長編用

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去年の夏は日光へ行った。
秋には紅葉狩りに行って、冬にはクリスマスデートをして…
お互い忙しいから会えない日ばかりだけど、太郎さんは変わらず私を大事にしてくれて、私との時間も大切にしてくれていた。
そして今回も、太郎さんから梅を見に行こうと誘ってくれた。

「梅の花ってかわいいですよね」

春を前に花をつける梅。
小さくてかわいらしい花たち。
まだまだ遠出しなければ二人で外を歩くこともできないけど、太郎さんはこうしていろいろな場所へ連れ出してくれている。
でも梅の花を見に行くのは正直意外だった。
中学の頃、昔も梅の花をよく見に行ったと聞いたから。
まだ昔話でしかなくて、太郎さんをよく傷付けていた頃…
緊張する。
太郎さんだって、私が酷いことばかり言っていたのを覚えているはずだ。

「そうだな」

微笑む横顔は穏やかだ。
見とれそうになるほど美しい。
最近しみじみ思うが、こんな綺麗な40代のおじさまって、芸能人ならまだしも一般人では珍しいだろう。

「どうかしたか?」
「あ、いえ、その…」

見とれていたとは恥ずかしくて言えない。
どうしよう…と考えていると、太郎さんがくつくつと笑い出した。

「え、え、どうしたんですか?」
「いや、その、すまない…昔もこんな話をしたと思い出してしまって」

話しながらもふふ、と笑いが漏れている。
なんなの!かわいすぎる!

「いや、違ったならすまない…昔は見とれていたと言い出して困ったから」

顔が熱くなる。
前世の私、正直すぎる…
太郎さんもわかっているならわざわざ聞かないでほしい。

「それに、音楽室でもあまりに見つめるものだから…ふっ」
「もう、笑いすぎ!」

太郎さんの腕を軽く叩く。
音楽室で見ていたのは、太郎さんの顔が綺麗なのもあったけど、すぐに赤くなるのがかわいかったから…
3年前は首まで赤くなったりしてたのに、今はもう慣れたのかそんな姿は見せてくれない。
もっと見ておけば良かった。

「覚えてますよ、音楽室で太郎さんが弾いてくれた曲とか…」

本当に穏やかな顔で笑うようになった。
あの頃のすぐに赤くなったり、すがるような目だったりも愛しかったけれど、今こうして隣で笑む顔が今は一番好き。

「どうして梅を見に来ようと思ったんですか?」

不安を口に出してみた。
笑いながら3年前のことを話してくれたからきっとこの不安も杞憂に終わると思うけれど、聞かずにはいられなかった。

「君が梅の花を好きだったから…今はそうでもなかったか?」

純粋に喜ばそうと思ってくれていたんだ。
ほっと胸を撫で下ろす。
今も好き。と返せば、太郎さんもほっとしたように笑った。

「寒いだろう」

太郎さんが私の右手を取って、そのまま一緒に太郎さんのコートのポケットへと入れた。
自然と距離が縮まる。
ポケットの中ではぎゅっと絡ませた指がときおり私の指を撫でる。
こんな風にしてくれるの、初めてだ。

「私が生まれ育った家にも、梅の木が植えられていた」
「そういえば太郎さんの家族のことって聞いたことないです」
「自分のことを話すのは苦手なんだ」

そうだったんだ。
確かに元々口数も多くはないし、前世のことだって私が聞かないと話してはくれなかった。

「梅の木ばかりいじっていたら父に怒られた。どうしてそんなに梅の木に執着するのかと聞かれて、どうしても答えられなかった…」
「私のことが話せなかったから?」
「ああ…なんと説明したらいいか見当もつかなかった。本当のことを言ったら、梅の木を切られてしまうのではないかと考えて…」

きっと厳格な家庭だったのだろう。
私のような普通の家庭でさえ両親に、前世から恋人です。なんて紹介したら何を言われるかわからない。
太郎さんは誰にも話せず、一人苦しんでいたんだろう。

