揚羽蝶

□鬼の居ぬ間に命の洗濯(番外)
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伊達の家に来て梵天丸様に仕えるようになって一年がたった頃、
何故かわからないが梵天丸様はそれなりに良い扱いで私に接してくれていた。
しかし、常に梵天丸様の傍に控える片倉という男は私の事を信用しきっていないようで、
事あるごとにその鋭い視線を私に向けていた。
まあ、それも仕方のない事だろうと思わないでもない。
なんせ、私は梵天丸様に刃を向けた“たわけ者”なのだから。



そんなある日、とても天気の良い日の午後……
梵天丸様のお部屋を覗くと背筋をぴんと伸ばし一人書物を読む梵天丸様がいた。
しばらくこちらの様子には気付かずに時々眉をしかめながら書物を読んでいた。
しかし、その書物は退屈なものらしく時々あくびをしては頭を振って書物を読む
……という行為を繰り返し、そのうちそれにも飽きたのか外の様子を見ようと
こちらに目を向けて私の存在に気付くとやや嬉しそうに手招きをしてくれた。
こんな所はまだ幼いのだな……とその姿にやや嬉しさを覚えながら梵天丸様に近づいたていった。

「おや……片倉殿はどうされた?」

「小十郎は父上に呼ばれて出て行った。」

いつも必ず傍に控えている片倉殿の姿が見えず、
その所在を尋ねると少しつまらなそうにそう答えた。
そんな梵天丸様は少しお寂しそう見える。
いつも一緒にいる片倉殿がいないという事と、
その片倉殿だけが父上である輝宗様に呼ばれて行ったということが
あいまって寂しい感情を呼び起こさせているのだろう。
梵天丸様の寂しいという感情は私のも覚えのある感情だ。

私は外の景色を一度見てから梵天丸様に視線を移した。

「鬼の居ぬ間に命の洗濯……というのを梵天丸様はご存知ですかな?」

「鬼……洗濯?」


「要は厳しいものがいない間に気を休ませようというような事です。
せっかく片倉殿がいないのですから、天気もよろしい事です、
外へずんだ餅を食べに参りませんか。」

「ずんだ……餅……。」

梵天丸様の好物であるずんだ餅と聞いて梵天丸様は心が揺らいだようで、
その様子に思わず口元を綻ばせてしまった。

「はい、先日ずんだ餅の旨い店を見つけました。梵天丸様はずんだ餅がお好きでしょう。」

「それは……そうだが。梵……じゃなくて、俺は小十郎が戻るまでにこれを読まねばならぬのだ。」

自分の事を梵と言おうとして、“俺”と言い直すあたりが可愛らしい。
大人になろうとしていらっしゃるのだろう。
私は梵天丸様が指差した書物を覗き込んで尋ねた。

「ほお……これは?」

「儒教の本だそうだ。しかし俺にはさっぱりわからぬ。」

わからぬなりに理解をしようとしているのだろう。
しかしまだその内容を梵天丸様に理解しろというのも酷な話だ。
私自身とて、儒教のなんたるかはよくわからない。

「そうですなあ……儒教の教えなどその時にはわからぬものでしょう。
わかるのは梵天丸様が元服なさったずっと後……
いざ国を治める時になって初めて実感できればよいのでは?
それまでは意味の分からぬ漢文の並びと理解されておればよろしかろう。」

「だが小十郎が……」

「ではこうしましょう、片倉殿にはこの本を読んでから出かけたと言えば
片倉殿もさほどは怒る事もないでしょう。」

「そうだろうか……」

「そんなものですよ、さあ、梵天丸様、参りましょう。ずんだ餅が待っております。」

心は完全にずんだ餅に傾いていたのだろう。
そう言うと梵天丸様は何度か頷いて、書物も開いたままで私の腕を引くように外へ促した。

ずんだ餅を食べた梵天丸様はとても満足そうで、その後もしばらく色々な所を見て回っていた。
片倉殿はその性格上、こういった遊びをさせる男ではないだろう。
それに加えて、梵天丸様自身が隻眼である事をまだ気にしておられたようで
好んで外に出なかったふしがあったように思われた。
しかし、実際こうやって連れ出してみると普通の子供と変わりのない、
いや、少しやんちゃな面が強いお子のようだった。
一通り領地のにぎやかな所を見て回ってから屋敷に戻ると予想通り、
片倉殿が梵天丸様のお部屋で鬼のような形相をして待ち受けていた。

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