春色の軌跡

□01 産声をあげた日
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眠い。真っ暗だ。海の中で漂っているかのような浮遊感が心地好い。私は何をしていたんだっけ。何も聞こえない静寂が辺りを支配する。耳が痛い程に。
ああ、これは夢なのかな。なぜか身体が動かせない。でも眠いから現実なのかな。眠い。そう、ただひたすらに眠いのだ。私はこの眠気を、この感覚を、知っている気がする。それはどこだった?いつだった?このまま堕ちていく感覚。流れにこの身の全てを委ねる感覚。あれは確か、私が……世界を跨いだ時だ。
それは私が私を棄てた日であり、そして同時に、救いの手を差し延べられた日でもあった。

だから私は――……、あれ?光が唐突に差し込んできた。眩しくて目が開けられない。私の目は元々開いていたのか、閉じていたのかは分からないが。夢から覚めたのかな。耳元が騒がしい。誰かが起こしに来てくれたの?誰だろう、私は誰と居たんだっけ。昨日はどこで誰と何をした?私はこの世界で大切な人達をたくさん見つけた。色んな人と出会い、過ごし、そして別れてきた。
声がさらに近くなってきた。待って、今起きるから。眠いけど。眩しいけど。
あ、れ……?ちょっと、いや、かなり……苦し、い。これ……息が、出来ない……!?なんだか背中、も、叩かれているかのようにズキズキする。とにかく息、吸わなきゃ、吸う前に吐かなきゃ?そんなのどっちでも、いいから、とにかく息を……声、を。

「ふぎゃああああああ!!」
あ、吸えた。いや、吐けた?吸えたのか?吸い込み過ぎて苦しいから、吐かなきゃ。
「ふぎゃああ」
あれ、誰の声。うるさい。
「ぉんぎゃあああああ!」
……え、これって私の声……?いやいや、そんな馬鹿な。近くに発情期の猫でもいるんだろう。それか赤ちゃ――、

「おめでとうございます!元気な女の子ですよ」

ふわりと体が何かに支えられて浮いたかと思いきや、サラサラとした、多分シーツの上に移動した。眩しいのを我慢して瞼をこじ開ければ、映ったのは見知らぬ女性の顔。
「ふぎゃあああ!」
近い!顔が!距離が近い!誰だ!?
汗だくで白い髪が顔にへばり付いている、疲れきった様子の女性と目が合った。彼女は少しの間だけ目を見開いたあとに、今度は細めて優しく微笑んだ。そして徐に口を開く。

「いらっしゃい。私の赤ちゃん」
「ふげああう……」

どうやら私は、この人の赤ちゃんらしい。

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