LOG2
□Opal
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++jewel++
Opal
【石言葉:無邪気】
「これで大体片付いた……かな?」
やっと少し一息つける――そう思っていたのに、背後にある茂みからはガサゴソと敵兵の気配がふたつ、いや、みっつ。
隊長が「簡単な掃討作戦だ」と言っていた通り、数ばかりが多い敵の兵隊達は贔屓目に見たって俺よりももっと素人の集団で。これじゃあ、弱いものいじめしてるみたいだ。リハビリにもならないなんて、そんなことを考えるようになった俺も相当マヒしてきたのかな。
「何をボサッと突っ立っている」
少し離れた所に居たマーカーが戻って来た。
あっちは片付いたのだろうか、なんて聞かなくても分かる。
「んー……ちょっと疲れた、かも」
「まあ、アレではな。私もいささか相手にするのが面倒になってきたところだ」
「あ」
気軽に会話をしていると、背後からこの世の終わりのような悲鳴が上がった。振り返ればそこにはもう人の形をした炭のようなものだけが点々と転がっていて、人の焼けた臭いが立ち込め始める。
この臭いは、もう慣れた。
マーカーと俺の能力は少し似ている。表面から焼いていくか、体の中からまんべんなく灼いていくかの違いだけだから、臭いも同じ。
そしてもうひとり。
少しだけ似た、けれど桁違いの力を持つあのひとは今、どうしているのだろうと何気なく顔を艦がある方へと向けたまさにその時。
「――え?」
青い光、茶色の土煙、赤い炎。
彼方、立て続けに目に飛び込んで来たそれは、
「――――隊長!」
あのひとが放つ、全てを壊すきれいな光。
「リキッド、待て!」
駆け出した俺の後ろでマーカーが珍しく叫んでいたけれど、止まるつもりは無かった。
だって分かってしまったんだ――あの光の意味を。今、あの光が何を壊したのかを。
『兵隊達の中にな、ガキがわんさと居るんだと』
『それで調整が長引いたのですか』
『余所から待ったが掛かったらしいぜ? ガキどもだけでも逃がすために、猶予をやれってよ。お優しいこった』
『それで、その少年兵達は』
『まあ減るわけねえわな。少年どころか幼年だぜ、ありゃ。銃器を扱えないぐらい小せえガキがやらされることなんざ、ひとつっきゃねえ』
『爆弾を持たされての自爆、ですか』
『狙うとしたら俺かこの艦そのものだ。――明日はコイツをなるべく艦に近付けるなよ、ガキ絡みだとうるせェからな』
『承知致しました』
昨晩、枕元で行われていたマーカーと隊長の会話。
半分夢うつつだったから今まで思い出せもしなかった。けれど夢では無かったことをはっきりと自覚した今は、ただ夢中で、走った。
「…っ、う……ッ」
艦に近付くにつれて強くなる臭気。
慣れた筈の人の焼ける臭いに、血の生臭さが混じって段々と気分が悪くなる。だがここで足を止めたら、きっとすぐ後ろを追ってくるマーカーに捕まってしまう。そう思って重くなる足を叱咤し走った。
「たい……、っ、――?!」
拓けた視界。
焼けた森が途切れた先、銀の船体がそびえ立つそのすぐ脇に隊長は居た。
物言わぬもうひとりと、共に。
「リキッド……?!」
目を真ん丸に見開いた隊長の、その右手にはナイフがあった。そんなもの、訓練以外で持っているのを見た事は無かった。
なのにそれは。真一文字に閃いたそれは。
小さな子供の喉を裂いて冷たく光り、赤が、咲いて
「い……ッ」
とっくに癒えたはずの左頬の傷痕が、ズキンと音を立てて痛む。痛みで頭が揺さぶられて、堪らずに足を止めれば、スピードに乗っていた体は途端に地面に投げ出された。
何だろう。地面と激突した部分以外も、何もかもが熱くて、目の前が真っ赤になった。
「マーカー! 近付くンじゃねェ!」
隊長の声が何だか遠くに聞こえる。同時に破裂音。
銃撃? 違う、あれは――俺の
「う……」
立ち上がらなきゃ。立ち上がって、でも何を?
