揚羽蝶

□揚羽蝶1・起点
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「しかし、馬鹿だなあ、采樹。」

「うるさいぞ、成実。」

「いや、あんな時にぼんやりと見てればそうなるのも当たり前だろう。」

そう顔の傷を見て笑いながら成実は言った。
道場での一悶着を終えた日の夜、私達は小部屋で酒を酌み交わしていた。


試合の最中に昔を思い出した私は当然の事ならが政宗様と小十郎にこれでもかというくらいにやられてしまった。
とはいえ、防具も何もつけない状態だから手加減はあったのだろう。
そうでなければこの二人相手なのだから今頃床に伏している所だ。


「油断しているからだ。」

小十郎はこともなげにそう言うとなみなみと注がれた酒を一気に飲み干した。

「珍しいじゃねえか、采樹がボンヤリするなんざ。」

「そうでしょうか、小十郎などはいつも私を見てはフラフラとクラゲのようにと言っておりますぞ。」

政宗様の言うことに首をかしげると政宗様は自分の盃を空にした後、その盃で床を軽く打ち鳴らしてからこちらを指した。

「お前はボンヤリとして飄々と生きているようだがその実、いつもどこか気を張り巡らしていやがる。やはり油断も隙もねえ。」

「深くお考え過ぎです、私はもう政宗様に刃を向ける様な真似はしませんよ。今度こそ小十郎に殺されかねない。」

そう笑うと小十郎は鼻をフンと鳴らした。

「あたりめえだ、いくら小僧だったとは言えお前は政宗様に刀を向けたんだ、
あの時政宗様がお許しにならなければお前なんざ細切れにして川に放り込んでいるところだ。」

「こわいこわい、さすがは鬼軍師、片倉小十郎だ。」

「しかし、采樹……お前はあの時何故俺に刀を向けた?」

昔を懐かしむような口ぶりの政宗様に視線を移すと、政宗様は口元だけに薄らと笑みを浮かべてこちらの様子を窺っていた。
そういえば……あの時何故ああしたのかは誰にも話したことはなかったかもしれない。
話したくても話せない事情もあったから話していないというのもあったのだが。
私もあの頃を思い出し、懐かしく思いながら政宗様の問いに薄らボンヤリとした曖昧な答えを返した。

「……さあ……何故でしょうなあ。何もかも……消えてなくなればいいと思っていたんじゃないでしょうか。自分自身も。」




+o。。o+゚☆゚+o。。o+








十で女を捨てさせられ、十五で存在価値すら無くされた私はきっとそう思っていたのだろう。
何もかも無くなればいいと。
ちょうど伊達のお屋敷で女である事を隠し、男として奉公し始めた頃、何もかもが面白くなかった私は一人屋敷を抜け出しフラフラと歩きまわっていた。
そこでつい

「奥州も伊達も……全部無くなればいい。」

独り言をつぶやいた。
すると木の影から現れた年の頃なら十ぐらいの隻眼の少年がその私に向かって言った。

「それは困る。」

私は……きっとその少年の姿にまだ生まれたばかりの弟の成長した姿を重ねていたのかもしれない。
一度も姿を見た事のない弟は私にとっては憎しみの対象でしかなかった。
だからだろうか、何も考えずに腰から刀を抜きその隻眼の少年に切っ先を向けた。

「お前が困ろうがどうしようが私の知った事ではない。」

きっとこんな子供の事だ、その場を走って逃げだすだろうと思っていた。
しかし少年は逃げるどころか残された一つの瞳の鋭い視線をこちらに向けニヤリと笑った。

「俺もお前が何を思ってようが知った事じゃない、だが伊達も奥州も無くなっては困る。」

そう言ったその顔が……何かとてつもなく恐ろしく感じた。
十になるかならないかぐらいの子供なのに……
底知れない何かをその隻眼の少年に感じた。
“恐れ”にしか当時は感じなかったが、その“何か”に私は完全に飲み込まれていた。

「切りたいんだろう?切ってみろよ。」

「お前……人なのか?それとも……鬼子?」

「鬼子か……母上はそう思っているかもしれんな。」

フッと一瞬“何か”が緩んだ。
今だ、と思って柄を握る手に力を入れた。
私は本当にその少年が鬼子だと思っていたので遠慮もない。
しかし、瞬時に腕に手刀を叩き落され、刀共々地面に叩きつけられた。

「梵天丸様、御無事か!!」

「……小十郎か、ああ何ともない。」

何処からともなく突然現れた男……どうやらこの少年の守り役らしいが、そのお役目を果たすべく、私を地面に押さえつけ首筋に自分の刀をすらりと抜いて押し付けた。

「梵天丸様に刀を向けておいてただで済むと思うな。」

(梵天丸……?)

