BOOK_TW
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10・サイレン
“美耶子様”の診察を終えて神代家を出る。
美耶子様の方は部屋に閉じこもっているらしく、診察に応じるどころか返事もしてはこなかった。
締めきられた襖の前に立ちながら、宮田は“それもそうか”と内心苦笑した。
一度は自分を殺そうとした相手の診察など、誰が受けるだろうか。
そういうことで宮田は美耶子の診察を諦め、もう一つの用事のため、教会の門を叩いたのだった。
開いた扉の奥にいた求導女と己の片割れに、宮田は硬い表情で話し掛ける。
「――宮田です。神代の遣いで来ました」
その言葉と共に宮田が白い封を差し出すと、牧野は一拍沈黙した後、ゆっくりとそれを受け取ったのだった。
「……確かに」
「27年ぶりですね。ご成功をお祈り申し上げます」
事務的に会話を交わし、機械のように頭を下げた。
儀式の日がやってくる。
受け取った封も直視できずに俯いている牧野から、宮田は八尾の方へと視線を移した。
「……いろはを美耶子様の影としたことの真意を」
元は教会の提案だったと淳から聞いている。
それなら提案したのは、間違いなく牧野ではなくこの女の方だろう。
先日の八尾といろはの話のこともあって、宮田は顔を顰めていた。
八尾は静かに微笑みを湛えた。
「村人は余所者に冷たいものです。しかもいろはちゃんは記憶喪失だから……病院よりも、神代家にいた方が、風当たりがきつくなることもないと思って」
宮田は更に顔を顰めた。
村人が余所者を嫌うのは間違っていないとしても、神代家には神代家なりの余所者を嫌う理由があることを、この女は知らないのだろうか。
(余所者が神代家に入って、あまつ二人目の美耶子様として取り立てられるんだ……神代の血に誇りを持つ奴らが、余所者の介入や成り上りを良く思うわけがないだろ)
この女には、彼女が神代で侮蔑の眼差しを向けられていたとしてもそうしておきたい理由があるのだろうか。
いろはが神代にいることで好都合になる何かが、この女にはあるのかも知れない。
この女はよく分からない。
見るからに善意の塊のような存在のはずなのに、時々、宮田の中のどこかでこの女を信用してはいけないと本能が叫ぶ。
「……出過ぎた質問をしました。では」
軽く会釈すると、宮田は最後に牧野を一瞥し、教会を後にしたのだった。
「何コレ。へったくそな地図だなぁ……でもまあ、途中までは電車で、あとは自転車で近付けばどうにかなるのかな?なんかヤバいなぁ、これ」
言葉とは裏腹な喜色満面で、声にもその昂りが表れていた。
デスクトップパソコンの液晶には、黒背景に赤文字の掲示板。
「マウンテンバイクはこの前手入れしてやったばっかだし。色々準備していけば、何とかなるよな」
楽しそうな声の後、部屋にキーボードのタッチ音が響いた。
「よし、……と……。おッ、33秒33だ」
『Re:血塗れの集落
SDK at 2003/7/30(木)22:33:33
なんかすげーおもしろそう。
消えたはずの村に辿り付いちゃったんですか? 三十三人殺しっていうのも凄いこえー。
俺、夏休みで暇だし行ってみようかな…と。
とりあえず、愛車(折畳式マウンテンバイク)を持って近くまでは電車で行く予定。
そこからは、…愛車で頑張るか。
まぁ、ツーリングのついでに地図便りに行ってみます!』
――オカルトランド画像掲示板より
夕方、美奈は一通の封筒を持って、にこにこと笑いながらポストへ向かっていた。
封筒の裏には自分の家の住所が、そして表には双子の妹が暮らす、都会のアパートの住所が書いてある。
「理沙、元気かしら……」
やがて見えてきたポストに駆け寄ろうとした美奈は、けれどその時視界の端に映った白衣に、思わず足を止めていた。
「……宮田先生……?」
向こうへ歩いていく姿につい声をかけそうになったが、美奈は彼の足が向いている方角に気付き、それをやめた。
「……病院に帰るんじゃ、ないのかしら……?」
夕方。
今日は用事のために外回りが多かったようだが、そろそろとっくに病院に帰り、溜まった事務仕事を片付けにかかってもいい頃である。
それなのにまだ何処かへ行かなくてはならないのか、と考えると同時に、心の奥がずぅんと沈んでいた。
「先生、この頃なんだか……」
俯き、無意識のうちに腹の辺りを撫でていた。
「先生も、戸惑っているだけなのよね?儀式も近いし、きっと少し、落ち着かないだけなんだわ……。いろはちゃんが神代へ引き取られたから、それで肩の荷は一つ降りたかもしれないけれど……。儀式が終われば、この子が出てきてくれたら、きっとあの人も私にちゃんと向き合ってくれる」
美奈は気を取り直して封筒をポストの口に近付けたが、結局、無言のまま俯き、投函をやめてしまった。
「……いろは、ちゃん。あの子のこと……、先生……」
理沙に宛てた手紙を、結局は手にしたまま踵を返してしまったのだった。
そしてその後、帰りながらにずぅっと考え事をしているうちに、一際強い風が吹いたことだけはなんとなく憶えている。
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