揚羽蝶

□揚羽蝶1・起点
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揚羽蝶はいい……
何も求めず、ただ自分を自分として生きていける。
私は揚羽蝶になりたい……





「おい、何してる!おい、采樹!」

「……お……ああ、成実。」

ふと目を覚ますと私は道場で竹刀を抱えたまま居眠りをしてしまっていた。

「最近疲れているみたいだな〜、よくウトウトしてるもんな。」

「ああ……何故だろうな。睡眠はよくとっているつもりなんだが……」

そうひそめた声で隣に座る成実に言うと、目の間で竹刀が一度ドンと大きめな音を立てて床を叩いた。

「ほれみろ、まずいぞ。小十郎が気付いた!」

「ああ……そりゃまずいな。」


音の方向を見ると片倉小十郎が鬼のような形相で私と成実を見た。

「采樹……また居眠りか。最近たるんでいるようだな。」

「いや、そうでもないぞ。いや、最近に限らないというのが正解かもしれぬがな。」

「相変わらずああ言えばこう返す野郎だぜ……フワフワユラユラとクラゲみてえに逃げ回りやがって。ならばその性根を叩き直してくれる、前へ出ろ。」

「真面目だなあ、小十郎は。もう少し柔らかい思考で生きてみたらどうだ、生きやすくなるぞ?」

私はそう呟いて竹刀に体重をかけて“よっこらせ”と立ち上がった。
すると小十郎はこういった私の物言いに慣れているせいか挑発に乗る事もなく軽く笑っただけで、その後は立ち上がった私に対して前に来いといったふうに顎を動かした。


私が小十郎の前に立つと道場内はシンと静まり返った。
そう言えば小十郎と一戦交えるのは何時振りだろうか。
以前……まだ私が子供と言える時分にはよく小十郎と政宗様とこうやって一戦交えたものだった。

「相変わらず細っこい腕だな、へし折られねえように気を付けな。」

「ははは……まあ、それでも今のところ一度もへし折られてはいないからな。お優しい小十郎殿のおかげで。」

「言ってるがいい、昔のお前ならいざしらず、今のお前に手加減なんていらねえからな。
本当に折れても知らねえぞ。」

「そりゃ勘弁だ。」

互いを挑発しあい気合いを高める。
お互い口元に笑みを浮かべているがおかしいわけでもなければ、勝利を確信しているわけでもない。
ただ、余裕を見せるのだ、相手に舐められないように。
これも全て小十郎が教えてくれた事。
気合いを高めるために一度大きく息を吐いた時だった。




「面白そうな事してるじゃねえか……。」

「政宗様。」

その声の主に向かって私と小十郎共にその名を呼んだ。
道場の入口に袴の姿、腕組みをしながらこちらを楽しそうに見ているのは
伊達政宗、我らが主。

「そんな面白そうな事俺抜きでやるなんざ許せねえな。俺も混ぜろ。」

そう一言言うと周囲からオオッという歓声が沸いた。
三人で剣を交えるのはそれこそ本当に久々の事だ。

三人……誰しもが敵である状態の手合わせ……
これも子供の頃からよくやってきたお遊びだ。
いや、今はもうお遊びの域を超えているだろう。
あの頃政宗様はまだ名を梵天丸様といい、歳は十、私は十五、そして小十郎が二十……
あれから十年近くの年月を経ている、梵天丸様は政宗様と名を改め、伊達の当主になり、小十郎はその軍師としてこの奥州を仕切っている。
私といえば……いったい何になったんだろうな。

そうだ、私は何者にもなれない不安定な存在。
御厨采樹という個人ではなく、御厨の家を存続させさえすればいい泡のような存在だ。
十年前、それを痛感させられた。








+o。。o+゚☆゚+o。。o+




「何故……?」

十年前、突然の父の言葉に私はこう尋ねる事しかできなかった。

「何故とは面妖な事を聞く、このままでは伊達の殿に御厨の家の嫡男の存在を知ってもらう事すらできないではないか。」

御厨の家の嫡男……私の双子の兄は生まれつき体が弱く床から身を起こすことすら最近では困難になっていた。
一方、私は兄の身体の一部を奪ったかのように丈夫で野山を駆け回る子供で親にしてみれば頭の痛い存在だったのかもしれない。
それ故に思いついた父の愚策、それは私が男として……兄の代わりに兄としてしばらくの間過ごすという事だった。
いくら子供とは言え、もう男女の違いくらいはわかっている。
自分が女であるという自覚もある中でその申し入れはそう簡単に受け入れられるものでもなかった。

