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□イメージクラッシュ
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ワイズ・ゲルテナ展を開いていた美術館を回っているうちに迷い込んだ、奇妙な世界。

そこで私は、自分の命の象徴であるという不思議な薔薇を手に入れ、そして私と同じようにこの世界に迷い込み、赤い薔薇を手に入れたという少女・イヴと出会った。

イヴの両親や出口を探すために一緒に行動することになり、今に至る。

今いるのは、フロア全体が赤で統一された赤の間で、壁も床も、天井すらも真っ赤だ。


額縁から上半身を乗り出して地面を這い回る『赤い服の女』という絵画に追いかけられたりしながら進んできた先で、廊下に人が倒れているのを見つけた。

手を繋いで歩いていたイヴと一緒に立ち止まる。

柔らかそうな紫の癖毛頭に、ボロボロのロングコートを着ている。

うつ伏せで倒れているため、顔は見えないけど背格好からして男性のようだ。


「もしかして、これも絵画……?」


赤い服の女みたいに、こいつもその辺の額縁の中から抜け出した作品で、そのうち起き上がって襲いかかってくるんじゃないかと思ってしまった。

赤い服の女たちは下半身が額縁に収まっているからまだいいものの、こっちは男の体をしている上に、足も額縁から抜け出した五体満足状態だ。

もしこんなのが追いかけてきたら、逃げられないし抵抗もできない。


無意識にイヴを自分の後ろにやりながら近付くと、男性の呻き声が聞こえた。


「……うぅ……」


苦しそうだ。

細くて長い手足を、まるで道端で踏まれて潰れたカエルみたいに投げ出してぶっ倒れている。

……もしかすると、彼は化け物じゃないのかもしれない。

どちらかというと、私たちみたいに化け物に襲われてこうなってしまった普通の人間に見える。

男性の様子をジッと観察していると、イヴが私から離れて男性のそばにしゃがみ込んだ。


「あっ、イヴ……」


イヴは、握りしめられた男性の手を見て何か気付いたらしく、その小さな手で、男性の骨ばった指をうんしょうんしょと解いている。

果たしてイヴが男性の手から取り出したものは、赤くて小さな鍵だった。

無表情ながら、どこか誇らしげな態度で鍵を見せてくるイヴ。

そしてそれを渡してくるので、ひとまず受け取った。

たった今まで大の男の手に握りこまれていたにしては、温度が生ぬるい。

鉄でできた小さな鍵に彼の体温がほとんど移っていない……体温が低すぎる。

この人、結構まずい状況なのかも知れない。


「イヴ……」


イヴに声をかけると彼女は頷き、私の斜め後ろ辺りに下がる。

私は男性のそばに屈んで声をかけた。


「あの……大丈夫ですか?」


男性は倒れたまま、苦しそうに呻いた。


「……痛……い……」


その声を聞いて男性の体を見るが、目立った外傷はない。

でも、か細い呼吸のもとで苦しそうに喘ぐ男性の様子は普通じゃない。

イヴが前に出てきて、男性の肩をとんとんと叩いた。

途端に男性の肩がビクリと跳ね上がる。

何かから逃げようとするように、手足を一生懸命に動かしてもがいた。


「……や……やめ……げほっ、ごほっ、がはっ……」


掠れた声を絞り出したが、すぐに苦しそうに咳き込む。

血を吐いても不思議じゃないと感じるほどの咳だ。

まずいことをしたと思ったのか、すごすごと手を引っ込めるイヴ。

……この人、本格的に命が危ないかも知れない。


「イヴ、ちょっとだけ下がっててね」


私はイヴにそう声をかけると、男性の体が仰向けになるように上半身を抱き起こした。


「大丈夫ですか?何があったんですか――、っ!」


仰向けにした瞬間、抱き起こした男性の顔が明らかになる。

それを見て、私は思わず息を飲んでいた。

苦しそうに息をする男性の顔は、ほとんどが癖のある紫の前髪に覆われている。

けれど、その分け目から覗いたわずかな部分からでも確かな苦悶が見て取れた。

……男性がこんなに苦しんでいるこの状況で、場違いなのはちゃんと分かってる。

分かってるけど……細い輪郭に、閉じられた目蓋には長く震える睫毛。

シャープな鼻は筋がスッと通り、整った薄い唇から漏れる吐息には、鼓膜に心地よく響く低い声が混ざっている。

せっかくの美顔を覆い隠してしまう、柔らかそうな紫の癖っ毛。

そのせいで顔にかかる影が、この男性にミステリアスな印象を纏わせている。

おまけに手足は長く、スタイルも抜群ときた。


……早い話が、私は見惚れてしまっていたのだ。


「……」

「……イロハ?」


イヴに声をかけられてハッとする。

思わぬ美形にときめいてる場合じゃなかった。

早く助けてあげないと……。


とは言え、男性の体を仰向けにしても、体のどこにも怪我が見当たらない。

この男性がどうして死にかけているのか分からないのだ。

病気か何かだとしたら、私たちに助けられる気がしないけど……。

悩んでいる間にも、男性の体が私の腕の中でガクッと震えた。


「ぐッ!あぁっ……!」

「!」


見えない何かに苦しめられている男性。


「なんで……?」


そのとき、自分の胸の辺りを握りしめて苦しそうに呻く男性を見て、私はあることを思い出していた。


私が不思議な薔薇を見つけたときのことだ。

花瓶に活けられた薔薇を見つけたとき……そのときに見た張り紙の文章が脳裏に蘇る。


“そのバラ 朽ちる時 あなたも朽ち果てる”

“バラとあなたは 一心同体 命の重さ 知るがいい”


まさかと思ってその薔薇の花びらをちぎった途端、体を襲ったあの苦痛。

私は身を持って体験したことがあったのだ。


「もしかして……!」


慌てて男性の手元やコート、辺りに視線を巡らせる。

私とイヴが薔薇を持ってるんだから、もしかしたらこの人も、自分の薔薇を持っているのかも知れない。

でも薔薇はどこにも見当たらない。

イヴを見ると、彼女も同じことを思いついたようで、こくんと頷いていた。















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