LOG2

□Citrine
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++jewel++

【タイトル】【石言葉:甘い思い出】





『馬鹿な真似をとは言いません、遅かれ早かれ起こりえた事です。ただ――まだソコにそうして引き籠っているだけのアンタは、相当馬鹿と言わざるを得ませんね』


ディスプレイの向こうの高松は最後にそれだけ言うと、一方的に通信を終えた。それももう、1時間以上前の事だ。


「……分かってンだよ……」


飛空艦の指令室の椅子を軋ませながら、ハーレムは肘をついて組んだ両手の上に顔を伏せた。祈るようなかたちに絡んだ指から、硝煙がまだ臭ってくるような錯覚さえする。



あれから――リキッドがハーレムを刺し、ハーレムがリキッドを撃ってからも丸2日以上が経とうとしていた。

結論から言えば、当たり前だがハーレムもリキッドも生きている。
リキッドに掛けられていた後催眠暗示がいつ表れるか分からない、イコール、いついかなる時でも表れる危険があると見越していたハーレムが、準備を怠らなかったその結果だ。

ハーレムの腹を刺したのは、刃が柄部分に引っ込む仕掛けナイフ。ただし【斬る】用途はそのまま使用可能にするために、相当の勢いで突き立てなければ刃は引っ込まない。あの時、リキッドが殆ど躊躇わなかったお蔭で、刃先がほんの指の先ほど皮膚に刺さった程度で済んだ。
リキッドに向けて放たれた弾丸も、暴徒鎮圧によく使用されるゴムの弾頭に装填し直してあった。至近距離で撃つことを想定し、火薬の量も少なく調節していた。

要はリキッドに「ハーレムを殺して自分も死んだ」と思い込ませれば、そんな風に意識が勘違いしてくれれば、後催眠暗示はそこで完結するのではないか――そう考えたハーレムの苦肉の策である。
リキッドの復帰戦でいきなりその機会が訪れたのには内心焦ったが、思った通りの流れにはなった筈だ。なのに。


「……何で起きねェんだ、バカが」


支部の医療施設に担ぎ込んでから丸2日。リキッドは、未だ意識を取り戻していない。

やれる検査は全てやった。ハーレムとの戦闘で負った外傷以外は何処にも異常は無かった。支部の医員達も今朝本部からこちらに到着した高松も、同じ見解を示したにも関わらず、だ。

元々体調が万全ではなかったのだ、意識を取り戻すのが多少遅くとも仕方ないかもしれない。そう思いたい。
だが少なからずハーレムは不安だった。他に手は無かったとはいえ、自分のした事がリキッドの精神に決定的なダメージを与えてしまっていたら――……?

ありえないことでは、ない。





「……ッ、――隊長!」

「――?!」


ぼんやりとしていた所に突如響いた声に、ハーレムはビクリと肩を震わせて振り向いた。


「……ロッド。てめ、何も言わずに入ってくンじゃねェよ」

「呼びましたよ何回も。ノックしても返事は無いし、声かけてもボーッとしちゃってるしィ? 酒浸りになってるかと思ったンすけど、流石にそれは無いか」

「何しに来た」

「んー? まあ、色々かなァ。とりあえず包帯換えましょっか」


そう言うロッドが抱えているのは、明らかに治療道具以外のものも多分に突っ込まれた箱だった。きっと高松やマーカーから世話を言い付けられたのだろう。


「聞かないンすね、リッちゃんの事」

「……何かあったらテメェが1番に喚き立ててるだろ」

「いーや、俺は2番。隊長が、1番っしょ」

「くだらねェおしゃべりをしに来たンなら、そのまま回れ右して出てけ」

「おー怖ァって、いつもなら言うトコなんだけど……。声、震えてるよ隊長?」

「うるせェッ!」


椅子を蹴って立ち上がりロッドの胸倉を掴んだハーレムだったが、間髪入れずロッドに腹を押され、くぐもった悲鳴を上げて手を離す羽目になった。


「あーあー、膿んじゃってるんじゃない? ちゃあんと消毒してなかったデショ」

「て……っめェ……」

「いーから座って、ホラ」


そう言って肩を押す手に込められた、有無を言わせぬ力強さに半ば押し切られるように再び腰を下ろす。
消毒くらい自分で出来ると伸ばした手は、それだと適当にやってしまうから駄目だと跳ね付けられ、これ以上抵抗するのも無意味に思えてハーレムは渋々ながらロッドによる手当を受け入れた。


