LOG2

□Lapis lazuli
1ページ/2ページ



++jewel++

Lapis lazuli
【石言葉:尊厳、崇高、永遠の誓い】



「それはそれは、みっともない姿でした」


高松が、のちにそう語るほどに。
歳にも肩書きにも、勿論容姿にも、不相応な姿をハーレムが晒してから一夜が明けようとしている。

あれからまた気を失うようにして眠り込んでしまったリキッドの、そのそばから離れがたくて居座った病室だが、結局ハーレムはまた殆ど眠れずにいた。
リキッドが眠ってしまう前に見せてくれたあの笑顔に、全て終わったのだと確信している。
頭でも、それは理解している。いるのだが、どうにも気持ちが付いてきていないのかもしれない。
穏やかな寝顔に安堵して微睡んで。
けれども普段あれだけ寝相の悪いリキッドが(ハーレムも同類であるのだが)、身じろぎひとつせずに眠っているというのが不安で、飛び起きる。
その繰り返しでいたずらに時は過ぎて。

しかしさすがに3夜連続での徹夜というのはこたえたらしく、窓の外が少し白み始めたな――という記憶を最後に眠り込んでしまったようだった。


「っ、……ぁ……? ――リキッド?!」


顔に当たる陽光にハーレムは目を覚まし、のろのろと体を起こした。
昨日のうちに運び込んでいた2人掛けのソファの上、いつの間に体を横にしていたのだろう――そう思いながら上げた視線の先、ベッドの上に居るはずのリキッドの姿が消えていて思い切り狼狽える。


「コッチっすよ」


ほぼ真横から、リキッドの声がした。
ハーレムが慌ててそちらに顔を向けると、窓を背にしたリキッドが立っていて。
笑っているようだったが顔は逆光でよく見えない。


「隊長?」


リキッドが近付いてくる。
何も言わないハーレムを訝しんだのかもしれない。
そのままハーレムの隣へと腰掛けたリキッドは、困ったように笑いながらその手を顔に向けて伸ばしてきた。


「外、ちょっと見てただけなンすケド……」


どうにも、昨日から涙腺が緩いままのようである。
ハーレムもまた困り、笑うしかなかった。
泣きたくて泣いているわけではなく、勝手に涙が溢れてくるのだ。
放っておけば止まるだろう。
そんなことをぼんやりと思いながらも、ハーレムは己を包み込むように抱き締めてくるリキッドにすがった。
弱々しく。それしか知らぬ子供のように。


「――だれも、悪くない」


暫くして呟かれた、リキッドの言葉にびくりとした。
それは確か「覚えていない」と言ったものではなかったか。
色々と、思い出したのかもしれない。


「先生が、言ったンす。優しかったのはお姉ちゃんだけじゃない。先生も俺を、助けようとしてた」

「……お前の家だけは問題無かったろ。他の子供達の所は全て機能不全家族だった、だからお前だけは違う」

「俺には、この力があったから」

「そんなことが理由に、」

「なる。俺も隊長も、それが普通になっちゃってるけど実際は……普通じゃない。少なくとも先生から見たら、普通じゃなかったんだ。だから俺を」

「助けようと、した?」

「多分。他の子達もそう。まともに生きられそうにない、まともに大人になれそうにない。だったら、いっそ楽に。……最高に間違ったやり方だけど、助けようとしてくれてた、その気持ちだけはきっと悪意じゃなく善意だって、俺は信じたい」

「――あんな目にあったのにか」


リキッドが静かに頷く。
左頬にはまだ大きなガーゼが貼られていて、その下の傷を想ったらまた怒りのような感情が、新たな涙と共に沸々と込み上げてきた。
やり場など無いというのに。


「先生もお姉ちゃんも、もう居ないンす。全部終わったし、俺は生きてる。隊長も。だからこれまでの事に憤るより、これからの事を何て言うか、考えたいっていうか……。……それじゃダメかな」


駄目、では無い。
頬を伝う涙を拭ってくれているリキッドの指をぼんやりと見つめながらハーレムは思う。
女医の指導教授であり、リキッドの家と契約していた医者は、女医の事故死と前後するように数年前に死んでいる。
彼が(おそらく)やってきた事とは無関係な病で。


