揚羽蝶

□揚羽蝶1・起点
2ページ/6ページ

「なんつうか……まあ、うん。」

目覚めて最初に思ったのはこの程度だった。
その日見た夢があまりにも時代がかり過ぎていて現実感もない。
まあ、あえて言うならちょっとワクワクするような
「面白い夢だったなあ……」ぐらいだろうか。
しかも自分の位置がどうも男らしいという事実にも面白みを感じてはいた。

しかし、いずれにしてもそれは現実なわけじゃないからいつまでもぼんやりと今日の夢に関して考えている時間もない。
そう、現代人は常に時間に追われているのだ。
そう思いながら朝食代わりのゼリー飲料をぐっと飲み干した。
朝食を作って食べている時間を睡眠に当てたいと思うのも現代人ならではなんだろう。

「さてっと……」

手早く化粧と着替えを済ませて、この頃には今日の夢なんかすっかり忘れて慌ただしく家を出た。


空はこんなに青いのに、風はこんなにも優しいのに……

(睡眠、睡眠、睡眠、睡眠、睡眠不足!……ってか。コロ助乙!)

思わずこんな事を考えたくなるくらい忙しい。
朝食を抜いてまでその時間を睡眠にあてているのにそれでもやっぱり眠いものは眠いのだ。

これほど仕事に情熱を傾けているからと言って今の仕事が楽しいのかと言えば……微妙。
楽しむ余裕がないというのもあるけれど、それより何より……

「あ……揚羽蝶だ。」

きっと私はいまあの揚羽蝶のように何も考えずにただ風に流されているだけなんだろうなと思う時がよくある。
自分の中身が空っぽみたいに感じる。
だから……楽しめないのかもしれない。
何も考えず、ただ与えられる仕事をこなすだけの毎日が。


「ただ、生きるには仕事しないと生きられないのさ、この世の中は。」

早朝、誰もいない通りで一人呟きながら会社に向かった。








「あ、これもお願いします。」

「は〜い、じゃあそこの置いておいて。あとで見ておく。」

決して偉くなっているわけでもなんでもないが、それなりの年数を務めていると下からは色々と仕事が上がってくる。
ついでに言うと、偉くなっているわけじゃないから当然上から仕事も下りてくる。
上からと下からの攻撃に正直潰れるんじゃないかと思う事も最近よくある。
しかし意外と人間はしぶとい、これくらいじゃ潰れないのだ、悔しいことに。

「……相変わらずお前のデスクの上は凄いな。」

「ああ……おはようございます、課長。」

私のデスクの上を見た課長は眉間に皺を寄せながら積み上げられている書類を一つとってその内容を確認していた。

「与えられた仕事をこなさなければならないのは仕方のない事だ。だが、この中の仕事のどれだけが本当にお前がしなきゃいけない仕事なんだろうな?」

「仕方ないですよ、実際与えられている仕事なんですから。」

「それはわかる、だがうまい具合に断ったり書類を作った本人に責任を取らせるようにするのも仕事の一つだと思うがな。
自分のキャパを超えるものを受け入れ続ければ自分の評価が上がる手いうものでもないぞ。」

「まあ、そうは仰いますけどねえ……。」

仕事のできる男にはわかるまい。
評価を上げたくて仕事をしているわけじゃない、与えられるからそれを早く無くすべく働くのだ。例えるならそれは落ちゲーだろうか。
どんどん降ってくるアイテムを横縦で並べて消していく作業と一緒だ。
課長の話を適当に受け流しながら積み上げられた書類を一つとって開くと軽く眩暈を覚えた。

(寝不足かな?)

全身健康そのものなのに何故か最近軽い眩暈に良く襲われる。
一応医者にも行ってみたが何の異常もなかった。
だからこの時も特に気にせず軽く頭を振ってパソコンのデータと書類を見比べていると脇で課長は大きなため息をついた。

(ため息をつかれても困るんですよ、仕事が終わるわけでもなし。)





「そうやってクラゲみてえにフラフラして現実から逃げるってのがどうにも俺には気に食わねえ。」



(あ……れ……?)

そんな言葉にどういった感覚を受けたのかはよくわからない。
ただ、記憶の奥底にその言葉は沈んでいた。
その言葉が何かのきっかけでフワフワと浮かび上がって鮮明になるような感覚と同時に景色がぐにゃりと歪んだ。

「おい、どうした?」

「あれ?どうしたんでしょうね?」

歪む景色の中で課長の声と窓の外に見えたのは揚羽蝶。
何故、こんなところに揚羽蝶がいるんだろう……



揚羽蝶……そういえば……私は揚羽蝶になりたかったんだ。

.
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