃ無理だわな」

「これでもまだ難しいっす…」


なるほど、これは週刊版の新聞のようなものらしい。リキッドが「難しい」と言った証拠に、経済面などのページは比較的綺麗なまま保たれていた。
だが政治面は彼の父親のこともあってか、自他ともに認める残念な頭の割には読み込んでいるようだ。理解しているかどうかは、別として。


「…お」


ふと、ハーレムは妙にボロボロになったページに行き当たった。


「あ、そのコラム好きなンす!」

「スミソニアン博物館のホープ・ダイヤモンドねぇ。いかにもファンタジー好きなリッちゃんにはお似合いだな」


ホープ・ダイヤモンド。俗称を、呪いのダイヤ。持ち主が次々と不幸な目に遭うという触れ込みで一躍有名になった50カラット近いブルー・ダイヤモンドだ。


「キレーなのに怖いっすよね」

「はっ、呪いなんてあるわきゃねーだろ」


文字通り鼻で笑い飛ばすと、案の定リキッドは「でも、」と食い下がってくる。


「そんなもん、ゴシップ好きな奴らが面白おかしくある事ない事書き立てたデマだったり、単なる思い込みだったりするんだよ」

「えー?」

「第一ダイヤの方も迷惑してんじゃねーの?呪いだなんだって腫れモン扱いされて、全ッ然関係無い事でもテメェの所為になっちまうんだしな」

「…そりゃ、イヤかも…」

「ンで、“そこまで自分の所為にされるんだったらいっそ本当に呪ってやる”ってなっちまったかもしんねーな」

「うわ、怖ッ」

「怖ェか?呪いのダイヤなんて最初から無かった、それを周りの人間が勝手に作り出しちまった。生きた人間の方がよっぽど怖ェと思うぜ、俺は」

「周りの人間が、勝手に…」


話しながら紙面を目で追っていたハーレムだったが、リキッドが反芻した言葉が今自分が言った結論の根幹からズレていることを訝しんで顔を上げた。


――そこにあったのは、明らかに動揺したリキッドの顔で


今ハーレムは傷痕に触れた訳でも、傷痕の事を口にした訳でも無い。なのにリキッドの瞳はその時と同じ様に揺れている。
黙っていてやるのも限界だろうか。考えあぐねて思わず「リキッド、」と呼びかけてしまった。


「――…、ハイ?」

「…いや、何でもねェ」


自分が声を掛けた事で更に動揺させてしまうかと思ったのだが、予想に反してリキッドはホッとしたような表情を浮かべたのだ。
だからハーレムは二の句が継げなかった。


「っ、オイ?」


右隣に座っていたリキッドの体が傾き、ハーレムの肩口に頭を乗せるようにしてもたれ掛ってきたのに今度はハーレムが少なからず動揺する。


「もう少し、待ってください」


何を、と。
リキッドは言わなかった。
ハーレムも聞くことはしなかった。

その代わり、リキッドの僅かな言葉を頼りに推論だけを巡らせる。
リキッドの頬に傷が刻まれた経緯。
それに触れると緊張――動揺する理由は何なのかを。

「周りの人間が勝手に」
リキッドが反芻した言葉。彼がそう言うからには、そこに両親は含まれていまい。
そしてどうやら傷が出来た原因そのものは、リキッド本人にあるようだ。

それに対して周りの人間は。
彼に何を言ったのだろう。
彼は何をされたのだろう。

当初より聞きたいことが増えてしまった。
だがハーレムからは聞き出せない。何より当の本人からは「待って」ときている。


「…だれもわるくない…」


暫く黙りこんでいると、溜息を吐くような声でリキッドがボソリと呟いた。
ほんの少しの間にひどく疲れてしまったのか、全く覇気が無い。


「リキッド」

「ん―…」

「寝るんなら、部屋で寝ろよ」


初めに声を掛けた時と全く同じ言葉を掛けてやるが反応は無い。


「…俺の部屋、行くか?」


そう言ってやればリキッドは黙ってハーレムの手を取った。
まるで縋るようなその手を暫く握りしめている事しか出来ず、ハーレムは静かに憤る。

「誰も悪くない」
リキッドは確かにそう言った。

「お前は悪くない」
ハーレムは、そう言えなかった。
それは言ってはいけない。

清浄無垢だった幼い彼の心を、誰も彼もがよってたかって少しずつ傷付けたのだと容易に想像がついた。勿論、そんな自覚も無いままに。
だから、例えリキッドを肯定する言葉だとしてもそれは刃になりかねない。
今は目の前の事を受け入れるしか、ハーレムにすべは無かった。

ただ一つ願うとしたならば。

 強くなれ、

  それだけだ。


【ダイヤモンドは屈しない】

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