「――リッちゃんのアレ、女医さんじゃなくてお抱えの医者の仕業だったんだってね」


高松がこちらに到着する前に送り付けてきた資料に、そう書かれてあった。あくまでもそういう仮説が成り立つとの注釈付きではあったが。


「らしいってコトだけだ。けど、今更どうにもならねェ」

「そうかなあ。少なくともリッちゃんの、女医さんへの信頼は本物だった訳デショ? それだけでも結構安心出来ると思うケド」

「……それも、アイツが起きなきゃ分かンねェよ……」


たった一人の生き残りであるリキッド。
それ以外の、死んだ子供たちは全員が女医と関わりがあった。――同時にその指導教授だった医師とも、関わりがあったのだ。
子供本人が患者だったケース、その家族が患者だったケース。関わり方は様々だったが、子供たちの名は、全員が何らかの形で女医を通して医師と繋がっていた。

ただの偶然だと言われればそれまでかもしれない。だが少なくとも、リキッドに掛けられていた複雑な催眠暗示を、当時学生だった女医が行ったとはやはり考えにくい。それ故の結論だった。


「医者も女医もグルだった。そういう可能性だって、ある」

「そーゆーコト言ってたら、キリがないんじゃない?」

「――ッぐ、てめ……!」

「我慢して、膿んでるトコ全部取らなきゃ。折角大したことない傷なのに、悪化させちゃってェ」


消毒液を含ませた綿が、腹の傷に触れるたびにハーレムは息を詰まらせる。


「一応俺も話聞いたけどさ、家庭そのものに問題が無かったのってリッちゃんだけなんだねェ」

「……そうだな。多分、リキッドじゃなく両親、とりわけ父親が狙われてたんだろうさ。ある意味【とくべつな家】だ」

「でも。お袋さんに怪我させたっきりそれ以降は何も無くて、後から出会った隊長に対して後催眠が表れるって、微妙にターゲット変わってない?」

「リキッドが成長して対象に成り得る範囲が広がっちまったってだけだろ」

「広がっただけなら、親が対象から外れるのはおかしいっしょ。今のリッちゃんの対象は、要は【恋人】じゃん。愛憎相反するような人間相手にっつーか、その、やっぱ何か変わったんじゃないかなーって……」


そこまで言うと、ロッドは黙ってしまった。専門知識がある訳ではないのでそれ以上続けられなくなってしまったようだ。
シンと静まり返ってしまった部屋でハーレムは考える。ロッドの、言葉の意味を。

女医が完全にシロだとして、もし同じ立場だったら――そう仮定した。

医師を告発する?
催眠暗示は基本、言葉のみのやり取りだ。録音、もしくは第三者が目撃して証言しない限り証拠は無い。告発した側が狂人扱いされて終わりだ。

対抗しうる催眠暗示を掛ける?
手段としては不確かかつ被術者の負担が大きい。そう高松が言っていたように、女医も解っていた筈だ。子供を追い込むような真似はしないだろう。それ以前に力量が足りない。

もっと単純に――目の前にいる子供をただただ救いたいと願ったなら、大した力も持たない己は何をするか。


「対象を……自分にする……?」


思わず口をついて出た呟きに、ロッドも何事かと包帯を巻き直す手を止めている。気にする余裕も無く通信機のパネルを叩いたハーレムは、相手が出るのを待ったのだが。


「……っくそ、リキッドの所にでも行ってやがんのか……ッ」

「ドクターなら、そのハズだけど。何、どうしたの隊長――ってコラ! まだ終わってないよォ!?」


中々出ない通信の相手。高松のその所在をロッドが漏らすのを聞くや否や、ハーレムは立ち上がって駆け出していた。
真偽はもはや分からない、だが確信めいたものがある。それだけが、ハーレムを突き動かして。





「高松ッ!」

「何です騒々しい。話なら部屋の外でお願いします、リキッドくんの体に障りますから」


飛び込んだリキッドの病室。
そこに高松は居た。他のメンバーは、見当たらない。


「リキッドは、」

「良くはありません。血中酸素の濃度が低すぎるので、さっき酸素チューブを装着させたところです」

「そう、か。……なあ高松、お前、もし女医と同じ状況に置かれたらどうするよ」


飛び込んだ部屋からまたすぐ追い出され、しかしそんな事には文句も言わず言葉を続けたハーレムに、高松は少し面食らったようだった。


「同じ状況、ですか。――アンタまさか転移の事を言ってます?」

「専門用語は何だか知らねェが出来んのか、そういうのは」

「出来るか出来ないかというより、精神治療の過程で起こりうる現象ですから。……成る程女医が転移を試みたのなら、置き換えと退行も同時に起こるという訳ですか。リキッドくんは当時10歳前、幼児と言うには少し大きい。スプリッティングだった精神状態からアンビバレンスを抱き始める年齢に成長する頃ならば……転移させる事で両親を対象から外す事が可能だったかもしれませんね」