「確かに、全部終わった。お前に後催眠暗示が掛けられていた事は事実だが、その真意は結局当事者が死んじまってて分からないから突き止めようが無い。だったら生き残った奴が、お前が、納得のいく形で考えて腹に飲み込んじまえば済むことかもしれねえ。でもな」

「うん……?」

「俺は、まだ納得がいかねえ」


ハーレムは、頬に添えられていたリキッドの手を掴んだ。
冷たい指先。まだまだ体調が不安定な証。


「お前の言い分は勿論解る。過去の事は今更どうしようもねえ、だからこれからの事を見据えて生きていく。ご立派な結論だ。だがな、今はどうなんだ」

「いま……?」

「俺と会ってから、俺が傷の事に触れるまで……いや、それ以降もお前はずっとお前自身と戦ってきた。敵が目に見える訳じゃない。孤独な戦いだ。俺たちはほんの少しばかり手を添えただけ。医者の想いはどうあれお前が苦しんだ事は事実で、それをお前は乗り越えた。文字通り、死ぬような思いをして」


ぴくりと、リキッドの瞳が揺れる。
構わずにハーレムは続けた。


「苦しかったろう、怖かったろう、俺を殺したと思い込んでお前もまた、俺に殺されたのだと、あの瞬間――お前の目が覚めるまでは、お前にとって紛れもない事実だった。……俺は、恐ろしかった。お前が目覚めるまで不安で仕方なかった。この、俺がだ。今もこんなみっともない真似を晒すほど恐ろしかったんだ、なのに」

「たい……ちょ……、」

「何で笑える。そんな物分かりの良い顔なんざ、もっともっと後にしていいんだぞ。お前は強くなった、だけどまだ発展途上だ。任務に関してダダこねたらはっ倒すけどな、こんな時くれェ泣き喚けよ。全部飲み込んでさも俺は大丈夫ですよなんて顔をして、平気に振る舞うなんざ10年早ェ」


もしかしたら、ハーレムの方が先に泣いてしまってタイミングを逃したのかもしれない。
だとしたら余計な気を遣わせて申し訳ないと思いつつも、今の言葉で明らかに動揺したリキッドを腕の中に掻き抱いた。
震えていた。


「リキッド」


促すように背中を撫でてやる。
それをきっかけにして、リキッドの目からは堰を切ったように涙が溢れてきた。
涙だけではない。
泣き声も、初めはひきつれたような掠れ声だったものがやがて咆哮混じりの慟哭へと変わっていく。
何かを言おうとしているのだが、言葉にならないようだった。
ハーレムよりも一回り小さな体に目一杯溜め込んでいた、幼子の如き剥き出しの感情が言葉を追い越していて。


「こわかった、こわかった! 俺っ、おかしくなったかと……ッ、ひと、こ、殺し過ぎて、狂ったのかって、隊長が……っ、隊長のせいでっ、隊長がここに連れてきたから、でも俺はっ! 隊長が、隊長がぁ……!」

「っ、……」

「きらい、だったのに! 初めはッ! なのに隊長が、俺、隊長が好きでぇ……! くるし、くて、やだ……っもうやだ! 苦しかった! 怖かった! 隊長なんかいなくなっちゃえって、いなく、や……っだ、そんなのやだっ、俺は、俺は隊長をこの手になんか掛けたくなくてっ、でもやらなきゃって、そんなの、そんなの思いたくないのにっ、考えたく、ないの、に……いっ、――う、あ、」


とにかくありったけの感情を。
言葉にならないほど激しく。
時にハーレムに掴み掛りながら、泣き過ぎてえずき、舌を噛むのではと危惧するほどに歯を食いしばっては、髪を振り乱して喚き散らす、その様が。
どうしようもなく、いとおしくて、たまらなかった。

掴み掛かられ、暴れるその手が体を打とうがハーレムはリキッドを抱き締める腕を緩めなかった。
ひたすらその耳元で「もう大丈夫だ」と言い続けた。昨日のリキッドがそうしてくれたように。


「夢じゃ、ないっ、よね……ッ?! 隊長は生きてる、俺、隊長を刺した、けどっ隊長は……隊長はっ……!」

「大丈夫だ。生きてる。俺も、お前も。ちゃんと生きてる。俺も、ゴム弾とはいえあんな至近距離で、しかも頭を、撃った。正直生きた心地がしなかった。ごめん、ごめんな、リキッド」