相変わらず目の前は真っ赤で、血の臭いも酷くて。
「リキッド」
低い声。隊長の。
丁度、古いブラウン管のテレビをつけた時みたいに戻って来た光景は、何だかザラザラとして見えた。
視線が高い。俺はいつの間に、立ち上がっていたんだろう。
「隊、長……」
そびえ立つ銀の船体。そのすぐ脇には隊長が居て、そして小さなもうひとりは。
居たはずの、もうひとりは?
赤を追ってぐるり視線を巡らせる。自分の体なのに、そうじゃないようなチグハグの感覚がすごく気持ち悪い。声だって、自分のものじゃないみたいだ。
そう、自分が喋ってるんじゃないみたいな。
「――リキッド、俺が分かるか?」
何、言ってンすか隊長。そんなの聞くまでもない。
隊長は、たった今子供を。多分、小さな敵を、ナイフで屠ったところじゃないか。
ホラそこに、喉を裂かれた死体が――
「……え……?」
突然、目の前が鮮やかになった。
赤い塊が、いびつに咲いた花のような【ソレ】が、俺の目に飛び込んで来る。
ナイフじゃない。ナイフじゃ、ああはならない。
誰が? ――俺が?
隊長が子供の喉を、でも、あれは?
傷痕が激痛を訴える。
鮮やかなあの赤が頭をガンガンと揺さぶって。
あたまのなかで誰か
泣いて
悲鳴
女のひとの
だれが
痛い
どうして
ねえ、
だめ
いたいことは
そうでしょ?
ねえ
せんせい
「だめ、だよ?」
その余りにも幼げリキッドの口調に、ハーレムは全身が総毛立つ思いで身構えた。リキッドが今まで抑え込んでいた後催眠暗示が、ついに――そう考えて良いだろう。
初めリキッドの姿を見た時は瞠目した。よりによって少年兵にトドメを刺した瞬間を目撃されてしまうとは、と。
――だがそれも一応ハーレムの想定内ではあった。事態は常に最悪を想定しておく。それが、どんな結果を招こうとも。
「……隊長!」
「リッちゃん?!」
遅れて現れたGとロッドに手を出すなと視線で合図を寄越し、改めてリキッドと正対する。
仄白い放電の明かりが薄らと全身を包み、パリパリと乾いた音を立てるたびに漂うオゾン臭。相当な高電圧が掛かっているのか、その姿は歪んでさえ見えた。
「流石に、ああはなりたくねェだろ」
誰にとはなしにハーレムは呟く。
少し離れた所に、弾け飛んで転がった無残な少年兵の死体。一瞬体を離すのが遅れていたら、あそこにあるのは己の死体だったかもしれないと思うとゾッとする。
「痛いことは、しちゃだめ。痛いことをするひとは、それがいたいって知らないんだって。だから、おしえてあげてって。そして、えっと、」
リキッドはもう言葉が殆ど滅茶苦茶だった。俯いている所為で表情は分からない。だが、一歩、また一歩と近付いてくる。ハーレムだけを目標にしているのは明らかだったが、マーカー達がもし手を出せばその限りではないだろう。ならばまずはあの放電を何とかせねばなるまい。
ハーレムは少し考えて、手にしていたナイフをリキッドの足元へと放った。
それがちゃんと視界に入ったのか、リキッドは歩みを止めて不思議そうに小首を傾げる。
「教えてくれるんだろ? ちゃあんと握れよ。ガキの血で、滑るからよ」
子供の血は、ハーレムが手を下した時ではなくその亡骸がリキッドの能力で弾けた際に纏わりついたものだ。リキッドはどう捉えたか知らないが、ナイフを緩慢な動作で拾い上げて、それはそれは大切そうに握り締めている。それも、刃ごと。
(さあ、どう出る――?)