「幸い、兄とお前の顔はよく似ている、いずれ兄が床から離れられるようになった時にうまい事入れ替われば問題もないだろう。」

親が間違える程確かによく似ていた。
しかし、それは父母がそれほど自分たちに興味がなかったからなのではないかと今では思わなくもない。
それほど家だけが大事な人たちだったのだ。

「でも……」

「頼む……もう、お前しかいないのだ。」

父の頼みを無碍に断れるほど大人でもなかった、そして心のどこかに父の関心を得たいという気持ちもあったんだろう。
いずれ無理が生じるであろう事柄とはいえ、それをまだ予測できる程賢くもなかった。
十になるかならないかの私は無言でその父の言葉に頷いた。


しかし、父母の願い虚しく、あくる年の夏に兄は亡くなった。
私が女に戻る道はそこで絶たれたと思っていた。
しかし、その四年後、父は側室に男児を産ませることに成功した。

「お前はこの子が元服するまで伊達の殿に仕えねばならん。」

「その後……私は?」

「そうさな……その頃にはおなごに戻ればいい。理由は何とでもなる、伊達のお屋敷を下がらせてもらい、その頃には私がよい嫁ぎ先を見つけてやろう。」

笑える話だ、弟が元服する頃に私が幾つになっているかの計算すらできないのだろうか。
いや、もともとその気もないのだろう。
あとは髪を下ろして尼にでもなんでもなればいいくらいにしか思っていないのかもしれない。

「私は……その子の露払いなのですね。」


この先の私の人生は弟の生きるための道を開くための道具なのだ。
そう思い知らされた。
その呟きを聞いた父が部屋を出る時に微かに

「可愛げのない……」

と呟いた。
私は……何のために生まれてきたのだろう。
あれ以来ずっとそう思い続けていた。
そう、この二人に会うまでは。




+o。。o+゚☆゚+o。。o+








政宗さまが道場に入り、同じように竹刀を私達の前で構えた。

「Are you ready?」

そう言って私と小十郎を見た。
やはり政宗様も先ほどの私達の様に口元に笑みを浮かべていた。
私達も同様に再び口元に笑みを浮かべた。

そしてもう一度、息を吐いた。
誰かの合図など要らない、気合いが高まりきればそれが開始の合図なのだ。
私達は何時でもそうしてきた。


「Ha!」


最初に口火を切ったのは政宗様、相変わらず……

「政宗様、堪えが足りませぬぞ!!」

昔通りのやんちゃ振り、そのやんちゃを窘める様な小十郎の見事な竹刀さばき……


「油断すんなよ、采樹!」

「油断?御冗談を!!」


小十郎に立ち向かったと思った竹刀は急に行き先を変えこちらに振り下ろされた。
ところが、小十郎もその隙に政宗様に竹刀を振り下ろす。

「政宗様こそ御油断めさるな!!」

竹刀の向きは縦横無尽、誰が誰を責めるのか全くわからない。
周囲の者達はそれをやんや、やんやとけしかける。
二人に相対しながら私は少し遠い視線で政宗様と小十郎の竹刀さばきを見た。


(ああ……そうだ。)


私はこの二人がいたからこそ、ここにある。
あの時の私を彼らが見つけてくれなければ今の私はなかった。
幼いながらに竜王を名乗るほどの素質のあった政宗様、そしてその後ろで常に控えめながらも政宗様を支えてきた竜の右目、小十郎。

あの時以来、私にとってこの二人は憧れになったのだ。

まるで舞を舞うように竹刀を振るう二人の姿を見て目を細めた。
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