BOOK_SB

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13・花を販ぐ少女と、翻弄される男女の噺





嫌な夢を見た。


まどろみの闇の中、ぽつんと一人、立ち尽くす私。

“いろは”ではなく、“あさき”の姿をしていた。

ここ数カ月ですっかり馴染んでしまった自分の姿、自分の両手を見下ろしてから、そっと顔を上げる。

すると、闇の向こうに誰かが立っていた。

その姿に、私は無意識のうちに笑みを浮かべる。


「長子……」


思わず駆け寄ろうとするが、体が上手く動かない。

自分の体を見てもいつも通りなのに、何故か進もうとすると足が上手く進んでくれないのだ。


「あれ……?」


困惑しながら前を見ると、遠くに佇んでいた長子がおもむろに踵を返した。


「あっ……待って……!」


手を伸ばすけれど、足はそれ以上動かない。

長子が歩いていく。

姿が遠くなっていく。

胸を焦燥が支配した。


「ま、待って、長子……!」


懸命に手を伸ばし続けると、長子が不意に振り向いた。

肩越しに振り返る長子の、その姿に手を伸ばす私の手。


「あ……!?」


気付いたら、私の腕に垂れる袖が、“あさき”のものじゃなくなっていた。


「え……!?」


焦って自分の体を見下ろすと、その恰好は男の“あさき”のものではなく女の“いろは”のもので。


「あ……っ!」


バッと長子を見遣れば、長子は何も言わないまままた顔を背け、向こうへ歩き始めてしまった。

私は慌てて声を上げる。


「ま、待って、長子!ごめん……これは、これにはワケがあって……俺……、私は……っ!」


――正体がバレたら。


「長子を騙そうと思ってたんじゃなくて、旦那様の命令で仕方がなくて……!」


――長子は私を軽蔑して、離れていってしまうだろう。


闇の向こうに消えていく影。

小さくなっていく後ろ姿に、私は必死に叫んだ。


「いやッ……ごめん、お願い!許して!長子、おいていかないで……!!」















「……ッ!!」


大きな呼吸と共に飛び起きた。

布団から勢いよく体を起こし、一瞬で開いた目で、ずり落ちた掛け布団を見下ろしながら肩を上下させた。


「ハァ……ハァ……ッ」


額にじわりと浮かぶものに手をやって、髪を湿らせる汗を拭う。


「……夢……」


なんて夢だ。

こんなにあからさまな悪夢も珍しい……。


私は布団の上に座り込んだまま、顔を手で覆った。


「……ッ」


ツンと痛む鼻を啜り、視界を淀ませる水膜を拭いとる。


(あれ、私……)


情けなさに嗚咽のような笑い声が漏れた。


「泣いてる……、っ」


静かな部屋の布団の上。

私は子どもか、と自嘲して、心では笑いながら少しだけ泣いた。














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