揚羽蝶

□鬼の居ぬ間に命の洗濯(番外)
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「おう。」

自分の屋敷に戻ろうとした夜半、
ちょうど片倉殿の部屋の前に差し掛かったあたりで部屋の中から呼ぶ声がした。
片倉殿は自分の屋敷もあるようだが、今現在は梵天丸様の守り役として
この屋敷に部屋を与えられているようだった。

「なんだ、片倉殿か。」

「ちょっと寄ってけ。」

片倉殿は部屋で酒を飲んでいるようで、いつもよりも少し陽気な様子で私に寄って行くようにと促した。
少し首を捻ってみたが、断る理由もない私は誘われるがままに片倉殿の部屋に入り、
片倉殿が座っている対面に座ると、どこからかもう一つ盃を出してきて私に差し出した。

「いけるんだろう?」

「いや、まだ飲んだことはないが……まあ試してみるのも一興だな。」

受け取った盃に片倉殿が酒を注いでくれた。
初めてなので恐る恐るその盃に口をつけると、
予想していたよりも遥かに芳醇味わいでそれでいて喉がカッと熱くなるような感覚に思わず

「旨いな。」

と呟いてしまった。
確かに自分を無くすほどに飲みたくなる気持ちが解らないでもない味だ。


「お前は……おかしなやつだ。」

「そうか?」

酒の味が気に入り、盃に残る酒を一気に口の中に入れると
片倉殿はフフンとおかしそうに笑いながらそう言った。


「ああ、今まであんなふうに梵天丸様を誘い出した奴なんざ見た事がねえ。」

「まあ、そうかもな。いずれ伊達家の当主になろうお人だ。
下手な事をしたら自分の首が危ないからなあ。」

「それもある……。というより、俺の目を盗んで連れ出す奴なんざ今までいなかったという事だ。」

「そうか、片倉殿は恐いからな。
後でどんな目に合されるかと思えばそれをする奴もいないかもしれないな。」

「だが、お前はやった。お前は俺が怖くねえのか?」

空いた盃に酒を継ぎ足しながら、自分の盃にも酒を注ぎ、
片倉殿はやや挑むような顔つきで私にそう尋ねた。
確かに頬に傷のあるその顔は恐いとしか言いようのない顔だ。
だが、私にしてみれば初対面の時に命を奪われかけているのだ、
それに比べればなんて言うこともない。

「今更何を言う、初めて会ったあの時に首筋に刀を押し付けられているんだぞ、
それ以上恐いことなんかあるわけがないだろう。
今、酒を片手に酔っぱらっている片倉殿など恐いはずもない。
それに今日の事は梵天丸様のためになるだろうと思っての事。
片倉殿が反対する理由もない、そうだろう、守り役?」

片倉殿の挑む顔に対して、試すような顔で尋ねた。

「抜け出してずんだ餅を食う事の何処に学ぶべきことがある?」

「ずんだ餅はどうでもいいんだ、さっきも言ったろう、子供の頃に子供らしいことをすることに意味がある。」

「……。」

「梵天丸様は……一足飛びに大人になる事を求められている。
確かに……元服をなさってしまえばもう一人前だ、
そうなってから子供のような真似をされては困る。だが、まだ元服まで数年ある。
ならば……今のうちに普通の子供の様に過ごさせてやってもよいだろう?」

梵天丸様は期待ばかりをされている。
本来ならばそうなる前に子供らしく、親に愛され、そして諭されするべきものを持たず、
ただ伊達の、奥州の長となる事だけを期待されている。
それが十の子供にとってどれだけの重荷になるだろう。
少しでもその重荷を支えてやらねば、まだあんな幼いのだあっという間に潰れてしまってもおかしくない。
どうやら片倉殿もそう思う節があったらしく私の言うことに不満を漏らす事もなく、
私の言う事を黙って聞いていてくれた。



「さっきも言ったが……私もそういった事をした事がない。
最近それがとてつもなくつまらない子供時代だったんじゃないかと思うようになったんだ。
せめて……子供時代ぐらいは楽しく過ごしたいじゃないか。」

「……梵天丸様はお前じゃないぞ。」

「それはそうなんだがな。
だから梵天丸様がそういった事がお好みでないなら無理にそうさせるつもりはない。
だが、梵天丸様はいずれここを総べる方だ。
だから梵天丸様には色々と見てもらいたい、
庶民が……武将でない者達がどのように暮らし、どんな事を思っているのか自分の目で
しっかりと見ていただきたいのだ。片倉殿はそう思わないか?」

梵天丸様はいずれ竜になる。
奥州を総べる竜……
その力は強大だろう、だからこそ弱い者の事を解っていてもらいたい。
百姓の辛さ、商人の苦労、そして……
私の様に自分が自分でいられないような者の嘆きを。




「……小十郎でいい。」

「ん?」

唐突な申し出に一瞬、顔をしかめてしまった。
するとその解らなそうな顔に痺れを切らしたのか

「お前のようなへらへらしているクラゲみてえな奴に片倉殿なんて呼ばれると気味が悪い。
だから小十郎でいい。」

と守り役は言った。

小十郎か……。

言葉も悪く、態度も大きく、真面目で面白みのないような男だと思っていたが
どうやらそれだけでもないようだ。

「……そうか、ならば今後は遠慮せずに呼ばせてもらうよ、小十郎。」

後にわかった事だが、わざわざ小十郎がそういうふうに言う事は滅多にない事のようだ。
それだけ私が小十郎を片倉殿と呼ぶことに違和感を感じていたということだろう。

だが、私もまた、その申し出を心のどこかで嬉しく感じていたのだろう。
この男に親しみも感じてきたように思えた。
勧められる酒も旨く、珍しく何の憂さもない良い気分だった。

「しかし、酒というのは中々旨いものだな。」

「おい、いくら旨いと言っても飲みすぎるなよ、お前初めて飲むんだろう?」

「まあな。だが……まだこれくらいならば何ともない。」

「ふんっ、とんだ酒飲みを呼びこんじまったようだな。」


そうは言うものの、空ける盃に小十郎は酒を注いでくれた。
そして梵天丸様の今後について、それから伊達の当主になった暁に
梵天丸様にどうなっていただきたいかをとことん語り尽くした。
梵天丸様は私にとって生きる理由であると同時に、
小十郎にとってもまた彼の生涯を全てかけていいと思えるお子なのだ。
いくら話しても話は尽きない。




「おい、こら、こんなところで寝る奴があるか、起きろ!!」

「おあ〜、わかってるぞ〜。」

しかし、初めての酒、些か飲みすぎたようだ。
そのまま眠りかけている私を小十郎がいくら揺すっても
私の意識はどんどん深い眠りに誘われていく。

「おい、寝るな、馬鹿!!」

「あ〜……。」

返事をするのも億劫になってしまい、そのまま私は意識を手放した。

「ったく、しかたねえ野郎だ。」








半分、眠っているような……それでいて何か聞こえるような……
自分の意識が一体どこにあるのやら、フワフワとする感覚の中で
誰かの呟きが聞こえた気がした。

「……女みてえな匂いのする奴だな。」


そうさ、本当は女だからな。
だが、これは誰にも秘密だ。
誰にも言えん、それが例え小十郎であろうとな。


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