リキッドとの距離はもう幾らも無い。放電現象は多少弱まったようだが、油断は許されなかった。
「いたい――? うん、痛い」
刃を握りしめていた方の手がゆっくりと開き、そこからリキッドの真新しい血がぱたぱたと零れ落ちる。それにハーレムがほんの僅か気を取られた瞬間
――――リキッドが地を蹴った
「あっぶね……!」
横薙ぎに閃いた刃を斜め後ろに跳んで躱したハーレムは、突っ込んで来たリキッドの勢いを利用して体術にでも持ち込もうと腕を伸ばす。だが手袋越しだというのに伝わってきた痺れるような感覚に、寸でのところで掴むのを止めた。
「ったく、面倒臭ェ、なッ」
「が……っ」
腕を突き出した流れを殺さず、そのままくるりと体を捻ってリキッドの背中目掛け後ろ回し蹴りを見舞う。靴底のラバー越しならば大丈夫だろうという咄嗟の判断だった。ただその所為で加減が出来ず、初めから足元が怪しかったリキッドの体はものの見事に吹っ飛んで、地面へと派手に転がる。
「……う……」
受け身など端から取る気も無かったのか、だらりと投げ出された手足には若干の不安を感じずにはいられない。
けれど、もう止める訳にはいかない。
これ以上リキッドひとりを苦しませる事が無いよう、この胸糞の悪い後催眠暗示とやらに決着をつけてしまわなければならなかった。
「どうしたァ? 準備運動にもなりゃしねェぞ」
転がったままのリキッドに近付き、伏せたままの頭を爪先で軽く小突く。途端、ハーレムのすぐ後ろに小さな雷が落ちた。
「隊長ッ!!」
悲鳴のような声をあげたのはロッドか。
ほんの少し、地面も揺れた。
「手ェ出すんじゃねえ!!」
今度こそ声を張り上げたハーレムは一息に後方へと飛び退る。立っていたその場所が破裂音と共に抉れ、青白い雷光が天へと吸い込まれるのを目の当たりにして背筋を冷たい汗が流れた。
やりにくい。
リキッド本人に、殺意が全く無い。
もぞりと体を起こしたリキッドは手の中にまだナイフがあることを確認しているようだが、そのナイフから薄らと湯気のような白煙が立ち昇っている。
血が、蒸発しているのか。
「隊長! 長引かせては――」
お次はマーカーだ。
どいつもこいつもどれだけ心配性なんだとハーレムが笑いそうになった、その時――
「っ……!」
――ゆっくりとこちらを向いたリキッドの顔に、息を呑んだ。
不安と怯え
親とはぐれた幼子のような泣き顔
土埃で汚れた頬を涙で濡らし、よく見れば体も小さく震えている。そして何よりもハーレムの目を引いたのは、左頬の傷だった。
「開いたのか」
それは【傷痕】ではなくなっていた。
転んだ際にナイフか地面の石ころで切ったのか、それとも制御出来ない己の力が掠めたのかは定かではないが、痛々しく同じ箇所に開いた傷口を見てハーレムは思わず気を抜いてしまった。
「ぐ……ッ、あ……!」
耳元で、破裂音。
右肩を直撃したリキッドの電磁波が全身を灼きながら貫いていく感覚。がくりと、膝が落ちそうになる。だが辛うじて踏みとどまれたという事はそれほど威力は無かったのか。ホワイトアウトしそうになる視界を頭を一振りする事で取戻す。
「たい、ちょ……?」
立ち上がるリキッド。
泣き顔はそのままに、ナイフを離そうとしない姿のアンバランスさ。
「来い、よ。教えてくれンだろ? 【痛い】ってヤツをよ」
終わらせなければならない。
終わりに、してやりたい。
腕を広げてやりたかったが、生憎と右腕はまだ痺れて動かない。代わりに、左手を差し伸べて。
そうして呼ばれるままに飛び込んで来たリキッドの、腰の辺りにはナイフが、構えられて、それが。死んだ子供の血に塗れた、刃が、
「――ッ、はは……痛ェ、なあ……」
ハーレムの左脇腹に吸い込まれた
「終わりにしようぜェ……なあ? リキッド……」
隊服を血に染めたハーレムが、左腕でリキッドの背を抱く。そして僅かに感覚を取り戻した右腕で、隊服の下から取り出した【それ】をリキッドの頭に押し当てれば――
「あ……」
「なんて顔、してンだよ……」
涙を流したまま、リキッドは無邪気に笑って。
「いた、い?」
「ああ」
「おれもね、痛くならなくちゃならないの」
「そうか」
「一緒じゃなくちゃ」
「そうだな、一緒じゃないとな」
ハーレムも、笑って【それ】の――
――黒光りする銃の、引き金を引いた
【ばいばいオパール、またあした】