BOOK_TW
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11・もう一人の双子
「……そろそろ、神代で儀式が始まる頃だろうな……」
宮田医院の夜。
本日の診療は終了し、勤務していた看護婦たちもほとんどが業務を終え、帰宅している時間だった。
その院内の事務室に、宮田と看護婦の美奈だけが残っていた。
蛍光灯に照らされた部屋で、宮田は真っ暗な窓の外を見つめながら独り言のように呟いた。
けれどこの静かな部屋では、その僅かな呟きも部屋で仕事をしている美奈に届いていた。
「……そうですね……私たちは儀式でどんなお祈りをしているのか、よく分かりませんけど……きっと神聖なものなんじゃないかしら?私達のような、平凡な住人じゃ立ち入れませんもの」
「……」
窓の外を見る宮田は、デスクにいる美奈を眼だけで振り返ったが、何も言わずに窓へと視線を戻した。
美奈はそれを見て眉尻を下げる。
「……気になるんですか?儀式が……」
「儀式には、牧野さんが参加してる……いろはも、あそこにいる」
「!いろはちゃんも……。……神代家に引き取られたからですか?」
「俺だけだ……俺だけがここに残されて、ここにいる」
美奈の言葉はあまり頭に入っていないようだった。
心がここにないような雰囲気で声を落とす宮田の後ろ姿を見て、美奈はボールペンをそっと握りしめながら俯いていた。
そして無意識のうちに、もう片方の手で、そっと自分の腹部を撫でる。
最近、すっかり癖になった仕草だった。
(ここにいるの。私と先生をもっと強く繋ぎとめる、大切な存在が……。子は鎹って言うもの。私は大丈夫、きっと大丈夫……)
美奈は息を吐くと、ボールペンを置いて立ち上がった。
「……先生?そんなに気にすることありませんよ。確かに求導師様は先生の双子ですし、いろはちゃんも、つい最近まで先生が看てらしたんですから、心配になるのは無理もないことですけど……」
こっちを見てほしい。
私を見てほしい。
その一心で、美奈は宮田の後ろ姿に語りかける。
(複雑な身の上かも知れない。複雑な思いに、胸を痛めているのかも知れない……。でも、先生は先生なんですもの)
それは美奈なりの、全身全霊の善意だった。
悪気なんて一つもなかった。
宮田よりも遙かに温かく、平和な場所で育ってきた身の上だったからこそ、宮田の意思の全ては測れずに、墓穴とも言える言葉を吐いてしまうのだ。
美奈は宮田の後ろ姿に寄り添い、優しく声をかける。
「確かに求導師様は、貴方の双子かも知れない……けれど“求導師”なのは、彼なんです。先生は“先生”、先生の居場所はここじゃないですか……。求導師様にできることと、貴方にできることは違うんですよ?」
「……」
真っ暗な窓には、病院より外の景色は映らない。
ただ部屋の蛍光灯に照らされて、鏡のようにこの部屋の中と、白衣を着た“宮田”である自分が映るだけだった。
その残酷な光景に目を瞠る。
背中に美奈が寄り添った。
「――先生は、どれだけ頑張ってもあの人にはなれないんです……」
「……ッ!!」
それは、いい意味での励ましだったはずだった。
だからこそ牧野も宮田にはなれず、そういった抗えぬ違いがあるからこそ、人というのはいいものなんだと、美奈自身も双子であるからこそ、分かって言っていた。
自分と妹の理沙は、双子だったとしても違う。
性格も、思考も、深層には確かに決定的な違いがあって、美奈はいい意味でそれを認めていたのだ。
それを宮田にも分かってもらいたかった。
双子の兄のことばかりを気にせず、自分の立場を前向きに受け入れ、この病院と、自分自身と、そして美奈と、更にはその腹の中の存在と、向き合って欲しかった。
(もう大丈夫。先生、貴方には私がついていますから……)
そっと微笑んで宮田の背中に擦り寄る美奈を包みこんでいたのは沈黙。
けれど美奈はそんなものに気を払う余裕もなく、ただただ自分の思いに酔いしれて――
そんな彼女に与えられたのは、射殺すような憎悪の眼差しと、冷たい両手だった。
我に返ったときには、その両手が今にも美奈の呼吸を絶たんとしていた。
その現状に美奈は混乱する。
“どうして?”
脳内を埋め尽くす疑問符に答えをくれたのは、自身の首を絞めながらこちらを見下ろす、未来の夫となるはずだった男だった。
「お前は本当に何も知らないな……。お前の生温い思想には、反吐が出そうになる……っ。俺が、どんな気で牧野さんを見ていたかも知らないで……!」
いつだって無感動で、無表情で、そんな男の目が抑えきれぬ感情に揺れるのを、美奈は息も絶え絶えになりながら、初めて見た。
「俺はいつだって、“あの人”になりたかった……」
……ああ、誰だって、自分の運命を受け入れられる人ばかりじゃないのよね。
死にそうになりながら、美奈は生まれて初めて理解していた。
きっと世の中には、どうして自分は、なんて、己の運命を憎んでしまう人だっているのだと。
それぐらい知っていたはずなのに、温もった環境で育った美奈は自分の周りにもまさかそんな人間がいるなんて思うはずもなく、自分が触れ合う人、触れ合う環境は、いつだって温もりに充ち溢れているはずなんだと思い込んで、もしそれが宮田のように凍てついていても、きっと己の手でその氷を溶かしてあげられるものだと、そう信じ込んで。
(これじゃあ私、自分勝手……ね……)
今、胸に渦巻くのは激しい後悔。
いつだって冷徹なほど冷静な先生を、まさか私の言葉で傷つけてしまうようなことになるなんて思わなかった。
胸が痛むほどそう思ったって、もう口には出せないのだ。
「……ッ、……ッ!」
「――さよなら、美奈」
そんな冷たい声色と共に、美奈の何もかもは、深い闇に落ちてしまったのだから。
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