聞き覚えのある名を頭の中で復唱した。
そうだ、梵天丸と言えば主である伊達の家の嫡男……

「お前の名は?」

「……」

「今ここでぶった斬るのは容易いがな、そのまま放っておくわけにもいかねえ。お前の家にお前の骸を放り込んで家ごとぶっ潰してやらあ。」

そして、その守り役に確か片倉とか言う男が付き添っているっていう話を耳にしたことがあった。
なるほど、これがその男か……とその男の方を見た。

「おい、何とか言いやがれ。」

「家など、どうなっても構わないが……それ以上に自分が煩わしい。できればこのまま消してはもらえまいか。」

今ここで私がいなくなれば父母はきっと困るだろう、弟が元服するまではまだまだかかる、それまで父が健在である確証もない。
さぞかし慌てるだろう、それまで間をどうつなごうか、それだけの事にきっと躍起になる。
私の骸などきっと完全に朽ちるまでその辺りに放っておかれるのだろう。
そう考えたらおかしくなって思わず笑ってしまった。
刃を首に突き付けられているのに笑っているなどさぞ不気味な様子に見えたろう。
少年と守り役はその様子をしばらく無言で眺めていた。


「おい、お前。」

首筋に刃を押し付けられたままの状態の私に梵天丸様は声をかけた。

「……。」

「消えてもいいような身体なら俺にくれ。」

「は?」

何を言い出すのかと思った。

「俺は……いずれ奥州だけでなく、全てを手に入れる。」

「全て……?」

普通ならば一笑に付すような事だったろう。
十になるかならぬかの少年が天下を取ると大口をたたいているのだから。
しかしこの時は違った。
それを聞いた途端に私の目の前にいた少年が大きな竜の姿に変わった気がした。
その竜はしばらくこちらをジッと見るとやがて天を仰ぎ、空へと昇って行った。
その姿は昔、墨絵で見た昇竜と言われる姿にとても似ていた。


「おい、聞いてるのか。」

その声にふと気が付くと竜の姿は元の少年の姿に戻っていた。
頭でもおかしくなったのだろうか、全ては私が見た幻想なのだろうか……



だが、少年の語る事がたかが十の少年の夢物語ではないように感じていた。
隻眼に光を宿す少年は、やがて天下を目指す大きな竜になる……
目の前で起こった事はきっとそれを予感させる幻だったんじゃないだろうか。


「来るか?」

差し出された少年の手は自分が何なのかわからなかった私の輪郭をはっきりさせてくれる手なんじゃないかと思った。
兄のため、弟のため、そして家のため……
その為に自分自身を異なる姿に変え、何のために生まれたのかわからなくなった私の輪郭。

ゆっくりと自分の手を伸ばした。

(そうか……)

さっきこの少年……梵天丸様に感じた“何か”は“恐れ”ではなく
“畏敬”だったのだろう。
たった十の少年に抱く、畏れと敬いの念。

ない事でなないのかもしれない。
一人の主に心底惚れ込んで付き従う者がいるとしたら、やはり今の私の様な
感覚を主に覚えるからなのだろう。



私はまだ小さい小竜の手を取った。








+o。。o+゚☆゚+o。。o+







「では私からもお尋ねしたい。政宗様は何故……私を拾って下さった?」

「ん〜?」

同じように政宗様に昔の事を尋ねると、政宗様は少し間延びした様な返事の後に盃をまわしながら空の月を仰いだ。

「……同じ匂いでも感じたんだろう、きっと。」

「同じ匂い?」

「俺も人の事は言えねえがな……。」

そう言って、回した盃の中で波打っている酒をグッと呷った。


「さて、明日は少し領地を見廻るからそろそろ俺は戻る。お前らもほどほどにな。」

「俺も明日は早いから休もう。」

政宗様と成実は其々にそういうと部屋を出て行った。



「お前はどうする、采樹。」

「そうだな……今ここにある酒がなくなったら戻る事にしよう。」

「酒飲みが……。」

「小十郎に言われたくないな。」

「かもしれねえな。」

そう言っていつも寄せている眉間の皺を少し弱めると私の持つ盃に酒を注いだ。
大抵いつもこうなる。
まだお若い政宗様は酒に慣れておらず、早めに酔いが回り、政宗様と一つ違いの成実もまた似たようなもので、大抵二人は先にこの酒宴から抜けていく。
すると、残された私と小十郎が残った酒を空けるはめになり、

「政宗様のおかげでどんどん酒が強くなって困るな。」

「まったくだ。」

ちょっとやそっとでは酔わない程のザル体質になってしまった。
まあ女としたら問題かもしれないが、しょせん男としての人生、これもまた悪い物でもないだろう。



「采樹。」

「ん?」

「俺も前から聞きたかったんだが……何故お前はあの時政宗様の手を取った?」

「……。」

「奥州も伊達も消えればいいと言ったんだぞ、お前は。」

「そうさなあ……政宗様にお会いするまでは確かにそう思っていた。それ以上に自分が消えればいいとも本気で思っていたがな。」

「なら何故だ。」

空の盃を持ったまま、鋭い視線を向ける小十郎に一度視線を向けた後、その盃に酒を注ぎながらあの時感じた事をそのまま伝えた。

「きっと……お前と同じさ、小十郎。政宗様の中に見たんだ、突き進む竜の姿をな。」

「……そうか。」

そう、そして同じく常にその傍らにある竜の右目……
その二人を見ていたくなったんだ。

お前たちは私の憧れなのだからな。

盃の中に映る月の形がゆらりと揺れた。

「采樹?」

その揺れを見ながらぼんやりと意識を遠くに飛ばしているのがわかった。

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