「ごめんね、もっと早く会えたら良かったのに…」

もっと早く会えていたら、太郎さんの苦しみも少しは軽くなっていたかもしれない。
私にはどうしようもできない事だったかもしれないけど、そう思わずにはいられなかった。

「それでも君は私に出会ってくれたから、いいんだ」
「太郎さん…」
「それに、梅の木を見ていると君が側にいてくれるような気がしていた。君は梅の花に似ているから」
「え?」

梅の花に、私が?
花に似ているなんて初めて言われた。

「小さくて可憐で、けれど凛としている」
「そ…そんなに褒めても、何も出ませんよ…」

太郎さんは結構臭い台詞を平気で言う人だと思っていたけど、ここまでは中々ない。
さすがに顔が熱くなる。
そんな私を見て太郎さんは微笑んでいる。
なんか、なんか今日は変だ。
手を繋いで歩いたり、昔の話をしてくれたり、いつもより甘い言葉も多い…
それになんか、ちょっとソワソワしてる?
そういえばやたら腕時計を確認してたり、スマホも何度も見たり…
もしかして…

「恵子、あの辺りまで歩かないか?」

もしかして、浮気!?

「恵子?」

いや、浮気…浮気する?
太郎さんが?
いや、ない…と思うけど、太郎さんだって男の人だし、絶対に浮気しないという確証はない。

「恵子、どうしたんだ?」
「あ、いえ、なんでもないです…」

考え込んで全然話を聞いていなかった。
いやまさか、まさかね…
太郎さんはまた腕時計を確認して、私を急かしてきた。
なんなんだろう…
わからなくて不安だけど、とりあえずは太郎さんに連れられ歩いた。
そうよ、太郎さんに限ってそんな浮気なんて…

太郎さんに手を引かれて着いた先は、梅の木が並ぶ道から少し高い所にある小さな展望台のような場所だった。
手すりまで行けば、海まで見渡せる。
ちょうど、地平線を夕陽が赤く染めていた。

「綺麗…」
「恵子」

呼ばれて太郎さんを見上げれば、太郎さんは繋いでいた手を離し、コートの内ポケットから何かを取り出した。
見覚えのある小さな箱。

「結婚してほしい」

太郎さんは真剣な顔でそう言った。
小さな箱が開けられて、中には二つの指輪が光っている。
婚約指輪だ…
もう一度太郎さんを見上げる。
ソワソワしてたのは、このせい?
プロポーズしようって、考えてくれてたんだ…
夕焼けの中、太郎さんはまっすぐ私を見てくれている。

「はい」

頷けば、太郎さんはほっとしたように笑んだ。
断る理由なんてない。

「嬉しい…プロポーズしてくれるなんて思ってなかったから、私、ビックリしちゃって…」

涙が溢れてくる。

「私は君を泣かせてばかりだな」

太郎さんは苦笑しながら抱き締めてくれた。

「いっつも突然なんですもん」
「突然じゃなかったらサプライズにならないだろう」

ごもっともだ。
太郎さんは抱き締めていた腕を緩めて、婚約指輪を私の左手の薬指にはめてくれた。
二年前にもらった指輪と並んで婚約指輪が光る。

「婚約指輪は大振りの宝石がついているのが主流らしいが…結婚までの間、ペアで普段からつけられた方がいいかと思って、派手なものにしなかった」
「え、太郎さんも普段からつけてくれるの?」
「ああ、婚約までしたら隠す必要もないだろう」

太郎さんの長い指が私の髪を耳にかけてくれる。
この美しい指に、私と同じ指輪がはめられると思うと胸が苦しい。
あんなに時間を気にしていたのも、この夕焼けの中プロポーズするためだったんだろう。
ゆっくりと夕日が地平線に沈んでいく。
本当に綺麗。
愛しい人と美しい景色を見れるだけで、こんなに幸せだなんて。

「太郎さんのこと、前世の分まで幸せにしてあげますからね」
「君のおかげで今でも充分幸せだよ」

それにそういうのは男の台詞だろう。と笑われた。
いいの。
私が太郎さんを幸せにしてあげたいの。

太郎さんと過ごす日はどれも忘れられない。
初めて抱き締められた日のことも、音楽室から眺めた雨も、今日のこの夕日も、きっとこれから一緒に過ごす日々も、全部―――。





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