BOOK_SB
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04・善美を尽くす男と、前非を悔いる女の噺
夕方、町外れの小川のそばに立った一本の木。
その幹に凭れかかりながら、私は薄暗い空を見上げていた。
……本当なら、この時間はまだ西の山に落ちていく夕日が美しい橙色に輝いているはずだ。
けれどそれをドス黒い雲が一面覆い隠して冷たい雨を降らしせているものだから、そんな綺麗な夕日は見れない。
「昼過ぎまでは晴れてたんだけどなぁ……」
初めての友達との待ち合わせでこんな悪天候に見舞われるとは災難だ。
木のすぐ下にいてもしとどに濡れる髪を指でちょいちょいと弄りながら溜息を吐いた。
あの子は来るだろうか。
この雨の中、町外れどころか、町中にだって外をうろつくような人はなかなかいない。
それならあの子だって、折角の着物や髪が濡れるのは困るだろうから、なんなら約束を破ってくれても構わないのだが……。
ここに来る前、空模様を見た宿屋の女将さんに声をかけられた。
“あさき様、もうすぐ雨が降りそうですし、外出はおやめになった方が良いのでは?”
そりゃあ確かに、雨が降るなら大人しく屋内にいる方がいいだろう。
あの子だって、この雨じゃ待ち合わせ場所に来ない可能性が高い。
それでも、もしあの子が来たら。
「雨の中で女の子を一人、待ちぼうけにさせるなんて男のすることじゃないもんねぇ……」
来なかったら来なかったで、それはまたそのときだ。
あの子の着物や髪が濡れなくて済んだ、それだけでいい。
それにしても。
木の幹に背中を預け、濡れる体を抱えるように腕を組んだ。
「サッブいな、微妙に……!」
髪や頬から滴り落ちる雨粒に思わず苦笑いした。
……というか、懐を濡らすわけにはいかないんだけど。
懐には、携帯筆記具と少しばかりの紙が入れてある。
筆談用のものだ。
この雨で紙がしけってしまっては困る。
(あの子、字を書けるかなぁ……どんな字を書くのかな……)
どんな字で、どんなことを書くだろう。
想像するだけでなんだか楽しくなってきて、木の下で一人ニヤニヤしながら雨に濡れる男って言うのはどんなに不気味だろうか。
緩む口元をぐいぐいと押して直した。
ふと、雨が地面を打つ音の中に、人が地面を踏む音がした。
ハッとしてそちらを見ると、そこに、待ちわびていたような、けれど心のどこかでは少し諦めてもいたような、とにかくここで待ち合わせをしていたあの子が立っていた。
「……!」
……来た。
何よりもまず、そこに驚きだ。
私は暖を取るように腕を擦ったその体勢のまま、そこに立つ女の子の姿を見つめた。
すっかり濡れて、深い茶色から黒にも近くなった髪。
ぬかるんだ地面から跳ねた泥で汚れてしまった小袖の裾。
水分を吸って重くなった袖が張り付く腕は大きな包みを抱えていて、両方の手を塞いでいた。
そして、雨ですっかり乱れてしまった化粧と、何故か上がっている息。
傘をさしていない。
そんでもって……走ってきた?
彼女の姿からそこまで推測した私は、一瞬で我に返った。
「なっ、なんでそんなずぶ濡れで……!傘さして来てないの!?ていうか走って……裾泥だらけだし!」
ああ、折角の着物が。
私は慌てて木の下から飛び出し、包みを抱える彼女の腕を掴んだ。
「と、とにかく木の下に……!?」
彼女を引っ張ろうとしたが、その体が動かない。
不思議に思って顔を上げると、初めて彼女とまともに隣り合って立ったことに気が付いた。
改めてその姿を見てみると、私よりもかなり背が高い。
そんでもって、私が思いっきり見上げたその顔が、なんだかすごく驚いたように私を凝視していることに気が付いた。
……目、大きい。
滴り落ちる雨粒の奥で揺れる瞳が綺麗だ。
「……どうしたの?ここにいると、濡れるよ……?」
ぶっちゃけ木の下に入ってもあんまり変わらないけど。
ここにいるよりはマシだろうと思って声をかけたが、彼女は何故か困惑したように視線を落とした。
「?……とにかく、こっち……木の下に入ろう?」
もう一度言うと、彼女はやっと素直に引っ張られてくれた。
二人して木の下に入って、私は着物の懐を探る。
「寒くなかった?ちょっと待ってね、今何か拭くものを……うわッ、濡れてる!」
手拭いが水浸しとか!
これじゃ意味ない!
というか、つまりそういうことは……。
更に懐を探ると、なんとも残念な見た目に様変わりした、フニャフニャの紙が出てきた。
「紙も濡れてる……そんなに濡れてたなんて……!」
しばらくの間、雨に打たれてたのは他でもない自分自身なのだが、まさかそこまで濡れてるなんて気付かなかった。
この雨だし、これじゃあ悠長に筆談で“どこに行きたい?”なんてやってられない。
「とにかく何処かに入ろっか。何か拭くものが欲しいし……俺が泊まってる宿でもいい?そこなら女将さんが色々用意してくれるから」
そう言って見上げると、彼女は俯きがちながらに一つ頷いた。
濡れて垂れ下がった前髪で顔が隠れていて、なんだかオカルトチックだなと笑ってしまいながらその手を取った。
「その荷物、良ければ俺が持つけど……」
遠慮がちに大きな包みに手を伸ばしたが、彼女は頭を振った。
もしかしたら何か大切なものなのかも知れない。
一人勝手に納得すると、彼女の手を引いて宿へ引き返した。
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