「……俺に分かるように言え、1人で納得してンじゃねェ」


1を聞いたら10以上が返ってきてしまったというところだろうか。しかし、高松からの返事は辛辣なものだった。


「分かった所で、どうする気です」

「どう……って……」

「かつてドイツで巻き起こった記憶論争と同じ道を辿るだけですよ。特にリキッドくんの場合、過去の記憶を穿り返した所でその真偽を図るすべはとうに失われている。それが分かったからこそ、アンタも今回の行動に出たんでしょう?」


そうだ。
記憶の真偽なんてどうでも良かった。
リキッドを、救ってやりたかった。

ただそれだけ。


「なのに結果を見届けるのが怖くて、飛空艦の指令室になんか引き籠っていると聞いて呆れました。……ま、こうして飛び出してきたんですからそこはもうチクチク言う気はありませんが」

「……怖、かった……?」

「違いますか?」


いいや、違わない。
ハーレムは首を横に振った。


「全く、アンタ本当にリキッドくんの事となると頭のネジが飛びますね。いや、ガチガチに締まってしまうと言った方がいいですか。情報を集めるに越したことはありませんが、それに振り回されてどうします」

「うっせェ……」

「彼女が転移を試みた事で両親が攻撃対象から外れ、女医自身、つまり【両親とは違う意味で大切な人】が対象に一旦は転移した。当時のリキッドくんはその意味がまだよく分からなかったんでしょう。ですが成長するにつれて漸く理解出来てきた、そこに現れたのがアンタです」

「――愛憎相反する相手。誘拐紛いに戦場に叩き込んだ俺は、かなり嫌われてたな」

「なのにリキッドくんはアンタをいつの間にか慕うようになった。その時、【両親とは違う意味で大切な人】になったんです。後催眠暗示が発現するのに最適な条件で」

「アイツの傷に俺が深く触れた事で、それを余計に後押ししちまった……ってトコか?」

「かつて女医は医者らしく、拙い精神治療を試みた。……それと同じことを、別の患者にも行ったんでしょうね。その結果が」

「患者だったガキと心中か」

「おそらく。ですがアンタは彼女とは違った、お互いが生きるか死ぬかギリギリの方法で後催眠暗示を最後まで完結させたんです。結果としてどちらもちゃんと生き残っている。その結果だけが、全てじゃありませんか?」

「けど、リキッドはまだ……」

「――おれが、まだ、なに? 隊長」


突然聞こえた予想外の人物の声に、ハーレムは元より高松までもがその場で硬直した。

直後弾かれたように振り返ったハーレムの、その視線の先。
手や頭に包帯が巻かれ、とりわけ目を引く左頬を覆い尽くす大きなガーゼが痛々しくも、ドアの縁に掛けた手や床を踏みしめる裸足の足元を震わせながら自力で立つため踏ん張っているその、姿が。

これまでの、ハーレムのごちゃごちゃとした考えなど吹き飛ばすには十分で。


「――リキッド……っ」

「う、わ……っ、ちょ……隊長?!」


一も二も無く、気が付けばその愛しい子供を腕の中に掻き抱いていた。
いつもより体温が低い体。ぞっとして、余計に強く引き寄せる。


「リキッドくん、貴方まだ起き上っちゃ駄目だとさっきも言ったでしょう!?」

「え、へへ……ごめんなさい。でも……」


リキッドの手がそっと背に回された。
伝わってくる確かな鼓動。

それが、


「隊長。……ねえ隊長、泣かないで……? 大丈夫、大丈夫だから……」


あんまりにも尊くて、


「――……ッ、ふ……」


こみ上げるものを、もう抑えられなかった。

いつから話を聞かれていたのか知れない。
だが、あれやこれやと考えを巡らせた所で最早それは意味が無いに等しい。


大丈夫――その言葉に込められたもの。


情けない顔を取り繕おうともせず、ハーレムはリキッドの頬に震える手で触れた。
リキッドは、痛みにかほんの一瞬息を詰める。そしてゆっくりひとつ、瞳を瞬かせてから――得意げに笑った。



終わったのだ、多分。否、きっと。
リキッドを傷付けるものはもう無いのだ。

かつて女医と過ごした僅かばかりの暖かな時間は、甘い思い出のままでリキッドのなかに存在し続けるのだろう。
笑うリキッドの向こうで、幼いリキッドが笑った。

そんな気がした。

【シトリンにキスを】

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