BOOK_TW
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14・究極の選択
それは突然のことだった。
二人きりの診察室でしばらく言葉を交わし、その一端で理沙の話は出た。
仮眠から覚めて、トイレを探しにいくと言った彼女。
少し様子がおかしかったのが気にかかるが、あれからどうしているのかと考えていた矢先。
突然、院内に非常ベルの音が鳴り響いた。
「!」
宮田と牧野は同時に顔を上げる。
いろはは病室にいる。
そう考えれば、あとは理沙に何かがあったとしか思えない。
しばらくは安全だったが、どうやらこの病院にもとうとう、屍人が入り込んだらしい。
この音はそれを伝える理沙からの信号だろう。
「チッ……」
宮田は立ち上がるなり舌打ちをして診察室を出る。
牧野も慌ててその後に続いた。
「牧野さん、先に理沙さんを捜して保護して下さい。私は化け物を撃退できるものを探してきますから……」
「え……!?」
「お願いします」
走りながらそう言った宮田に、牧野は戸惑いながら診察室でのさっきの会話を思い出す。
“牧野さんは、牧野さんにしかできないことをして下さい”
診察室で会話した折、宮田にそう言われたばかりだ。
自分は求導師だ。
人を助けるのが自分の役目、ではある。
牧野がなんとか頷くと、宮田は近くの部屋に入っていった。
一人になった牧野は途中に落ちていた鉄パイプのようなものを拾い、手に馴染まないそれを握りしめながら走っていく。
理沙を見つけたときには、非常ベルもとっくに鳴りやんでしまっていた。
辿り着いた先に、非常ベルを背にして怯える理沙と、それに迫っていくナース服の女性がいた。
「理沙さん!」
牧野が名前を呼ぶと、こちらに背を向けていたナースが振り返る。
その顔は、人間のものではなかった。
「……!」
顔から気味の悪い袋状のものをいくつも垂らし、その下に覗く口元も同じように腫れて、赤い水を滴らせている。
こちらを向いたナース服の化け物は、標的を理沙から牧野に変え、こちらへジリジリと近付きながら、その手に握ったシャベルを片手でゆっくりと振り上げた。
女性の細腕のはずだ。
その恐ろしい力を見た牧野は思わず後ずさり、パイプを握った手を震わせる。
「あ、あぁ……」
完全に戦意を喪失した牧野にはまるで興味がないらしく、屍人は改めて理沙の方を向く。
理沙が目を潤ませて怯えながら後ずさる。
もうどうすることもできない、と項垂れる牧野の後ろから、走ってくる足音が聞こえた。
牧野の視界の端に白い裾が翻り、肩を押されて退けられたかと思うと、宮田が手にした何かを思いきり屍人に投げつけていた。
薬品の瓶だ。
真っ直ぐ屍人にぶつかって破裂すると、すぐに白い煙が上がって屍人が高い悲鳴を上げる。
パニックに陥ったかのように、そばにある階段を上がっていった。
どうやら、強い酸性の薬品だったらしい。
一連の撃退劇を目の前で見ていた理沙が宮田に駆け寄り、泣きながら宮田の肩を掴んだ。
「お姉ちゃんが……!お姉ちゃんが!先生……!!」
牧野が俯きながら宮田を見る。
「すみません、助かりました……」
「仕方ないですよ。慣れてないんだから、こういうことに……牧野さんは」
宮田は自分の肩に縋りついて泣く理沙を牧野の方にやり、階段へ足を向ける。
「後を追ってみます。……理沙さんを」
理沙を任された牧野は、泣きじゃくる彼女の肩を支えつつ、何も返せずにいた。
宮田が屍人化した美奈を追いかけていって、もう小一時間ほどは経っただろうか。
牧野に連れられて診察室へ戻ってきた理沙もようやく落ち着いて、重々しいサイレンの音が響いてくる窓の外を眺めていた。
「宮田先生、遅いですね……」
そう話しかけたのは、勿論、後ろで椅子に腰かけている求導師の牧野に対してだ。
理沙の言葉に、牧野は少し笑ったように言った。
「無茶なとこあるから……あのひ――うぅッ!」
あの人、と言おうとしたらしい牧野の声が、何故かいきなり殴打音と共に苦悶の声に変わった。
「!」
驚いて振り向けば、そこに座っていた牧野が椅子から崩れ落ちて床に沈み、シャベルを持った屍人の美奈がこちらへ歩いてくるところだった。
「お姉ちゃん……!」
そう呼んでいいのか分からない。
すっかり変わり果ててしまった、元は姉だった人の姿だ。
後ずさる理沙に美奈は無言で歩み寄り、壁に追い詰められた彼女に自分の気味の悪い顔を擦り寄せた。
その瞬間、きつく閉じた眼の奥が白く光り、ぼんやりと映像が映し出される。
直感で美奈の記憶なんだということが分かった。
自分は彼女と同じ血を分けた双子で、小さな頃からずっと一緒にいた。
大切な片割れ同士。
自分が今まで“先生”と頼っていたあの人を、この片割れはこんなにも愛していて、そしてそんな彼女を、あの男は。
美奈の中から流れ出してくる記憶にぼんやりと映る、こちらに両手を差し伸べる影。
白衣を着た男が、この記憶の主観である存在――美奈に、手を伸ばして、首を絞めてくる――
「……っ!」
頬を熱い涙が伝った。
――そうだよね。
「……っ」
美奈を押し退けようとしていた理沙の手が、彼女にそっと縋る手に変わった。
――そうだよね、お姉ちゃんと私は、ずっと一緒だったんだもんね。
「お姉ちゃん……」
姉の手を取り、そっと握りしめる。
私は何を怯えて、拒絶していたんだろう。
私とお姉ちゃんは“一緒”。
私とお姉ちゃんは“同じ”。
お姉ちゃんは、私と一緒にいたいだけ。
あの人と、ずっと一緒にいたいだけ……。
「先生……」
理沙の声から、嬉し泣きのような声が漏れた。
「センセイ……」
そう、宮田先生。
――もう酷いことはしないで。
先生、ちょっと動揺していただけなのよね?
先生、ここは楽園だよ。
一つ落ち着いて、全ての流れに身を任せてしまえば、体はこんなに楽になるの。
大丈夫、先生も、きっと私たちのところへ来てくれる。
そしてずっと一緒にいるの、大好きよ、センセイ――
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