「うえ、え……!」

「生きていてくれて、生き抜いてくれて、本当に良かった。嬉しかった。ちゃんと生きてるぞリキッド。今、生きてる。そしてこれからも、生きて、ちゃんと大人になるんだお前は。俺からしたらまだまだガキだけどよ、もう何も出来ないような小さな子供じゃねえ。色んなことが出来る。強ぇよ、お前は。強くなった」

「ったい、ちょ……、たいちょお……!」

「でもまだまだだ。泣いて泣いて、その顔を拭ったら前を向いて、もっと強くなれる。お前はそうやって来ただろう。……ホラもっと泣け。そしてもっと、お前が望む強さを、お前自身で手に入れろ。俺よりも、強くなるんだろう? 俺も追い付かれないようにしなきゃなあ」

「――〜〜っ、ふ、ぅあッ、あ!」


リキッドが、ハーレムの体が軋むほど力を籠めてしがみ付く。
漸く少し落ち着いてきたのだろうか。
泣き疲れてきたのもあるだろう。
腹の傷に障って呻き声を上げそうになったハーレムだったが、そこはこらえて先程と変わらずにリキッドを抱き締めていた。



「――高松。居るんだろ、そこに」

「そりゃあ、あれだけの大騒ぎをしていれば誰でも気が付きますヨ。リキッドくんは? 眠ったんですか?」

「ああ。あんだけ泣き喚きゃな……――無理させちまった。すまん」

「――不気味ですねえ、アンタが素直だと」

「うっせ」


泣き疲れたリキッドが眠ってしまった頃。
しばらく前から病室の前に気配があるのには気付いていた。
声を掛ければ案の定、リキッドの泣き声を聞き付けた高松が控えていて、ハーレムは少し安堵する。
「まだ無理をさせるな」と散々釘を刺されていたのに、その結果が腕の中でぐったりとしたリキッドだ。


「まあ、顔色もそれほど悪くありませんし昨日みたいな酸素吸入も必要ないでしょう。ゆっくり休ませてあげることですね。解離していたらしい自己も落ち着いたようですし」

「……目が覚めてからこっち、終わった事に対して他人事みてぇに話すから妙だとは思ってたんだ。これでやっと本当に片付いた……か?」

「少しは揺り戻しもあるかもしれませんが、基本的に放っておいて大丈夫ですよ。長いこと掛かったままだった暗示が一気に解消されたんで、受け止めきれていないだけです。廊下にまで響き渡るほど泣き叫んで、今の自分の感情を電磁波の暴走無しにぶちまける事が出来たんですから、そう心配する事もないでしょう」

「そういやそうだな、ピリッともしなかった。……ところでよ、高松」

「なんですか?」

「この頬の傷、やっぱ残っちまうのか?」

「元々の古傷と二重になってしまっていますからね、かなりくっきり残ると思います。もっとも綺麗に治そうと思えばいくらでもやりようがありますが。……残すか残さないか、その選択は彼に委ねてはどうです」

「どうせ答えは1つだろうよ」

「でしょうね」


そう言うと、ハーレムと高松は2人して示し合わせたようにリキッドの顔を覗き込んだ。
泣いたあとが未だ残る顔ではあったが、まるで憑き物が落ちたように安心しきった表情で、その体をハーレムに預けている。


「――ま、終わり良ければ全て良しってヤツですねェ。さて……まずはアンタの治療から先に始めましょうか。腹の傷、どうせまた開いたんでしょう?」

「……バレてンのか」

「そりゃ、それだけ脂汗かいてりゃね。最初にキチンと治療しておかないから治りが遅れるんです」

「ったく……思いっきり暴れてくれやがったからな、コイツ」

「元気でなによりですヨ、リキッドくんの所為にしないでください」

「ハイハイ」

「返事は1回」

「いってェ! 肩も痣になってンだぞ!」

「そういえばリキッドくんの電磁波をまともに喰らったんでしたっけ。……本気で忘れてました、すみません」

「お、おう……」


なるほどこれが「素直に謝られると不気味」という感覚なのか――と、ハーレムは妙な所で感心してしまい、一呼吸置いてから思わず噴き出した。
高松も笑っている。腕の中のリキッドの口元も心なしか綻んでいる。
こんな穏やかな空気は本当に、本当に久しぶりだった。

_
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