長編用

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桜舞う季節となり、制服姿の初々しい学生が目立つ。
私も晴れて今日より氷帝学園中等部の生徒となったわけだ。
去年の春跡部財閥の息子が入学して、金持ち学校の様な印象になってしまったが、元々はこの学園は多くの生徒に門を開いている。
私もその広い門に入った一人で、特に金持ちというわけでもなく、父は普通のサラリーマンという家庭に育った。
庶民の私が驚いてしまうような盛大な入学式も無事に終え、今日はもう帰るばかり。
だというのに、道が分からない。
違う、通学路じゃないの。
学校の中で迷子になったの。

嘘みたいな話だな、と思いながら廊下を歩く。
大きな学園だとは思っていたけれど、まさか初日から迷子になるなんて。
どんどん人の気配はなくなっていくし、とりあえず下の階まで降りてしらみ潰しに昇降口を探した方が早そうだ。

「新入生か?」

階段を一番下まで降りて廊下を歩き出すと、背後から声をかけられた。
振り返ると、そこには壮年の男性。
確か、入学式の校歌斉唱でピアノを弾いていた先生だ。
音楽の先生が男なんだ、ってボーッと思っていた。

「あ、道に迷ってしまって」

そう告げると、先生は眉間にシワを寄せた。
何か気を悪くするような事をしただろうか。
入学初日から迷子でお説教なんて最悪だ。
慌てる私を先生はじっと見つめている。
整った顔立ちのせいか、余計に怖く見える。

「あの、先生…」

恐る恐る声を出す。
すると先生は勢いよく距離を詰めてきた。
え、なに、と怯えているとすぐに体を何かが包む。
何が起こっているのか、到底理解できなかった。

「やっと…やっと見つけた!」

先生が耳元で叫んで、抱き締められているということを嫌でも認識させられる。

「もう離さない…恵子」
「あ、の」

やっと出た声は震えていた。
人違いじゃないかと思っていたのに、紡がれた名前は紛れもなく自分のものだったからだ。

「君を置いていった私を許してくれ…」

抱き締めていた先生の手が私の肩を掴む。
ちょっと痛いくらいの強さに驚く。
意味が分からない。
この先生は頭がおかしいのか。

「今でも君を愛している」

見上げた先生は涙を流していた。
ああ…変態さんなのかもしれない。
中学生に愛を囁く先生なんて、漫画の世界の人か、ロリコンさんだ。
先生の顔がゆっくり近付いてくる。
うっとりした瞳が私を見つめていた。

「恵子…」

怖くて瞳を閉じると、唇に少しカサカサしているけど柔らかい感触。
それが口付けなのだということはすぐに分かった。
けれど頭の中はぐるぐると回り出す。
なんで、意味が分からない、この先生本当におかしい。
頭では先生を拒絶しているのに、体は何故か彼を受け入れている。
恐怖で固まっていただけだと思いたかったけれど、何故か私の手は、先生のスーツの裾をしっかりと握りしめていた。





どれくらい抱き締められていただろう。
先生は気が済んだのか私を解放した。

「恵子?…君も再会を喜んでくれているのか?」

そういって先生は私の目尻にキスを落とす。
ひっ、と小さく声が漏れ、先生は微笑んでいた。
私、何で泣いているんだろう。
怖かったから?

「安心してくれ。今は金も地位もある。もう君を悲しませたりしないよ」

先程からなんの話をしているのだろう。
まるで私達が知り合いのような言い草だ。

「あの、先生…」
「…何故名前で呼んでくれないんだ?」
「え、あ、あの、なんで…先生は私の名前を知っているんですか?」
「…私が分からないのか?」

先生は酷く傷付いたような顔をして、すがるような目をした。
でも残念ながら、私は先生を全く知らない。
答えられずにいると、先生は自分の額を押さえた。
すごく顔色が悪い。
教え子に手を出したんだから、そうか。

「先生」
「そうか…覚えている方がおかしいに決まっている」
「あの、先生」
「…すまない、本当にすまないことをした。何も知らない君に突然こんな」
「先生」

先生のスーツの裾をぐい、と引っ張ると、泣きそうな顔で先生はこちらを恐る恐る見た。

「私も今混乱してます。でも、あの、この事は誰にも言いません」
「…すまない」
「…先生の、名前が知りたい…」

今にも倒れそうな顔をした先生が、何故だかとても…
なんと言ったらいいのだろう。
私はまだ、この感情を知らない。

榊、太郎だ。

掠れた声が小さく呟いた。
榊太郎―――。
なんだろう。
なんで、なんでこんなに苦しいのだろう。

「榊せんせ…」
「…すまない、本当に」

入学初日、私はファーストキスを奪われて、先生との秘密を手に入れた。





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